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2022 水瓶座の言葉 チャールズ・ディケンズ ┃自分たちが考える「普通」を超えた先にあるもの

占星術における12サインは、12か月の季節の移り変わりに照応し、その時期に感じやすい心のテーマがあります。心理占星術家nico (ニコ)が、古今東西の著名人の言葉から12サインそれぞれの象徴を見出し、心理的葛藤と成長を考察したエッセイ。

2022水瓶座期は、イギリスの文豪ディケンズに注目。
代表作品「二都物語」に記された言葉から、死後150年を経たいまでも根強い人気を誇る理由を探り、不動サインが目指す時代を超えた価値、風のエレメント・水瓶座が求める知性とは、なぜアンビバレントと揶揄されるのかを考察します。

心理占星術家nicoが選んだ今月の言葉は...

水瓶座の言葉

最良の時代にして、最悪の時代だった。知恵の時代であって、愚昧の時代だった。確信の時代ながら、懐疑の時代だった。晴明の季節でありつつも雲霧の季節、希望の春にして絶望の冬だった。行先は満ち足りて何一つ欠けることなく、しかもなお空漠は果てしなかった。人はみなまっすぐ天国に向かい、それでいて正反対を指していた。

ディケンズ著「二都物語」より

 二都物語は、1775年末から1793年頃までのフランス革命前後の動乱の時代を描いた物語である。1781年に天王星が発見されたことを考えると、二都物語はまさに水瓶座・天王星的な物語と言えるだろう。

 このように水瓶座は時代意識を敏感に感じ取るサインと言われることが多々あるが、冒頭の引用テキストを読む限り、ただ「先の見えない時代」を予見しているだけではなさそうだ。
 つまり、これは、ある時代からある時代に流れが移り行く際、どの時代に対しても言い得る普遍的な時代意識であることがわかる。なぜなら、この言葉は、今、まさに私たちが生きている時代そのものをも表現しているようだから。

 前述の言葉には続きがある。

つまるところ、当節といかにもよく似た世の中で、口やかましい一部の識者は、この時代を理解するには良きにつけ悪しきにつけ、最上級の言葉の対比に照らすほかはないと説いた。

ディケンズ著「二都物語」より

 2番目のサイン牡牛座から始まり、5番目のサイン獅子座、8番目のサイン蠍座と続き、そして最後の不動サインがこの水瓶座である。

 不動サインをよく価値や価値観として解釈する、その成長のステップを見てみよう。
 まず、2番目のサイン:牡牛座の段階ではまだ世界が拮抗しており、「あなたー私」「あちらーこちら」と区別することで個人の存在が生まれる。
 次の獅子座では、「これが私」という価値の相違が鮮明になることで明確な個性が確立され、8番目のサイン:蠍座で離ればなれになった世界、「あなたー私」「あちらーこちら」の価値が融合され、最終的に11番目のサイン:水瓶座の段階で「あちらとも言えるしこちらとも言える」「だからこそ、すべてが等しい」といった全体を理解しようとする知性を手にすると考えられるのだ。

 水瓶座があまのじゃくと表現されるとしたら、そういうことなのかもしれない。「白」と言われると「黒」のような気がするし、「幸せ」と言われると「不幸」な気もする。実際、物事にはどちらの可能性もあるのだ。

 このようにどちらの側にも立つことができる自由な精神を持つことができるからこそ、売れっ子作家になった後でもディケンズは大衆の側に立つことを選んだ。

 それはなぜか? 

 他の選択肢を持つ自由のない大衆、「あちらーこちら」「貴族階級―労働者階級」「だから、自分たちはこうしか生きられない」と思い込み精神を閉ざしたイギリスの労働者階級を無知から解放したかったのではないか。「こちら」だけではなく「あちら」の人生を生きることもできる可能性、そういった意識を刺激し、鼓舞し、生きる希望を与えたかったのではないか。

 ディケンズを死に追いやったといわれている晩年の公開朗読という活動――自分の作品のドラマチックな部分を取り上げ観客の前で朗読する。作家仲間たちは、功なり名を遂げた作家がそんなことするのはみっともないと止めたという――に駆り立て、大衆の心に接近し、揺さぶろうとした――これこそが、水瓶座の神話「神から光を盗み民衆に分け与えた」というプロメテウスの神話に他ならない。

 冒頭の言葉に戻ってみよう。

最良の時代にして、最悪の時代だった。知恵の時代であって、愚昧の時代だった。確信の時代ながら、懐疑の時代だった。晴明の季節でありつつも雲霧の季節、希望の春にして絶望の冬だった。行先は満ち足りて何一つ欠けることなく、しかもなお空漠は果てしかった。人はみなまっすぐ天国に向かい、それでいて正反対を指していた。

ディケンズ著「二都物語」より

 水瓶座の季節はもっとも盛冬でもあり、もっとも陽光の純粋な熱を感じられる季節、暗さの中に明るさをもっとも感じられる季節である。いつだって、ある価値の反対側には別の価値が存在しているものなのだ。

 先の見えない時代だからこそ、私たちはもっとも純粋な希望の光、熱、明るさを感じることもできるはずなのだ。絶望の冬の先には希望の春が待っているのだ。これがもう一つの水瓶座の神話――パンドラの開け放った箱の中にある災い(暗闇、恐れ、無知)を開放し、希望、知恵、啓示を手にする神話のように、私たちは今こそ、精神の自由、新たな可能性を手にする時がきたのだ。

 そのためにも、それぞれにそれぞれが信じている価値の先にある価値、まさに反対側にある価値に気づき、自らを解放する必要があるだろう。

 決して頑固にならない心を持ち、決して飽きない気質を持ち、そして決して感情を害さない器用さを持て

ディケンズ著「二都物語」より

 こんなディケンズの言葉を頼りに、水瓶座期は、どんな不安をあおるニュースが飛び込んできたとしても、自分の思考癖にはまり暗さに沈むことなく、不安になったときこそ逆転の発想に手を伸ばし、知性の可能性を広げてみるのはどうだろうか。そしてできれば、孤独に陥ることなく、こんな考え方もできるのではないかという発想の転換を多くの人たちと共有し、対話や議論を活発にしてみてほしい。

 もしかしたら、私たちの閉塞した世界にすがすがしい風が吹き抜け、その時にようやく、あらゆる価値の重要性――自分自身から一度は切り離された無価値だと思えたもの、不条理だと思えたものを取り戻し、「あちらーこちら」のどちらか一方を放棄するのではなく、自分たちが考える「普通」を超えた先にあるもの、両者のどちらも維持するという思想の構造が自らの中に形作られ、本当の意味での多様性という世界を生み出す力を手にすることができるかもしれない。

 つまり、水瓶座とは真に成熟した知性の完成を目指すサインなのである。

チャールズ・ディケンズ

1812年2月7日ロンドン生まれ。水瓶座に太陽を持つ。

ヴィクトリア朝時代を代表する小説家であり、下層階級を主人公とし弱者の視点で社会を諷刺した作品を多く発表した。親が借金を抱え、ロンドンのスラム街で少年時代を過ごす。法律事務所の使い走り、速記者などをしながら大英博物館に通って勉強し、新聞記者になる。ジャーナリストの目で社会を凝視した作品は大衆に大いに歓迎された。代表作に『クリスマス・キャロル』『オリバー・ツイスト』『二都物語』『大いなる遺産』などがある。

wikipedia


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