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台風10号、はじめての避難

2020年、9月6日。

人生で初めて自然災害の危険をリアルに感じた日。

県民性もあるのかもしれないが、台風10号に対して呑気に考えている私以外の家族をどうにか説得し、避難場所にきた。

祖父は私が目を離した隙に雨が止んでいれば外に行こうとするし、母は「死ぬときは死ぬのよ」と話してくるし、本当に死ぬ場面に直面したら逃げるんじゃないのって思いつつも、はいはいと軽く受け流していた。

しかし、家族の命を守るためにヤキモキしてしまい、きっと自分以外の不安や焦りで頭がいっぱいになったのは「睡眠不足のせいだ」と何度か心を落ち着けたり、感情のコントロールをするように努力した。

東日本大震災も豪雨災害もニュースで見てはテレビ越しやスマホ越しのどこか自分とは離れた出来事のように少し思っていた。

でも、今日避難場所に移動する際に
「突風が吹いたらどうしよう」
といった命の危機が頭をよぎったり、
「いつ帰れるのかな」
といった先の見えない漠然とした不安が襲ってきた。

きっと被災者の方々はこのような不安を感じ、ある人は大切なだれかをなくしてしまったのかと考えると、とても胸が痛んだ。

そして同時に自分は自然災害の恐ろしさについて〝知ったかぶり〟をしていたのではないかと思った。

食糧も対策もできる限り鞄に詰めるなどして準備してきたものの、自分の力ではどうにもならない自然の恐ろしさ、世の中のことを強く感じた夜だった。

そして母とは珍しく長々と親戚の話や人生のこと、職業についていろいろと話した。

日頃、私が雑談を母に持ちかけても「へえ」といってスマホをいじったたまま私と話し合いをする気がなかったり、話の相槌としては不自然な「わかった」という言葉が返ってくることが多いのに、今日はきちんとコミュニケーションをとっていろんな話ができていた。

おしゃべり好きの私にとって今日一で嬉しかった出来事だった。

そういえば、避難準備の荷造りをした時に自分のリュックの中に数冊ポイポイと読みたい本を入れていたので、その本を読んでいた。

繊細さんが自分らしく生きるみたいなタイトルの本と幡野さんの「ぼくが子どものころ、ほしかった親になる」である。

避難場所での読書は没入することができて本を読んでいる間は不安を感じることはなかった。本は偉大だなあ。

あ、あとキリンジのDrifterをふと聴きたくなって、ひとつひとつの歌詞を耳になぞって聴いていた。とても心地良かった。

https://youtu.be/LHF_mFLeEJc

本や音楽はだれかにとって生きる上で必要のないものかもしれないが、今日改めて私にとって本や音楽はかけがえのない生きる上で必要なものだと思った。

今この記事を書いている場所は、区分けされた敷地内に家族みんなでギチギチと収まり、床の上にタオル一枚敷いた上にぼんやり横たわって書いてる。

自然災害だけじゃなくて2020年は何かを気づかせようとしている年、もしくは自分が気づけていない何かが始まった年かもしれないな、なんて思った。

いろんな考え、思いが巡った今日。

あれこれ深く考えたいことはたくさんあるけれど、でも何故か今考えても答えはでない気がしたので今日はもう寝ようと思う。

どうか今日を無事に乗り越えられますようにと願って。

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