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王さまの本棚 18冊目

『手品師の帽子』

ストーン・ブレイン、安野光雅作/童心社

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本棚での位置はここ。背表紙も好き……ツイートの撮影をするときは本を伏せて開くために、中にハンカチを仕込みました。だいじだいじ。

安野さんとはごくごく浅いご縁を結ばせていただいているのですが、始まりは小学校高学年だか、中学一年生だか、とにかく東京に住んでいたころまでさかのぼります。母が安野光雅ファンで銀座の本屋で開催されたサイン会に連れて行かれたわたしは、ありがたみもわからないままぼんやりとサインしてもらう名前を書く紙を受け取ったのですが、立ちながら、しかも慣れないボールペン(当時わたしは子どもだったので、鉛筆かシャープペンシルしか使ったことがなくて、ボールペンで文字を書くという経験がほとんどなかったのです)で記入したため、文字が歪んでしまいました。これはイヤだなあと思いながら自分の番が回ってきた時その紙を安野さんにお渡しすると、『これはおもしろい文字だね。』と、筆跡をまねて名前を書いてくださったのです。

「なんていい人なんだろう。」それが、安野さんの第一印象となりました。
それから安野光雅という名前を注意深く探してみると、出るわ出るわ、自分がほんのチビのころから夢中になっていた本たちの作者、挿絵、装丁、そこかしこに安野さんの名前が見て取れたのです。

そんな気持ちを持ちながら大学生になったわたしは、偶然、ほんとうに偶然もしくは運命的に、とある情報を目にしたのです。
「安野光雅と行く一泊二日津和野スケッチツアー」
人生が、少し動いた瞬間でした。

豪速で親を説得し申し込みを終え、当日。秋の、ちょうどこのころだったように思います。紅葉には少し早く、色づき始めたかな、くらいの時期。
バスで津和野に近づくとともに見えてくる。赤い屋根瓦の街並み。ああ、安野さんのテラコッタベージュ的なレッドは故郷のこの色からきているのかなあ、なんて妄想しながら、到着、自由行動でスケッチするも、

どうにも人にお見せするレベルの絵が描けない。

それもそう、わたし、オタクなので漫画っぽいイラストは少々たしなんでいたものの、スケッチなんて中学の授業以来。当然です。周りはもっと年齢層が高くて、スケッチの心得もある猛者ばかり。二日目には描いた絵の講評なんてとんでもなく贅沢な時間もあるのに、このままじゃ参加した意味がない……!そんなせこい根性のわたしは、一計を案じました。
一晩かけて、画用紙に絵の具で、渾身の恋文をしたためたのです。
安野さんをお慕いしていること、ロビン=フッドの絵がいちばん好きなこと。そんなことを書いたように覚えています。
翌日、絵の回収のときに「絵が描けなかったのでラブレターを書いてきました!」とお渡ししたら、『こういうのがあるから(こういうイベントは)いいよね。』とおっしゃってくださって、おわーん届いたー書いてよかったーーーと思ったのでした。

そして数週間後の、自動車免許の教習場で、本を読みながら数時間空き待ちをしていたところ(暇すぎ)、母から携帯電話に着信があり。そんなことめったにないので、何の緊急事態かと思って電話に出たら、『ニツカ!安野光雅からお葉書来てる!』と。とりあえず覚えてないけどたぶん教習を終えて帰宅して見てみたら、これが、読めない。日本語なのに、すごく、読みづらいんですわ。
知ってる。安野さんが「文字」を絵としてとらえることにとても興味を持っておられて、これまでもそうだったしたぶんこれからもそうで、わたしはそういうところもとても好きで好きで仕方がなかったのだけど、いかんせん達筆というか、個性的過ぎて読めない。母と苦労して解読しました。内容は乙女の秘密なのですが、
『こんどゴチソウします』(今度ご馳走します)
『でハ又』(では、また)
って書いてあったので、母と二人で大興奮。
そんな夢が実現することはなかったのですが、すごくうれしかったのでした……すごく……!


そんな出来事から数年後、わたしは東京に移り住んで、会社員をしていたりしました。
当時恋人だったおタコ(夫)が、そごう横浜でこんな展覧会があるよ。と教えてくれました。それが金曜日、翌日から開催、初日にサイン会。

行きましょうか、明日。

いまなら行っておいでよ~って布団の中から手を振るであろうおタコも、当時はほやほやの恋人。あろうことか、想い人との逢引き(ただのサイン会)にもついてきてくれることになったのです。oh……やさしい……。

整理券のゲットは、激戦でした。
開店一時間前には着いたのですが、すでに並んでいる猛者が。そして開店と同時に駆け込む猛者たち。しかし今回は条件の同じ、わたしも猛者!エレベーターは待っていられないので、エスカレーターを一気に9階まで駆け上り(ダメ)、エレベーター勢よりも早く配布所にたどり着いて無事入手したのでした。イエアアアアアア!

ところが、サイン会は午後、いま午前……というわけで、時間がたんまり空いてしまいました。そこでわたしがしたことといえば、恋人を前に、別の想い人へ宛てたラブレターを、かつてない熱量と文章量でしたためることでした。そういやおタコには結婚式以来手紙らしい手紙渡してないなあ、いつもカードとか……カードとか。渾身のラブレターも長編のラブレターも全部安野さん宛てだ。

肝心のサイン会では緊張して、「恋文を書いてきました!」しか言えなかったのですが、安野さんは『口語訳即興詩人』にサインしながら、『この本にも恋文がでてきますよ。』と教えてくださったのでした。恋文のお返事には、『この手紙は数ページにわたると思って読んでください。』というようなことが書いてあって、嬉しかった。。。長いところに反応してくださってありがとうございます……。

次にお会いしたのは、体調が悪い時期だったから、もう会社は辞めてたかなあ。思い出の銀座丸善で、サイン会でした。そのとき展示されていた千曲川の絵の中で、ひどく心かき乱されるものがあって、今でもなんとなく覚えているのだけど……まんまるの金の月に、蛇行する真っ黒な千曲川、広がる銀のススキの野原……だっけ???思い出補正してると思うんですけど。お値段、なんと四十七万五千円。買えるかぁ!パァン!(財布を閉じる音)

肝心のサイン会は、またもド緊張してうまく喋れませんでした。うう。でもまたラブレターです!ってお手紙お渡ししたら、しばらく経ってお返事が来たから嬉しかった……

びっくりしたのが、有名な方なのに、筆まめなこと。わたしみたいな一ファンにも丁寧にお返事くださるって、お仕事大丈夫ですか……寝てらっしゃいますか……と、あの緻密な絵を思い出すたび、思うのです。

今年で御歳94歳……安野さんのおられない世界なんて考えられないので、いや、もう、手が回らないほど精力的に活躍されてきた方ではありますが、どうかお元気で、ごきげん良くあってほしいと、トールキンとは同じ時代の空気を吸えなかった者として、思うのです。

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