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マーダー・ライド・コンフリクトPart3/6

 前回までのマーダー・ライド・コンフリクト

 ニック、「du Anaye」は唯でさえ高いのに。
「『戸張ヒバリ』よ」
「サト、気が早いんだよお前は」
 声がデカけりゃタッパもデカい女。
「お肉食べなさい!」
 ヴァレリアンは黄峻のお気に入り一位だが、勝ち目が無い。
 [静かに。]
「通り魔は成功体験が続くとどうなると思う?」
「どうなるんだ?」
「『家の中に入ってくる』のよ」


 昔から、彼は人を驚かすのが好きだった。かくれんぼをして最後には飛び出して鬼を驚かせたり、背後から飛びついて待ち合わせていた友人を驚かせたり。「わあ! おどろいた!」という反応が好きだった。誰でも良いからびっくりして欲しかった。
 人を刺したとき、相手がとても驚くから人を刺すのが好きだった。すれ違いざまに、ナイフを腹や胸に突き刺した時のあの顔といったら、どんな驚きの中でも一番の顔だ。彼はそれが好きだった。ネタばらしをするのは自分自身でなければならないのだから、刺した相手は確実に死ぬ必要があった。
 夜の住宅街は彼の良い狩り場だった。日が落ちて、夜の八時過ぎにでもなれば人の目など何処にも無い。薄暗く細い路地。車の通行を妨げるガード。カーテンを締め切った家々。誰もいない通り。街灯があまりにも少ない。犬を外に繋いでおくこともしない都会の住宅街。暗くて閑静で、ゾッとしてしまうほど不用心な住宅街。其処を歩く住民は、スマートフォンを歩きながら操作して、Bluetoothイヤフォンを両耳にしっかり嵌め込んでいる。これが「襲ってくれ!」という合図でなければ一体何なのか。彼は住宅地が好きだった。住宅地ばかりで人を刺した。人を刺した後は夜明けを迎えるまで散歩して帰宅するのが好きだった。
 その内、「通りで刺す」という行為に飽き始めた。あの一瞬の驚きに飽きは来ないが、自分のやり方に飽きが来た。ただ「通りすがりに刺す」だけなんて、手抜きなのではないかと思い始めた。
 もっと人を驚かせたい、と彼は思った。思い付いたのは「家の中に知らない人がいる」というシチュエーションだった。きっと今までに無い驚きがあるはずだ。彼はそう確信した。神は彼に創意工夫の精神を過度に与えていた。



 ピッキングは難しいと判断した彼は素直に街の鍵屋から鍵を買うことにした。世の中には悪い鍵屋がいるもので、女が合鍵を造りに来ると勝手にもう一本造り、顔写真と住所付きでそれを売るのだ。悪い奴だなぁ、と彼は思いながら買った鍵を使って独り暮らしの女のマンションへと忍び込んだ。住人が朝、会社へと向かっていく姿をしっかりと確認した彼は部屋の中へと入った。土足で上がるような失礼な真似はしまいと靴を持参したビニールカバーで覆い、物が散乱した狭い1Kの部屋に上がり込んだ。
 ベッド下に隙間があった。丁度良いやと彼は潜り込む。冷房が切られた部屋にはまだ冷気が残っている。恐らく彼女が帰る頃には室温が上がっているだろう。この時期にこのやり方はキツいが、彼には忍耐力と健康な体とカロリーメイトがあった。一日くらい平気で人の部屋に隠れられる。期待で胸が一杯だった。
 一時間、二時間、と時間がどんどん過ぎていき、恐らくもう昼過ぎといった頃。かちゃん、と部屋の鍵が開く音がした。この部屋に住んでいる女が会社から帰ってくるにはまだ早い時間だ。会社を早退でもしてきたのだろうか。訝しむ彼を余所に、静かな足音が近付いてきた。足が見えた。それと、コートの裾だ。彼女はコートを着ていなかった。そもそも、今は「8月」だ。真夏も良いところだ。どうしてこの時期にコートを着ているのか、彼には皆目見当が付かない。何が起きているのか、全く把握出来ない。
 その足はベッドに近付くと、向きを変えて彼のほうに踵を向けた。それからベッドが軋んだので、寝台に腰掛けたことが分かった。彼は考えた。この足は誰だろう。考えられるとすればこの部屋の鍵を持っている人間だ。誰だろう。住人の家族だろうか。恋人だろうか。それとも、自分と同じように鍵を買った人間だろうか。
 彼が考えていると、ぎしり、とベッドが軋んだ。
「・・・・・・ええ? なんだよ・・・・・・そんな今更な話を今すんのか? ・・・・・・女の腐ったような奴じゃあるまいし。サト、お前は・・・・・・」
 話し声が聞こえた。ボソボソと何か話している。誰かと電話をしているのだろうか。テレビは点いていない。
「ハハ、ええ? なんだそりゃ? あんなメスガキをオウシュンが気に入ると思うのか?」
 ボソボソと話し声は続く。彼には正体が分からない。どうしてコートなんか着ているのだろう。
「全く、ホント今日の仕事はくだらねぇよな。相手は救いようの無い馬鹿で、おめでたい野郎だぜ?」
 ボソボソとまだ喋っている。不思議なイントネーションだ。日本語の上手い、外国人のような。
「マジで興味が湧かねぇ。こんな美学も何も無いカス以下の奴なんかつまんねぇよ。殺す価値もねぇ。サト、お前もそう思うだろ?」
「[さっさとやれ]」
 ちがう声がした。それからまた、ベッドが軋んだ。ドクドクと自分の心臓が脈打っているのが聞こえた。何かがおかしくて、不安になってきた。彼は息を潜めて、瞬きを堪えた。ベッドと床の隙間が彼の視界で見える範囲の全てだった。足とコートが見えて、雑然としている室内が見える。靴を履いたままの足とコートが上へと消えた。またベッドが軋む。それから、逆さの顔が覗いた。顔の上半分が、ベッドの下を覗いていた。かちり、と左目だけが外側を向いて、また彼を見た。
「はろぉ」
 若い、高校生くらいに見える日本人だった。
「よぉ、ブロー。楽しそうだな、かくれんぼかい?」
 少年は「そんなところにいないで出てこいよ」と言った。日本語が上手い外国人のような喋り方で。
「俺と遊ぼうぜ。部屋を汚したくないんだ、面倒はゴメンだ」
 顔の上半分しか見えない。少年は逆さまになってベッドの下の彼を覗き込んでいる。少し長めの黒い髪が重力に従って垂れている。その中に埋もれた白い顔が彼を見ている。
 彼は生きてきた中で感じたことのない、震撼というものを覚えた。
「さっさと出てこい。清掃業者呼ぶのは面倒だが、これ以上手間取ると流石にな」
 少年の右目がかちり、と外側を向いてまた彼を見た。
「[つまんなーい、はぁーやぁーくぅー。退屈で死んじゃうよぉー]」
 少年の左目がかちり、と外側を向いてまた彼を見た。
「サト、寝てんじゃねぇこのクソ馬鹿。ちゃんと自分の仕事をしろ」
 部屋には彼と少年しかいないはずなのに、聞こえる声が多い。ベッドの上にもう一人いるのだろうか。そう思った彼は、一先ず降参することにした。この不利な「ベッド下」という場所から出るためだ。両手を見えるようにして、彼は少年に言った。
「わ、分かった、分かったから! 今から出て行くから、な、何もしないでくれ」
 少年は「OK」と返してベッドから降り、玄関から一番遠い部屋の隅に立った。彼はゆっくりとベッドから這い出す。一瞬、頭を出すのを躊躇った。慎重に頭を出す。何も起きなかった。
 ゆっくりと立つ。草臥れたトレンチコートを着ている少年はリュックを背負っていた。やはり高校生くらいに見える。日本人の少年だ。少年はゆっくりと彼を値踏みする。頭から爪先までじっくりと。無表情のままに。彼は手を挙げないでおいた。いつも使っているナイフをベルトの腰側に差し込んでいる。早く手を伸ばしたかった。
「なんだ、普通のガキじゃねぇか。マジでつまんねぇな。ケツの青いガキだよ、サト。お前と同じだ」
 少年は不思議な喋り方を続ける。少年は小柄だ。力で押し切れるのではないかと思った。彼は緩慢に動く。少年に躙り寄りながら自分のナイフへと手を伸ばす。少年は気付いていないのか、無表情のままだった。
「君は、なんでこんなとこに来たんだ? この部屋の人はお姉ちゃんか誰かかい?」
「ハッ! ハハハッ! 聞いたか!? この変態はシラ切るつもりだぜ!? ハハハ!」
 少年が表情を変えないまま笑い声を立てる。抱腹絶倒という笑い方を直立不動でしている。涙が出そうだ、と言いながら表情は一切変わらない。まるでストリーミングに失敗したような。異質な空気に気圧されそうになる彼はその感情が体に追いつく前に足を踏み出した。
 腰のナイフを抜いて床を踏み蹴る。二歩目を踏む前に少年の間合いに入る。刺突。少年の胸に突き刺す。もしくは腹。彼の頭の中で思い付いたのはそこまでだった。
 少年は半身僅かに反らして迫るナイフを避けた。そのままナイフが握られた手を掴んで後ろへと引く。余りに強い力で握られたせいで彼の口から呻きが漏れる。勢いが更に加速した彼の体は少年にぶつかろうとする。そのまま押し倒してやろうとした彼だが、少年は開いていたもう片方の手を握り、男の鳩尾に間髪無く拳を入れた。的確に胸骨を捉えて連打された彼は息が止まる。床に叩き付けられる。転がった体が戸棚にぶつかって飾られていたインテリアが床に落ちる。
「一応カウント取ってやろうか? ワーン、ツー、スリー、立てよ負け犬、フォー、ハハッ、ファーィブ」
 馬鹿にしたような少年に怒りが湧く。彼は立ち上がろうとした。しかし少年が彼の顔を蹴った。固い爪先がこめかみにめり込んだ。立てない。視界が明滅している。痛みが強くてろくに喋れない。少年がとんとん、と爪先を床に当てて靴を履き直す。
「雑魚以下だな。素人とヤるのは盛り下がるぜ、サト。あ? アー、そうだな」
 少年が誰かと話していた。
「高い場所から落とすとな、人間の骨って粉々になるんだぜ? 知らねぇのか? CSIってドラマ観たことねぇの? マイアミ編」
 誰もいないのに誰かがいるように話している。揺らされた脳味噌が落ち着いてきた彼はどうにか蹲る。ナイフは何処へ行ったのか分からない。
「折角だからやろうぜ。面白そうだし」
 鼻唄を歌いながら、少年が彼の体に手を伸ばす。振り払って掴みかかろうとした彼は顎に拳がクリーンヒットしてあっけなく気絶した。



「Oh,say you see・・・・・・What so proudly we hailed・・・・・・」
 アメリカの映画でよく見る、酔っ払いが歌うような国歌が聞こえた。気付けば彼は狭い何かに体を押し込められていた。単調な揺れ方をしている。何処かに運ばれているようだった。
「は、えっ、な、なん、は!?」
 驚いて体を揺らすと鼻唄が止まった。
「お目覚めだなぁ」
 あの少年の声が聞こえた。彼は暴れた。だがあまり意味が無かった。彼は何処かへ運ばれていく。
「おい! 俺をどうするつもりだ! 早く此処から出せ!」
「そう慌てなさんな。もう少ししたら出してやるから」
 馬の背にでも乗せられているような揺れ方だ。誰かが彼の入った、スーツケースだろうか、それを背負って歩いているようだった。
「おい! 出せ!」
「堪え性がねぇな。俺がお前くらいの歳でももうちょっと我慢が利いたぜ?」
 また鼻唄が始まる。もう質問に答える気はないようだった。彼がどれだけ騒いでも意味が無いようだった。何処へ連れて行かれるのか。何をされるのか。分からない。何も分からない。不安と恐れが波のように絶え間なく彼に押し寄せる。それを助長させるように軽快なメロディの鼻唄が聞こえる。
 どれだけそうしていたのか、どれだけ長く運ばれたのかは彼には分からない。暫くするとスーツケースの揺れは収まり、スーツケースが何処かに置かれた。
「結構距離あったな・・・・・・そう怒るなよ、サト。たまにキツい運動した方が健康に良いぜ?」
「だ、出して、出して下さい、お、お願いします、お願いします・・・・・・」
「んー、なんか随分と参っちまってるなぁ? あんなに威勢良かったのによ」
 少年の笑い声が聞こえた。彼はもう辛くて怖くて堪らなかった。早く外に出して欲しかった。「いいぜ、出してやるよ」と声がした時は涙が出そうだった。
 がちゃ、と音がして、光が見えた。それから青。浮遊感。
「え、」
 彼は放り出された。遙か下方にコンクリートの地面が見えた。ウミネコが鳴いている。タンカー船。潮騒。海。青い空。上方にクレーンのオレンジ色に塗装された端。トレンチコート。二枚貝のように開いたスーツケース。ガントリークレーンの上から放り出された。彼がそれを理解して、長い悲鳴を上げながら落ちる。それでも少年の鼻唄よりは短かった。地面に激突すれば彼は中身の詰まった麻袋に変わる。全身の骨が砕けてお手玉のようになる。
「オウシュン、アイツの耳はいらないのか?」
 晴天の下、海鳴りが哄笑のように響いている。
「[いらないよ]」
 少年の会話はもう彼には聞こえない。




 ヒバリは貧困層の生まれだった。名前さえろくに与えられない家に生まれた。不法移民や浮浪者、日雇い労働者の多い土地の生まれだった。子供の頃から大凡の常識から外れた場所で生きていた。
 彼女は十二で金欲しさにヤクザの事務所を荒らした。結局捕まった彼女はヤクザに嬲り殺しにされ掛けた。そして折角だからと金持ちの小児性愛者に売られた。彼女を買った豚のような小児性愛者は「えーやだ、顔が可愛くない。十歳過ぎとかババアじゃん。無理。ブスなババアは無理」と言い、退屈凌ぎで飼っていた土佐犬を嗾けようとした。それを止めたのがその小児性愛者の護衛をしていた男だった。「その歳で肝が座っているのは良い、泣かないのもな」と男はヒバリを引き取った。彼女は彼に払い下げられ、教練を受けることになった。適切な知識と礼節と技術を教え込まれた。名前を与えられた。
 以来、ヒバリは人を殺すことを仕事にしている。暗殺者としての矜持がある。分別がある。殺すべき相手、殺してはいけない相手。その区別が付いている。
 だが目の前の相手にはそれが無い、と彼女は思っている。
「アメリカン」
「私も、アメリカンを」
「はい。カフェオレとアメリカンですね」
 絢爛豪華な、異常なレストラン。そのソファ席で真夏にも関わらずトレンチコートを来た少年と対面している。半月前の自分なら「なにそれ。ライトノベル?」と笑っていただろう。今は頭痛しか無い。
「今日はどうしたの?」
 呼び出されて行ってみれば二度と足を踏み入れたくなかったレストラン「du Anaye」にヒバリは来ている。目の前の少年は無表情に彼女を見ている。少年はカチリ、と左目を動かして、口を開くと変な喋り方をする。
「仕事を一つ片付けた。仕事の完了報告って、どうすりゃ良いのか決めて無かったからな」
 コーヒーはすぐに来た。今日は「ショー」がもう終了しているか、まだ暫く先らしい。一先ず安堵してカップを持ち上げる。滑らかな磁器の肌触りに「高級なメーカーの食器なのだろう」と感想を抱く。
「そういえばそうね。考えておく」
 内調で使っている、特殊なサーバーを経由する回線を使わせてやろうかとヒバリは考える。上長に申請すれば許可はすぐに降りるはずだ。上長は目の前でカフェオレが冷めるのを待っている少年を贔屓にしている。例え彼が真夏にトレンチコートを着込んだ、頭が壊れかけている殺人鬼でも、彼の能力を買っている。
「始末した後はどうしたの? まさか死体をそのままにしたわけじゃないでしょう?」
 ヒバリが訊ねると少年は面白がるような口調で答えた。
「まさか。ちゃんと持ってきた」
 コン、と爪先で少年がテーブル脇に置いたスーツケースを蹴った。
「なにそれ?」
「噂の通り魔やってたガキ。綺麗に畳んだら上手いこと収まった」
 持ち込まれた死体にヒバリは溜息を吐く。
「なんで持ってくるのよ・・・・・・」
「掃除屋も最近は割高でな。部屋の清掃だけ頼んだから、発注者負担で引き取ってもらおうかと」
「嫌よ」
 ヒバリがきっぱりと言うと告げると少年はテーブルを指で叩いてギャルソンを呼ぶ。にこやかな表情のスペイン系がすぐにやって来た。穏やかで流暢な日本語を使うギャルソンが「どうかなさいましたか?」と少年に訊ねる。
「なあ、此処で引き取ってくんねぇか?」
 爪先で小突かれたスーツケースにギャルソンは一度だけ視線を向けて、ニコリと微笑んだ。
「お客様、大変申し訳ございません。当店では産廃の引き取りをしておりません」
 少年が舌打ちをする。ヒバリは慌てて口を挟んだ。
「あの、ウチで引き取ります。すみません」
 ギャルソンは彼女の言葉にただ微笑みを浮かべてからテーブルを離れた。死体の扱いが決まったところで、ヒバリは額を擦った。狂人との遣り取りは酷く疲弊する。
「まず一件、片付いたわね。それで? 次はどれにするの?」
 彼女の質問に少年は宙を見る。考え事をしているのか、誰かと話しているのか。
「そうだな・・・・・・さっさと片付きそうなのにするか。スパイとか逃げ回るのが仕事の奴じゃ、探すのが面倒だ」
「いいわ。では、さっさと半グレの頭を潰してきて」
 ヒバリの言葉に少年は「イエス、マム」と返答する。ヒバリはとにかく、この目の前の異常者に一刻も早く消えて欲しかった。




つづく

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