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記憶が曖昧な引きこもり時代とその後

風邪をひいて学校をお休み中のnichiwaです🤧
久しぶりにお母さんと文鳥だけの静かな家で過ごして、少し懐かしい気持ちになりました。

さて今回は、不登校談の第三弾!
私が不登校になった日から、フリースクールに通うまでを書いていこうと思います。

前回の記事はこちらから




行けなくなった日

私が学校に行けなくなったのは、小学4年生のゴールデンウィーク明けでした。
今これを書いているのが高2の5/1だから、ちょうど6年前!

その日のことは、正直もう覚えていません。

思い出そうとしても、2段ベッドの上の段で、全身を掻きむしりながら辛そうにしてる自分を、寝室のドアから覗いてるシーンがうっすら浮かぶだけ。

「学校に行けない」って相当なエネルギーが動く瞬間だと思うから、自分の感情含めて鮮明に覚えていても不思議じゃないのに、なぜか第三者視点でしか想起できないんです。

これは多分、時間が経ってから、お母さんからその日の私の状況を聞いたから。
私自身の記憶には残ってなくて、又聞きした状況だから、こんなふうに思い出すんだと思います。

でも、なんで忘れてしまっているんだろう。

辛い記憶だから消しちゃったのかな。


なりたてほやほや

こうやって(記憶にはないけど)不登校になってからは、ひたすら家に引きこもってました。

とにかく、外に出るのが怖かった。

安心して外出できたのは、日曜日だけ。
それも家族と一緒じゃなきゃだめ。
外出先は、人混みに紛れられるようなショッピングモールばかりでした。

平日は、同級生や他の大人から「学校は?」みたいなことを聞かれるのが怖くて怖くて。
昼夜問わず家から一歩も出られませんでした。


引きこもり生活中に何をしてたのかは、これまたあまり覚えていません…
思い出そうとしても、また第三者の視点がうっすら浮かんでくる。

あ、でも一つ覚えているのは、自分の脚がめちゃめちゃ細くなってたこと。
ふと鏡を見たときに、ふくらはぎが2回りくらい細くなってて衝撃を受けました。
運動しないから筋肉が落ちるんですよ。

ちなみに高校に入ってから不登校仲間と話してて知ったのですが、この脚細くなる現象はあるあるらしいです。笑

日常生活は本当に記憶にないけど、たぶんYouTubeとかを見てたんだと思います。

学校に行けなくなったことで楽になったわけでもないけど、自己嫌悪に陥ってたわけでもない。

思い出せない。

ただぼーっと過ごしてたような。
ある意味人生の空白の時間です。

でも当時仲が良かった学校の友達が、熱心に放課後私の家を訪ねてくれたりしてて。
一日中パジャマで廃人みたいな生活してたから、玄関先でお母さんが対応して帰ってもらうことの方が多かったけど、結構救われてたな。
一度だけ家の中まで入ってもらって、一緒にアイスを食べたことを覚えています。
その子も数年後に不登校になってたから、お互い何か似たようなものを感じ取っていたのかもしれません。
元気にしてるといいな。ありがとうね。

こんなことはありつつも、基本的に無気力だったことは確かです。

辛くもないし、楽しくもない。

感情がないような。

だから記憶がないのかも。
毎日変化がなさすぎて、覚えていないのかも。


ちょっと慣れたよ。多趣味期

不登校になってからどれくらい経った後か、時期は定かではないのですが、ここからは記憶があります!

不登校生活にある意味慣れた私はとにかく暇で、色々な物事に手を出し始めました。

最初にハマったのは、たしか裁縫。
人形の服やカバンを作り続けました。

スマホを持っていなかった当時の私に型紙なんて概念はないので、もちろん全部フリーハンド。
文具感覚で針と糸を使いこなしていました。

他にも理想の家を妄想して間取りを書いたり、真面目にユーチューバーになってお金を稼ごうとしてました。笑


この頃からは、大分心が安定していたように思えます。
好奇心が素直に湧き出てくるほどの余裕があった。

ある意味、私が一番私らしかった時期です。

気づけば外出も怖くなくなっていました。

ひたすら引きこもって無の時間を過ごして、回復したおかげ。


別室登校してみたけど

そんなこんなで心も回復してきて、2学期からは別室登校を始めました。
不登校になった日から約4ヶ月後のことです。

ここからは記憶があります!!

みんなが学校に登校し終わった頃を見計らって、自クラスの隣の空き教室へ登校する。
そこで計算ドリルや漢字ドリルをする。
給食を運んできてもらって食べる。
たまに先生が見に来る。
下校時間にひっそり帰宅する。

そんな感じでした。

ちなみにこの間、人の足音にすごく敏感になりました。
たまに見に来る先生がこちらへ向かってくるのを察知して、心構えをするためです。

基本的に一人の空間だったので、案外落ち着いて過ごせていました。

でもそれも長くは続かず、結局冬休みまで持ちませんでした。笑


それから、4年生3学期〜5年生1学期は、1日も学校に行かなかったはずです。
完全に、家での生活。

(たしか)5年生になってからは、タブレットを手に入れてネットを使えるようになったので、FODでひたすらコナンを見てました。
1日10話とかのペースで。

このコナン期を過ごしたことで、だいぶ心が回復しました。
本当に本当に救われた。
青山先生と読売テレビに感謝です。


いざフリースクールへ

そんなこんなでブルーライト漬けの日々を送っていたわけですが、小5の2学期からはそんな日々も抜け出し、フリースクールへ通うことになりました。

おうち時間を過ごしてた時期は、日常に何も刺激がないから、思い出もないんです。
心の回復には必要不可欠な時間だったんですけどね。

でもフリースクールに通い出してからは、毎日が刺激の連続なので、”生きてる”という実感がありました。

このフリースクールへ通い出した経緯や実際の話は、また次回書こうと思います!

読んでくださりありがとうございました〜
ではまた!


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