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二つに一つなんてこと

年の初めは色んな物事がスタートする時期ですね。
というより、何かスタートさせねばならない気がします。
“明けましておめでとう”で始まり
“良いお年をお迎えください”で締める。
そんな言葉の区切りを作っているのは時間軸での数字の移り変わりと暦上の夜明け。
私はその節目に行われる【今年の抱負】が苦手です。

今年は三社参りに行きました。
一社目は近所の土地神様のところに。
山梨に移住して最初に挨拶に行ったところで、今年で2回目の初詣でした。
二社目は北口本宮冨士浅間神社へ。
こちらは富士吉田にある立派な神社で、三社目は長野旅行のついでに穂高神社へ挨拶に。
その3つの神社全て、脳内ではぐちゃぐちゃと丸めた紙切れが転がっていました。

すんなり目標を決めていた学生時代。わかりやすいやるべき事があったのは大きく、期間も決められていたので目標への距離感も掴みやすかったのだと思います。

近頃、学生さんや活動的な方と時間をご一緒させていただく機会が多くありましたが、皆さんしっかりと明確なやりたい事や、成し遂げたいことを持っているような気がします。その為のステップを自ら作りこなしていく作業は、茨の道でもとても充実していそうで、そんな姿を想像するくらいしか私は出来そうにもなく、大きな目標を決めれずにいます。
1番の難点は、私がそれに対して悲観もしていなければ劣等感も持っていないこと。
目標を決めれる人もいれば、そうでない人もいる。私はそうでない方の人間だっただけだと納得していることです。

ここ5年ほど、そんな調子で大した目標もつくらず、抱負も抱かず、のらりくらりと自由に過ごして来ましたが、そんな自分にも慣れてきました。宿の営業については、お仕事の目標として別物で考えていますし、プライベートは家内安全・無病息災、そのくらいしかありません。

ただ、それだけでいいんです。

上手にお伝えできているか分かりませんが、健康であることと、毎日を日々こなしていけてこそ、安定した【日常】を手にすることができると思っています。
その【日常】こそが私にとってはかけがえのないものであり、何より大事であり、脅かされることなく、また人を脅かすことなく在りたいと思っています。

どうしようもないことが起こることもありますが、日々を淡々と生き抜くこと、それだけに邁進していける図太さを持ち続けていきたいですね。

考えれば考えるだけ纏まらない脳内ですが、いつか言語化出来る、その日を楽しみに毎日を送りたいです。年明けは旦那と一緒に長野へ小旅行に行きましたが、活力的な彼を横目にそんなことを考えていました。


ps.被災された方が日常を取り零すことがありませんように

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