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王さまの本棚 1冊目

『ホビットの冒険』

J.R.Rトールキン作/瀬田貞二訳/寺島竜一絵/岩波少年文庫

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本棚での位置はココ。


ツイートにもあるけれど、わたしの人生において根源となる本。
本当はもう一段階古い岩波少年文庫(背表紙が黄色くてサイズと文字が少し小さい)で読んだのですが、それは母の本で手元にないので、実家を出てから買いなおしたこちらを紹介します。

絵本を読むのが好きな子どもでした。それは母が読み聞かせしてくれることを好んだことに起因しますし、長じて、絵本が好きだからもっと読んで好きになる、という循環ができていたともいえます。

小さいころ繰り返し読んでいたのは、講談社のおはなし絵本館。それこそももたろうから名も知らない国の民話まで網羅されている、すてきなすてきな宝箱みたいなシリーズでした。

ところが絵本では物足りなくなるという年齢が子どもに訪れました。
子どもの読書や発達について勉強したわけではないのですが、わたしの場合は

絵本読み聞かせ
→絵本音読
→絵本黙読
→本黙読(ここで小学校に上がるか上がらないかあたり)

だったように思います。
そのあたりで、たぶん母に
(父はそのころ鉄道マンで企業戦士で激務に激務を掛けたような生活をしていたため、あまり家にいませんでした。それはそれでかっこよかったと思っています。)
(そんな父、いまは家庭の居心地がよいみたい。のんびり。)
、こう訊いたのでしょう。

「お母さん、何かおもしろい本ない?」

この、「お母さん、何かおもしろい本ない?」という台詞は、その後両親の手を離れるまで定型文として、幾度となく繰り返されました。

わたしはこうして、『ホビットの冒険』に出会ったわけです。

最初に読んだときは、ゴクリのなぞなぞに付いていけていなかったし、最後になぜ五軍のいくさが起こったのかも明確にはわかっていませんでした。

それでも、ゴクリの不気味さにふるえ、小さなホビットの勇気に奮い立ち、誇り高いドワーフの生き方に触れ、野を越え谷を渡り山を潜り空を飛び川をくだり、わたしのこころは縦横無尽に飛び回りました。

そうして読み続けていく途上で、自分なりに推察して納得し、大人になって繰り返し読むたび、ああ、ここはこういう意味だったのだ、ここはこういう経緯があったのだ、と理解する喜び、そして、日本語のうつくしさに触れる歓びがありました。

わしはこれから、父祖のかたわらにいこうはずの天の宮居(みやい)におもむくのじゃ。この世がすっかりあらたまる時までな。わしはもう、ありとあらゆる金銀をすてて、そのようなものの役立たぬところへおもむくのじゃから、心をこめてあなたとわかれたいと思う。
(中略)
あなたの心のなかには、あなたが知らないでいる美しさがあるのじゃ、やさしい西のくにのけなげな子よ。しかるべき勇気としかるべき知恵、それがほどよくまじっておる。ああ、もしわしらがみな、ためこまれた黄金(こがね)以上に、よい食べものとよろこびの声と楽しい歌をたっとんでおったら、なんとこの世はたのしかったじゃろう。
(『ホビットの冒険下巻』p.234-235)

こ!れ!み!て!(落ち着いて)
(オタクなので括弧内でツッコミ入れがち)
この訳の素晴らしいこと、これが、瀬田貞二です。
(オタクなのでこれ写しているだけで物語の展開と日本語のうつくしさ双方にガチ泣きしている)

このnoteをきっかけにホビットを読んでくださる方がいるとして、うわあさすがかっこいい!と思ってくださったら、とても光栄です。

人生のごく初期においてこの本に出会うことができたのは、人生という大うなばらへまさに漕ぎ出でんとするときの暁の光り、そして航海中その存在を何度もたしかめる、うつくしい明星であったのでした。


それでは、王さまの本棚一冊目の紹介を終わります。




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