見出し画像

西武とセゾングループが結構私を作っていた件

nicoと申します。

よかったら下記からプロフィール記事も読んでやってください。

所用で池袋を通過、西武の看板を見かける

先日、ストライキを行い話題となった池袋西武を車窓からふと見かけたのをきっかけに、昔のことを思い出したので徒然に書いてみたいと思います。

池袋コミュニティ・カレッジ

コラムを書く講座とクラシックバレエの講座に通っていたことがあります。

通い始めたもともとの理由は当時私が池袋に住んでいたからでした。
でも東武ではなく西武を選んだのは、かつての私が西武・パルコのカルチャーにまんまとヤられていたからだと思います。

コミカレのダンス講座全体の発表会として行われていた「フライング・ダンシング」は当時年一度メルパルク東京で開催されていて、私も5回くらいは出演したと思います。

不思議、大好き。

糸井重里さんの西武百貨店キャッチコピーの2作め(1981年)です。
なぜか前年の「じぶん、新発見」はまったく記憶に残っておらず、私としては本作が衝撃だったと記憶しています。

百貨店がこのキャッチコピーで何をしたいのか?させたいのか?
まったくわかりませんでした。
まだ翌年の「おいしい生活。」の方が百貨店コピーとして理解できる気がします。
(なので「糸井さんもわかりやすくなっちゃって〜」と当時17歳の私は嘯いておりましたとさ)

ビックリハウスとJPC

これらは池袋西武というより渋谷パルコなのですが、高校〜大学時代はビックリハウス、スタジオボイスなどを読んでサブカルぶりっこするのが流行っておりました。

デザイン系の大学・専門学校に進んだ友人も多かったので、JPC(日本パロディ展)の出品者一覧に名前を見つけるなどの楽しみ方もしていましたね。

池袋ハビタ館

別館のような形で家具の専門館が池袋に突如登場しました。
私はここで初めて北欧のプロダクトに触れ、好きになった気がします。というか、今回この文章を書くためにいろいろ調べていて思い出しました。

アアルトベースとか、ダンスクの鍋とか、ウェグナーのYチェア、ヤコブセンのアリンコチェアとか。

うわ、そうなのか、私の北欧好きもセゾンに埋め込まれたものだったんだ…
恐ろしや。

バブル前夜の訳もない高揚

なぜ、あの頃はあんなに高揚していたのでしょうね。
そのくせ何か言われるのではないかとおどおど、びくびくしていた気もします。

バブル時期を知っていたる世代が、だんだん現役ではなくなる頃に、そごう・西武が売却されたのも何か意味があったのかもしれません。

お読みいただきありがとうございました。
ではでは。

よろしければサポートをお願いいたします!いただいたサポートは書籍の購入費として使わせていただきます。