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目に見えないゲームの「おもしろさ」をデザインするヒト【そこらへんのゲーム関係者vol.4】

こんにちは、そめ吉です!「そこらへんのゲーム開発者」今回は『ソニック・ザ・ヘッジホッグ』の生みの親の1人でもある安原広和さんにお話を伺いました!

そこらへんの人ではない?いえいえ、レジェンド級開発者の安原さんにも「そこらへん」だった時代があり、快く記事を書いていただけました!安原さんは主に教員として活動されていますが、業務委託の依頼も受け付けているとのことですので、ご興味ある方はsupport@nidan-jump.comまでご連絡ください!


こんにちは、東京工科大学メディア学部特任准教授の安原です。

UnityではUnityに初めて触れるみなさんに向けてゲームの基礎を学ぶ「あそびのデザイン講座」を連載しています。大学では「ゲームデザイン論」の授業、そしてUnityを使ってゲームのプロトタイプを作る演習を担当しています。

最近はいろいろな大学、美大に呼ばれて「ゲームデザイン」やUnityの話をさせていただいたり、商用ゲームのゲームデザインのコンサルタントなどをしています。

テーマ1. あなたはなぜゲーム業界に?

大学生の時は8㎜自主上映映画や特撮SFが好きで、アニメーション研究会を作ってビデオ上映会を主催したりと、ゲームとはあまり関係のない日々を過ごしていました。他大学の映像サークルの友人が就活でゲーム会社を受けてみるというので、自分も付き合いで説明会などに参加していました。

当時はナムコが最先端のハードとソフトの技術を持つ会社として人気でした。ナムコは大坂の花博で「ギャラクシアン3」という巨大なアトラクション施設を手掛けていました。映画のようなCG映像と筐体の挙動制御、インタラクティブな宇宙での戦闘のゲーム体験を提供できる会社に多くの人が新しい時代を感じたのだと思います。

そんなナムコの会社説明会があるというので、友人たちと連れだって大田区の会場に向かうと、数百人の学生が集まっていました……そして説明会に現れた社員さんが「えー、今年の採用予定は皆さんの中から3名(数はうろ覚え)です」というので、「こりゃ無理だ」と思い、説明も聞かずに会場を出ました。

でも、その時なぜか「この駅の向こう側には「SEGA」があったよな……」と思い浮かんだのです。駅の公衆電話からSEGAに電話をして、ナムコに出す予定の履歴書を持ってSEGAに向かいました。

SEGAに着くと、応接間に通されて紅茶と苺のショートケーキが出されたのを覚えています。そのまま「じゃあ今度は部長との面接に来てください」と伝えられて、2日後に再訪したのが開発本部長さんとの最終面接でした。そのような経緯で、町工場の雰囲気の残る株式市場上場前のSEGAに入社することになりました。

1989年、セガ入社から間もない頃

テーマ2. その後はどんなことを?

実は、大学の専攻が工学部の機械科だったので、配属予定部署は筐体の設計デザインを行うメカトロ部門だったのですが、メガドライブのゲームを作る人員が足りないとのことで、コンシューマゲーム制作の部署にプランナーとして配属になりました。

プランナー時代

正直コンシューマゲームなどあまりプレイしたこともなく、ましてプログラムの知識などもなく、本当に戸惑いました。短い期間の研修を受け、メモリやアセンブラを理解して、そこから自主的に会社に置いてある自社、同業他社のゲームを昼夜なくやりました。たのしむよりは「分析」のような、ゲームに失礼でもあり、地獄でもある接し方です。

そんなことをしているうちに、良いゲームには何か共通の「設(しつら)え」のようなものがあることに気がつきました。プレイヤーを「おもてなし」する作法のようなものがあるのです。当時は言葉化ができなかったのですが、その勘所のようなものをつかめた時に、「あ、この世界で働けるかも……」と思ったことを覚えています。

偶然配属された部署で必死になって追い求めたものが、今の仕事につながっているのだから、人生は分からないものですね。

何本かゲームを手掛けた後に、SEGAのキャラクタ―を作るプロジェクトが始まりました。後に『Sonic the Hedgehog』として知られるようになるゲームです。

日本のみならず米国でも爆発的なヒットを記録した『Sonic the Hedgehog』

Sonicが終わった後は、チームは解散して自分はサンフランシスコに向かい、北米での生活を始めることになりました。

テーマ3. そこらへんのゲーム関係者として楽しかったこと

「国や文化によって「おもしろさ」は違うのか?」ということが知りたくて外国の文化を体験するため渡米したんですが、SEGAから派遣された「ディズニーイマジニアリング」での仕事を通して「やっぱり違うんだな……世界は知らないことばかりだ」という原点に立ち返ることができたのが大きな収穫ですね。

ゲームを超えたディズニーのエンターテイメントの組み立て方を基礎から学べたことは、本当に素晴らしい経験と財産になりました。そして、暗黙知から形式知へ、体系的に自分のゲームデザイン手法を言語化してまとめるターニングポイントにもなりました。

LAにいるとディズニーランドのシーズンパスが安く購入できるので、ほぼ夕方の散歩がてらにディズニーランドに子供を連れて行ってました。こんなにディズニーランドを飽きるほど満喫できていいのかな?って……贅沢な時間でした。

かつてのライバルだった任天堂関連会社で働いた時には、たくさんの秘話を開発当事者の方々から聞くことができて、SEGAに入社した時からのミッシングリンクをつなげることができました。

「なぜ2Dアクションゲームは右向きにスクロールするようになったのか?」

全てのゲームは意図されてデザインされているので、その設計理由を知ることはとてもうれしかったことです。

Unityとの出会いも自分の表現手段と能力を引き上げてくれました。自分の見つけたゲームの設計工法を伝える仕事をしたいな……と、思っていた時に、その思いを具現化するツールを得て、優秀な人たちの集うコミュニティで仕事ができたのは本当に刺激的でたのしかった……幸運だと思います。まさにUnityは「ゲームの民主化」を成し遂げた革命のツールでした。

東京工科大学メディア学部での授業の様子

思いもかけない偶然で踏み入れて歩き始めたゲームの世界ですが、いろいろな人のおかげで、いま大学で教鞭をとっているんだなと書きながら感慨を深くしています。

この記事を書いた人

安原広和(Hirokazu Yasuhara)|@Yasuharah

※『ハイスコア:ゲーム黄金時代』では「4. ゲーム機戦争」に出演されています


安原さん、ありがとうございました!安原さんへの業務委託にご興味ある方はsupport@nidan-jump.comまでご連絡ください!

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