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2万Hzの愛してる #ひかむろ賞愛の漣


うちのねこは鳴くのがちょっとへたなのだろうか、と思っていた。

ねこというのは、うちのてんすけまるもとい南天のことであるのだが、このnoteはフィクションを少しだけ含んでいるので、仮に「ねこ」とする。同じく「ひと」というのはわたしのことであるが、少々気恥ずかしいので「ひと」とする。

テレビや動画で、いくらでも猫とお付き合いできるこのご時世である。猫の鳴き声なんていくらでも耳にできるが、一般的には「にゃあーー」というよく通る澄んだ声が猫の鳴き声とされている。
ところが、ねこの鳴き声は、4か月半を過ぎようという今、いまだにちいさなちいさな仔猫のような力ない「にゃ」なのだ。

ねこはたぶん、ひとにこいしている。それはあたかも、大島弓子の名作『綿の国星』に出てくる「こいびと」へのおもいのように。この世でいちばん信頼し、身を預け、情を捧げ、大人になった暁には人に変身をして、「こいびと」になれる。そんなように、こいしているのである。

そう、ねこはたぶん、ひとに愛を囁いている。
その愛は「ゴハンくれ」とも「遊んでたもれ」とも違う、ひとの顔をじっと見つめ、小首をかしげ、いかにも甘えた声で、「にゃ(あーーー)」。

そう、よく観察してみると、「にゃ」のあと、「あーーー」の形に口が開いている。猫の発声音域は知らないが、これはヒトの耳には聞こえない高域の音が出ているのかもしれない。

声帯の短い仔猫時代だけなのだろうか。牡猫は生後半年で性的に成熟し、去勢手術に耐えうるという。そうしていつか、あんな鳴き方をしていたのだと懐かしく思う日がやってくるのだろうか。
願わくは、そのときとなりに大人になったねこがいてほしいと思うものである。

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このnoteは仲高宏さんと嶋津亮太さんの対話から生まれた「2万Hz以上の音を文章で表現する」という課題に挑戦してみたものです。
錚々たる方々が挑戦しておられるので、はずかしいから、リンクしません。です。でも、どうしても書いてみたくなったの。

また、ひかむろ賞愛の漣に応募させていただきます。ねこへの愛、受け取ってください。


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