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まちづくり自主学校(第二期)第一回WS「課題をみつける」

あったらいいな はじめの一歩

みんなの社会部が昨年度からはじめた「まちづくり自主学校」。
第二期・立案ワークショップ4回講座がはじまりました。
10月18日(火)、第1回目「課題をみつける」 を余遊亭にて開催しました。
講師は先月の「みんなの公民講座」に引き続き、大島もえさん。

このワークショップで目指すことは、何かの「問題」があったときに、それを解決する方法を「要望」として相手に丸投げするのではなく、問題を分解し、内容を吟味し、問題を解決するべく「課題」を抽出し、情報を集め、最終的に「提案」の形にもっていくことです。こうであったらいいなという理想に向かうはじめの一歩を、もえさんからアドバイスを受けながら、みんなで一緒に考えながら踏み出そうという場です。

 今日のテーマは「課題をみつける」。
はじめにもえさんから身近な問題に向き合うにあたって、考えておくべき要素を教わります。「みんなの公民講座」のおさらいにもなるような内容です。

問題を考える際にはいろいろな視点があります。
地球規模の問題から、国、県、市レベル。さらに、犬山市はもともといろいろな村が合併してできているので、それぞれのコミュニティや地区特有の問題がある。それをわかりやすく分解した図も準備してもらいました。

家庭や身の回りに関わる「私益」、コミュニティやサークル、クラスなどの「共益」。社会にまつわる「公益」。それぞれは互いに交わっているので、自分が抱えている問題は、そのうちのどこにあたるのか考える必要があります。一見したところ「わたし」の問題も、元をたどれば「共益」や「公益」と密接にリンクしていることが多々あります。

問題があると思っても、それって「わたし」だけの気にしすぎ? これってわがまま?と思うことはありませんか? そんなときに頭に入れておいてもらいたいのが、この図です。

(上)勝部元気さんツイッター (下)岩城はるみさんブログより

強者(マジョリティ/多数派)と弱者(マイノリティ/少数派)がいたときに、「中立」の立場をとるということは、強者の側に傾いたままということ。「真ん中にしたい」、「格差を是正したい」という思いがあれば、弱者の側に立たないと物事の均衡はとれません。
もえさん曰く。”本来の「中立でいたい」というのは、「均衡のとれた状態」で「真ん中に立つ」こと。それは、「傾いた状態」で「真ん中に立つ」ことではないのです。でも、誤解したり、深く意識しないまま、真ん中に立とうとする人が少なくない。”
そして、自分の抱える問題が自分事で些細なことにすぎないと思ったとしても、それはマジョリティ側からみた判断かもしれません。困り事を社会化して考える。それがこのワークショップの大きな目的です。

問題を分解して課題を抽出する

そのためには問題を分解して考え、そこから課題を抽出する必要があります。
もえさんとスタッフとで頭をひねって作ったワークシートでは、問題に感じていることに対する解決案を複数考え、その解決案で生じる問題点を検討し、そこにどういう「関係者(ステークホルダー)」がいるかどうかを ①助かる人 ②困る人 ③関係ない人 のそれぞれの視点に立って、俯瞰して考えます。
さらに、問題解決に関わる「主体」はどこにあるのかを「公益」、「共益」、「私益」に分解し、課題のステージのどこにあたるかも検討します。その上で、行政に期待できること、サポートして欲しい部分はどこなのか、焦点を絞っていきます。
たとえば、市の管轄ではない課題を市役所に相談に行ってもなかなか解決には結びつきませんよね。国規模の課題でも、市レベルでできることはどんなことなのか、提案を具体化して考えてみないと、漠然としすぎて話の土台に乗ることも難しくなってきます。
 
そうした前提を共有してから、それぞれの参加者が問題に感じていることを元に、ワークシートに記入します。参加者の方から出てきた問題はこんなものでした。

(Aさん)学校にエレベーターがない。ケガをしている人、体調が悪い人、車椅子の人の移動手段を考えて欲しい。エレベーターの設置も考えられるが、子どもたちや先生の思いやり、一階の教室で過ごすといったことも考えられる。解決主体は市や県にあるのではないかと考える。
 
(Bさん)悩み事を相談できる場所が欲しい。友達に相談しても解決できないような問題をどこで解決できるかわからない。市のHPなどで一目でわかるような相談窓口の案内ができないか。相談できる場作りや場を作るチーム作りができないか。
 
(Cさん)園児バス置き去りで亡くなる事件があった。法律を作って守るという話もあるけど、その前にできることがあるんじゃないか。挨拶運動で犯罪抑制にもなるけど、昔に比べてコミュニケーションをとらなくなってる。問題点に対して規則を作ってしまうとそれ以外のことはやらなくなることがある。行政だけじゃなく、地域、学習塾、コミュニティとかで、どうすれば地域の安全、安心を高めていけるか。
 
(Dさん)コロナ禍でお年寄りの認知症が進んでいる。未就学の子どもと触れ合えたり、誰でも寄り合える場を設けて欲しい。話をすることがとても大事だと思うので、そういうことが自然にできたらみんな幸せに暮らせるんじゃないかなと思う。
 
(Eさん)市内の中学校がそれぞれ校則の厳しさに差がある。校則を市内で統一してほしい。解決主体は市の教育委員会や学校の校長先生や先生。生徒でも解決できるかもしれないけど、私の中学校ではいくら提案してもこどもの声は届かなかった。
 
(Fさん)中学校の部活に格差がある。学校によって部活の練習時間やコーチの差があるので、試合しても勝負が見えていて、やる気を失っているこどもたちがいる。平等にサポートコーチを入れたり、市内中学の部活で合同の練習をしたりすることはできないか。こどもが卒業するまで待てないので、今すぐ何かアクションとれないか。

課題を整理する

それぞれの問題に対して、もえさんからはこんな意見やアドバイスがありました。

(Aさん【学校でのエレベーター設置の検討】へのコメント)
助け合う場面は学びになることや、1階で過ごすというアイデアなど、多様な方策を考えてみたところが素晴らしい。
ポイントは、 ケガや体調が悪いという様な時限的な方と、車椅子の様に日常的な方への移動支援では、対策を分けて考える必要もあること。 エレベーターの全校設置がベストな政策だとして、例えば尾張旭市では、ベストではないがそこに至るまでの過程として拠点校を1校つくり、車椅子のお子さんは地域の学校ではなく、そこへ通う選択肢を設けることで対応している。
エレベーター設置によって、助け合う場面が無くなるという反論も考えられていたが、エレベーターの設置で解決するのは垂直移動のため、水平移動の支援の場面では助け合う場面は必要であり、機会損失となるわけではない。
 
(Bさん【悩み事を相談できる場所がほしい】へのコメント)
個人的な悩み事はまずは自分で解決しようとするけれど、行政に交通整理をしてもらえると助かることがある。職場だと仕事の関係に限られるが、行政のいいところは生きてる中での相談を全部受け止めますというのが役割なところ。
例えば、意見を届ける際には市役所に「ご意見箱」があるけれど、わかりづらかったりする。議員は議場では「話してもいい場所」という前提があるから話しやすいが、暮らしの中で生まれた課題は、その属性による利害関係を背負っているため気軽には話せない。(背負っている利害関係を降ろして)ここは話していいよ、という場があれば話しやすい。だから、暮らしの中での個人的な悩み事などを言ってもいいという場作りをすることはとても大事。

(Cさん【地域の安全、安心をどうすれば高めていけるか】へのコメント)
このワークシートを使う意図は、具体的な場面を元に考えること。Cさんは、職業柄、広い視点から物事を考える立場にいらっしゃるので、地域全体のお話に広がっていた。
最初に出してもらった園児バス置き去り事件であれば、具体的な場面が描けるが、地域コミュニティの希薄化として拡げてしまうと途端に抽象的になってしまう。 園児のことが発端であるならば、そこにまずは焦点をあててみる。法律で規制する以外にも、報道でもあったように園児の危機対応力を高めるやり方もある。
コミュニティの希薄化が問題と思うのであれば、その具体的場面を選んで課題解決ワークの素材として考える必要がある。あるいは家族や地域のコミュニケーションを増やしていくことが課題ということなら、例えば5時で帰れるようなコミュニケーション休暇をみんなが取れるようにするとか、労働形態などを絡めた解決策もある。

(Dさん【誰でも寄り合える場を設けてほしい】へのコメント)
尾張旭市には、小学校9つの規模に14もの老人憩いの家がある。老人憩いの家は高齢者限定なので、この限定を解除して、孤独な子育てにも開放すれば、両者の交流に活用できるのではないかと思っている。
あと、私は市内に大きな公共施設を作るときには、ロビースペースも作ってほしいと提案している。公共施設は貸室を予約した人が訪れる場所となっているが、ロビースペースがあれば、誰でも立ち寄れる場所になる。喫茶店や居酒屋はそこに行けば誰かに会える場所。まちの中にも、そこに行けば誰かに会えるような交流施設が地域ごとにあるといい。そこにフォーカスするのが素晴らしい。ぜひ提案しましょう。

(Eさん【校則を市内で統一して欲しい】へのコメント)
とても整理されていて素晴らしい!  整理されていたように、 ①学校によって校則に差がある点が問題だと思う場合、差はあっても、内容に共感できるものであればいいのではなく、内容によらず、差があることが問題だということになる。 ②厳しい校則そのものを問題だと感じていることが発端であった場合、他校との比較に引っ張られてしまいがちになるが、こどもを尊重した内容にしたい、という点でワークをすすめるといい。 ③校則の内容の良し悪しではなく、こどもたち自身で決められないこと自体に問題を感じている場合は、そこを解決していく方策を描いてみる。というように、自分の違和感の中心がどれなのか、向き合って見極める必要がある。そのための分かりやすい整理となっているのが素晴らしい。
校則をゆるめたときの問題点として、周りを困らせる行動をする人が出るかもしれないということも挙げられたけれど、それって大人の都合。私には4人こどもがいるけれど、4人一緒に車で移動するときは、車から降りる前に、駐車場へ飛び出さない様に毎回伝えるなど、先を読んで羊飼いのように注意する(笑)。でも、もしこどもが一人だけなら手をつなげばいいだけ。学校は大勢のこどもがいるから、ルールを作ってそれに従わせると便利。そのときに、問題は例えば学校の先生が増えると解決するのか、増えたとしてもこどもは先生に従うものだと思ってると解決しないのか、課題の所在によって、解決策も変わりそう。
Eさんは、おかしいと思うことを先生にも伝え、市の関係者にも話したけれど変らなかったという経験がある。その上で、課題のステージは4番の犬山市にあると想定してくれたが、もしかしたら県や国も、力になってくれる役割を持っているかもしれない。たとえばこどもの声を聞きますといった大臣がいて、「こどもまんなかフォーラム」というのが作られて、私の娘も参加した。世の中がこどもの権利を大事にしようという流れがあるので、内閣府に提案するという手もあるかもしれない。
まちのことは市議会議員。学校のことは生徒会というように、お話のスイミーも一匹だと食べられちゃうけど、同じ思いの仲間がいるといいということもあるね。

(Fさん【中学校の部活に格差がある】へのコメント)
現状がすごくよくわかったけれど、解決策はどうあるといいと思っているのかぼやけているかな。Cさんの発表でも伝えたけれど、全体の状況を言うと広がってしまう。今ここの状況を変えたい、という思いが、結果として全体を変えていくことにつながる。
Fさんは町全体のことを考えられるとてもいい人。でも、そういう「いい人」が陥りがちな落とし穴がある。気づきというのは、自分がその場所にいたからこそわかるもので、それは自分の強み、キャリアになる。だからその気づきに遠慮しなくていい。コーチに差がある学校に行っている現実があって、だからこそ気づけたことがあって、その中でこうであって欲しいと思うことを大切にしていいと思う。Fさんが考える解決策は何ですか?
Fさん「・・・サポートコーチを入れて欲しい。」
じゃあ、それに絞ってその際の問題点を挙げていって欲しい。
あと、その時に頭に入れておきたいのは、その特定の部活のことだけでなく、立場によって「部活」への「スタンダード」が異なることへの視野を持つといいかもしれない。
男子だけ女子だけの部活があったり、自分の行きたい部活がない場合はお金を払って習い事に行かないといけなかったり、学校によって部活の種目の数が違ったり。そういう不平等もある。いろんな選択肢があるなかで、部活にどの種目を選ぶかというゴール設定も、市内で不平等があれば解決した方がよくて、「犬山スタンダード」みたいなものがあるといい。それは校長案件というよりは教育委員会案件。
たとえばこの学校では着替えが4年生から別室で、この学校は1年生からだったとしたら、それには明らかに犬山スタンダードが必要だと思うよね。犬山のどこに住んでいても、受けられるサービスがどこまで一緒なのがよいかを自分の中で決めて、それを求めていくのがいいかもしれない。部活には最低何種目あって、運動部と文化部の両方あって、それぞれ何種目あって、練習日も最低限これだけあってとか。
市によって教育委員会の力や考え方がいろいろ違うようだけれど、あまりにも校長任せになって凸凹ができすぎるということがある。犬山の子どもである以上はここまではやって欲しい、その先はそれぞれの学校で、という(ように、2段階に組み立てる)ことが必要なのに、すべて校長任せになってることには問題がある。
でも、そのときに、言葉の定義や伝わり方にも問題があって、ここまでは犬山スタンダードでやっていると、相手方は言っているつもりなのに、受け取る側には全部学校ごとにやっていると聴こえてしまっていたりすることもある。とはいえ、「同じ市内のA中学校では紺の靴下でよくてB中学校では白しかダメというのがあって、それは校長判断ですと言われてしまった」という話を聞くと、そこは犬山スタンダードとして考えるところだと思う。

「わたし」だからこそ気づける課題

それぞれの問題に応じてもえさんは当意即妙のコメントと提案を返します。みんなは新たな視点にほーっと感心したり、問題解決の糸口が見えてきたり。それを受けて、自分の考える問題を一つに絞り、さらに吟味、分解して考えてくるというのが次回までの宿題となりました。

そのときに忘れてはならないのは、自分だからこそ気づける課題というものがあるということ。その気づきは、不平等や差別や困り事から生れるものかもしれないけれど、自分の強みでもある。それを軸にスタートすることで、問題点がはっきりしやすい。大きな課題設定は、焦点がぼやけてしまい、実質的な一歩を踏み出す足がかりにはなりづらいことがある。

「わたし」の不便、不自由を、自分だけのわがままや自己責任にしまい込むのではなく、突き詰めて考えてみる。その背景にはきっと社会の仕組みや課題が見えてくるはずです。

次回は、今ある問題の背景にある情報を調べることで、それを「行政視点」へ変換する作業を行います。上位目的に引き上げることで、「公益」のテーブルにのせることができる。その作業を一緒に行ってみたいと思います。

自分の問題は社会化できる。そのための手段は一つではなくて、でもきっとどこかに手がかりはある。そうしたことを実感できる充実した時間でした。

講師の大島もえさん、ご参加のみなさま、ありがとうございました。

(みんなの社会部 ミナタニ アキ)


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