花が言うには

私はごくごく普通の、何もなさがいいところの田舎で育った。
隣の家まで歩いて5分はかかり、その家も自宅からは全く見えない。
見渡す限り野山。

稲が綺麗だけど、稲の花アレルギーなの

友達の家までも数kmあったので、行くのが面倒で、遊び相手は自然。
自然の美しさを堪能した幼少期だったなぁ。贅沢だったねー。
その頃は何をどうした訳でもないのに木と話していた気がする。
話すというより「感じ取っていた」という感じだけど。
「ここに登ってごらん」とか言ってくれるんだ♪

今は東京で生活していて、コロナもあり、この3年は実家へは帰っていない。
田舎なので、東京から人が来た、となると両親が村の人たちから避けられるので、ややこしくなるから来てくれるなと言われたし、そういうことも承知していた。
私は実家のあの木に会いたくて仕方がないのに、両親はメールなどできず、ネット環境もなく、もどかしい。

コロナで仕事が出来ずにいたとき、沢山本を読んだ。
その中に馬カフェを経営している人が書いたものがあって、そのお店では乗馬は勿論だけど、馬に人生相談できる、と。
カフェのオーナーさんが馬が答えることを人間が理解できる言葉に訳しなおして教えてくれる。
今住んでいるところから割と近かったのですぐ予約して行ってみた。
乗馬後、「何か訊きたいこととかある?この子が答えてくれるよ」とオーナーさん。
大して悩みと言うほどのことはなかったけれども、何年か前から心に引っかかっていたことを訊いてみた。
ぶっは!おもしろ!!
馬のマリヤちゃんは、声に出さないけど口はもぐもぐしてる。
わかっている感じなの!私の言ったこと!
オーナーさんがえ~と、と訳して話してくれた。
・・・ん~、そうね。。。もう、それしか言えない。
人間に相談乗ってもらうよりも効くわ!
アニマルコミュニケーションといって、これは誰にでも出来るのだそうだ。
で、その講座がちょうど数年ぶりに開催されることになったので、受けた。

動物や植物とつながる感じは、実家にいた頃の木と話している感じそのものだった。
25万もかけて子供の頃やってたことを大人になってやり直すとはね!!
あんな儀式的なことはしてなかったけど、繋がれてたんだから子供の頃はヘンなものが入ってなかったんだね。

アニマルコミュニケーションというけど、植物や、岩など、何とでも話せる。
私はやっぱり、木と話すのがとても得意だ。
木はすごくて、人間や動物とも違う。
どっしりしてて、つながると安心する。
木や岩はそれぞれ自立していながら周囲ともつながっているみたいな、何とも言えない心地いいものが流れてる。
受ける感じを一言で表すと「あたりまえだ~~」(←あ、これは感じる人の表現力によります)
全てを受け入れてる感じです。

数日雨が続いたある日、雨で濡れそぼった芙蓉の蕾を見た。
花弁は透明になっている。
この花はもううまく咲けないだろう。
この花が生まれた意味がないようで、悔しいのではないかと思ったから、訊いてみた。

言ったのはこのお花じゃないけども

「そんなもんでしょ」
だってー--!!!やっぱり自然てすごいよね、ホントにすごい。

何になれるような才能もないけど、何か出来るような気がして、でもできないような気もして、何もしてないのに落ち込んだり、人に八つ当たりしたり。
何かにならなきゃいけない気がして焦りつつも今日も一歩も踏み出せず堂々巡りした。そんな人間。ちいさ~~!
自然を見習わなきゃなぁ。。。

何かになる必要はない。
いつもNOと言っているのは自分だけなのに、自分に振り回されてるなぁ。
自然とつながる時間を増やしたいな。
まだまだ教わることがたっくさんありますからね♪




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