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「殺してもいいヒト。」/ショートストーリー

「ああ。」と夫がため息をついた。
朝食をテーブルに出しながら、わたしは眉をひそめた。
我が家ではふたりで食事するときはテレビ禁止なのだ。
それなのにだ。夫ときたら。

「ちょっと、テレビは。。。」と言いながら、わたしも画面から目を離せなくなった。
アナウンサーがごくごく普通な調子で、ある国の紛争の始まりを告げて
その悲惨な状況が画面いっぱいに映し出されていた。

わたしはすぐにテレビを消した。
「朝食時にふさわしくないし、一緒の時はテレビ禁止でしょう。」
「君は相変わらずドライだな。」
そうね。わたしはドライなのかもしれない。
「あなたはわたしと違って熱いひとだものね。」

夫はどんなちいさなことでも一生懸命に考えるタイプだ。
それが、世界平和というおおきな問題でもだ。
自分でなにができるのかと考えて行動しようとするが、普通のサラリーマンである夫は正直募金するぐらいで終わる。
それでも、そういう夫が愛しいと感じる。
世の中にはまるで無関心なひと達だってたくさんいるのだから。
それは良いとか悪いとかを超えているような気がする。
この国では紛争や戦争なんて、ドラマのようにしか感じられない。
ある意味、とても平和な国なのだ。
実態はともかく。

「こういう独裁者みたいなやつは死んでもいいんじゃないか?」
夫が物騒なことを言い始める。
「A国あたりが暗殺とかしてくれれば、一気に解決できるんじゃないか。」
わたしもため息まじりに口を開いた。
「休日の朝の話題にしてはどうなのかしら。」
「だって。下手すると核兵器も辞さないらしいじゃないか。」
「ねえ。こういう議論は嫌いじゃないけれど。明後日、わたしその隣国に通訳として出張するんだから。やめて欲しいの。」
「だから。心配なんだよ。」
「ありがとう。心配してくれて。ちゃんと無事に帰ってくるわよ。危なそうだったら、さっさと逃げてくるから。」

夫はまだ何か言いたげだった。
が、そんなに単純な話しでもないことは夫も理解しているのだろう。
その話はそこまでになった。

独裁者とか呼ばれているひとたちについて死んでほしいと心の底から願う人たちはたくさんいるのだろう。
でもと思う。
死んでもいいヒト。
殺してもいいヒト。
そんなヒトたちは本当にいるのだろうか。

わたしはいつもターゲットに照準器を合わせながら、自分に問いかける。

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