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"グッバイ・リアリティ"

※本記事の内容は、個人の経験にすぎません


私には、捨てたいのに捨てられずにいる
一枚のセーターがある。

それは、
婚約していたパートナーの実家に
滞在していた時に使わせてもらっていた、
義母のセーターだ。

襟と袖口にレースがついていて、
しかも色はオレンジという
なかなか奇抜なデザインである。

そして胸元には、宇宙感漂う
"GOODBYE REALITYグッバイ・リアリティ"
の文字。

このセーターを見ると、当時の
自分の心境が思い出されてしまい、
捨てることができずにいる。

私が受け入れることのできたものと、
受け入れられなかったもの。
思い出の中には 両方がある。
感謝の気持ちと 申し訳ない気持ちが蘇る。

私のパートナーは日本人ではなかった。

結婚することを決めた時、
将来のことも考えて
一度は彼が育った地域や家庭環境も
ちゃんと見ておきたいと私は思った。

ただ、それだけのことだった。

しかし、この決断は私の人生にとって
思わぬターニングポイントとなる。

なにしろ、彼の母国から帰った私は
彼との婚約を取り消して別離を決め、
10年以上働いた会社を辞め、
家も出ていくことにしたのだ。

結果的に、私はもう以前の価値観のまま
生きることができなくなった。


彼の母国はとても寒く 冬は-25℃前後になる。
私が滞在していた時期は、
雪のない最後の季節らしかった。

見渡す限りの平野から視線を移すと
遠くにやっと見える山々。
そこから力強く吹き付ける冷たい風が、
早くも冬の訪れを告げようとしていた。

向こうで関わっていた人々とのやりとりは、
日本社会のそれとは異なるものだった。

形のしっかり整えられた優しさじゃなくて、
形のない優しさで溢れていた。

屈託のない笑顔。

素朴で正直で、
小細工をしない気持ちよさがあった。

動物的な野蛮さもあった。

そして街には、
超えてはならない一線が
政府によって設けられていた。

その存在が、あたかも
人に物事を追求することを許さず、
散漫な空気を醸し出しているように見えた。

用件を言わないまま、
ずっと雑談をしているような。


結局実家には1ヶ月程度滞在したのだが、
正直に言えば
後半は日本に帰れない可能性を
考えずにはいられなかった。

もちろん、みんないい人に変わりはない。
”人”を疑っているわけでもない。

しかし、
”自分とは異なる価値観●●●を尊重する”
この考え方自体が、
民主主義ゆえのものなのだ。

日に日にリアリティを失っていく
日本での記憶と、
日々家の内でも外でも感じずにはいられない
強烈な全体主義のエネルギーが、
私の心の中で強い、強い警告を発していた。


私にあてがわれた小さな部屋。

からっからに乾いた夕日が沈んでいくのを
毎日そこから眺めていた。

向かいの荒屋には
今にも壊れそうなとたん屋根の下に
犬が1匹繋がれていて、
昼も夜も 嘆くような声で鳴くのだった。

私は
これまでに感じたことのない強さで
”自分の力で生きたい”と熱望していた。

うまくいかなくてもいい、
何かを失ってもいい、
ただ、
身ひとつ。
自分の意思で生きていきたい、と。




今 私がセーターを見て思い出すのは、

イデオロギーが私たちに与える
人生の意味。人権の重み。幸福の定義。

そして、もう会えない義母のこと。




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