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思い描いていた「24歳」になれなくても。

結婚はしていないにしても、きっと良きパートナーには出会っているだろう。仕事も頑張っているはず。

中学生のときの私は、24歳の自分を、そう想像していた。

ただ、そううまくいかないのが人生だ。
まさか、24歳になる年に大学生をしているとは想像していなかったけれど。


私は、自分のことを「遠回りした」とよく言うけれど、決して、そのことをネガティブには捉えていない。


ポジティブにも捉えているわけではないが、
でもこの回り道は、自分には必要なことだったと思えている。


高校3年生のときに、次々と進路を決める友人たちを見て「なんでそんなにすぐに自分の進路を決められるんだろう」と、心から周りの友人を「すごい」と思った。


結局、流されるがままに大学に入学した私だけれど、入学式直後に「やってしまった」という感情が湧いた。


ただ、入学直後に大学を辞めるわけにもいかない。まずは夏まで。


「もしかしたら大学で熱中できることが見つかるかもしれないし…。」
そんな淡い期待も、抱いていた気がする。


結果、教授やキャリアオフィス、他大学や専門学校など、いろいろな場所を訪れた結果、私が選んだ決断は「中途退学」。


半年をかけて決めた自分の決断ではあったものの、久々に帰省した娘から「中途退学のプレゼン」をうけた親の気持ちは計り知れない。ただ、一切否定せずに受け入れてくれた両親を
自分の親ながらにすごいなと思うし、深く感謝している。


そんなわけで「ここからは自分の決めた道を進むしか無い」という状況に置かれた。


「自分で決めたことを、正しいものにするしかない。」

そう思った私は、一度海外に出ようと思った。
それは、私の長年の夢でもあり、自分なりの決意でもあり、親を頼らずに生活するぞ!という覚悟でもあった。


生活費も貯金も、自分で稼いでいくぞ!と、ちょっと大人になった気持ちで行ったオーストラリア。


しかし、日本ですら幼く見られがちの私が
海外で大人っぽく見られるわけもなく。
(そりゃそうだ、当時はぱっつん前髪にみつあみだった。ツインテールもしてたっけ…汗)


印刷したレジュメを持ち歩いて、
いきあたりばったり配る日々。


運良くお仕事を頂いて、レストランで働いた。


家賃・生活費・娯楽・旅行代・貯金
…成人前に、自分でやりくりすることの大変さを学ぶことになる。
そして、それまで親に甘えっぱなしだった私なので、これは本当に良い経験だった。(未だに貯金は下手)


そんな過ごし方をしたオーストラリアでは
ただ、お金の大切さだけではなく

・生まれ育った文化が180度違う人たちと、
 暮らすこと働くこと
・頼る人がいない海外で生活するということ
・愛おしいという感情
・これまで自分のいた世界が、
 どれだけ小さい世界だったのか


たくさんのことを、学んだ。


それと同時に、自分がどれだけ無知なのかということも痛感した。


1年のワーホリを終え、日本に帰国。
ワーホリ中に感じた「いまの私に必要なこと」を改めて見つめ直し、東京にある専門学校に入学することになる。

英語とビジネスを学んだこの学校では、
はじめて「学ぶ」ことの楽しさを知った。


それまでの学生生活では、どれだけ受動的だったんだろう‥と思うほどに、「学ぶ」ことにひたすら能動的になった私は、大学という場所にもう一度いきたいと思うようになる。


そして、2019年。
同級生が続々と就職先を決める中で、
私は大学に編入学するための試験対策をした。


そのときは、周囲が大学を決めたときに抱いた
「みんなすごいなあ」という感情ではなく
「わたしは、わたし。」
という感情が大きかった気がする。

そして、いまは「3年次 秋編入学」生として
大分にある大学で、学んでいる。


有り難いことに、人に恵まれて、環境にも恵まれた。「自分がこれから向き合っていきたいこと・カタチにしたいこと」にも出会えた。


そんな私は、半年後の今年9月に卒業を控えていると同時に、もうすぐ24歳。


中学生の時に思い描いていた「24歳」にはなれていないが、それでも、まあまあ今の自分に満足している。


やっと、高校3年生の自分に1つだけアドバイスできる気がしている。

「とにかく、自分の直感を信じること。」

そう伝えて、背中をポンッと押してあげたい。

「24歳、想像以上に、楽しいよ。」

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