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春に_谷川俊太郎


合唱曲の歌詞にもなっている谷川俊太郎さんの詩。
その歌詞の原文となる詩がこちら。

春に 「どきん」谷川俊太郎少年詩集より

この気もちはなんだろう
目に見えないエネルギーの流れが
大地からあしのうらを伝わって
ぼくの腹へ胸へそしてのどへ
声にならないさけびとなってこみあげる
この気もちはなんだろう
枝の先のふくらんだ新芽が心をつつく
よろこびだ しかしかなしみでもある
いらだちだ しかもやすらぎがある
あこがれだ そしていかりがかくれている
心のダムにせきとめられ
よどみ渦まきせめぎあい
いまあふれようとする
この気もちはなんだろう
あの空のあの青に手をひたしたい
まだ会ったことのないすべての人と
会ってみたい話してみたい
あしたとあさってが一度にくるといい
ぼくはもどかしい
地平線のかなたへと歩きつづけたい
そのくせこの草の上でじっとしていたい
大声でだれかを呼びたい
そのくせひとりで黙っていたい
この気もちはなんだろう

前回、備忘録として書いたけどちょっと詩にグッときたもので、あのあと本を買ったり、図書館で本を借りたりして色々と詩を読んでみた。

その中で、やはりキッカケになったこの詩を改めて読んで、感じたことを記しておきたいと思う。

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大人になっても、「なんかモヤモヤするな~」と正体の分からない気持ちというのはよくある。
腹からぐーっと湧き出そうで、でも表には出てこない気持ち。
どう表現したら良いのか分からない気持ち。
まさに声にならない叫びである。

この喜びは本当に喜びだろうか。悲しみを取り繕った喜びではないか?
日常で喜ぶフリをしていないだろうか?

あの人への苛立ちは本当に怒りだろうか。憧れや嫉妬が隠れていないか?
本当は嫉妬なのに、その感情に蓋をして相手にぶつけていないだろうか?

「あの空のあの青に手をひたしたい」という表現が美しい。
どこまで手を伸ばせば空に届くのか。
あの青に手を浸したら、水紋のように広がるのだろうか。
そんな映像が頭に浮かぶ。

谷川俊太郎さんの詩を読んでグワッと心にきた時、瞬間的に「あ、話が通じる(深く話せる)人がさらにいなくなる」と思った。
なんの根拠もないけど、なんとなく。

まだ会ったことのない人の中には、この世界には、共鳴できる人がいるのだろうか。

歩き続けたいけど、じっとしていたい。
大声で誰かを呼びたいけどじっと黙っていたい。

やっぱり、人には自分が思っている感情とは逆の感情も持ち合わせているのかなと思う。
表面には出ていないけど。自分では気付かないけど。そんなこと思ってるつもりもないけど。でもその感情も眠っているのかもしれない。

私の感情は本物か?
あなたの感情も本物か?

ちゃんと本質を見ているだろうか。





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