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カート・ヴォネガット「猫のゆりかご」読解③~方言とポストコロニアル~

こんにちは!
日恵です!!

さあ、やって参りました第③回!!
続きになってますので、よろしければ前々回

と前回

を参照していただければ!!!
と、いうわけで、ネタバレ全開で、いきま~~~す!!!!



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と、いうわけで、まずは前回のおさらいをしていこう!

今回の読解では

1.本書には真実は一切ない。
2.スカラーとカンカン、運命と契機。
3.ジョンではなくジョーナと呼ぶこと。 

の3つの要素が重要だと言って、1と2から、この作品はニヒリズムに留まっていないんじゃないか、という説を唱えた。その上で3についての読解も行うんだけど──実の所、私は3から前回の流れを思いついたんだよね。

3は私にとって終わりであり始まりでもある。そして、この小説のラストは、始まりと終わりが裏返しになって繋がっている、そういうことでもあるんじゃないかと思った。

と、いうわけで、また文字数がなくなっちゃいそうだから、さっさか行こう!

さて、"ジョンではなくジョーナと呼ぶこと"ということの何が重要なのか?

わたしをジョーナと呼んでいただこう。両親はそう呼んだ。というか、ほぼそのように呼んだ。両親はわたしをジョンと名付けたのである。
ジョーナ──ジョン──かりに元の名がサムであったとしても、わたしはやはりジョーナであったろう──

第①回でも解説した部分だね。「名前はなんにしろ役割は決まっている。」そんな意味じゃないかって私は言った。

でも、そう言ってるのはわかるんだけど、そう言ってないよね笑
名前がどうでもいいんだったら、こんな書き方しないもん。単に白鯨の始まり方──"俺の名はイシュメールと呼んでもらおう"──が好きで、真似したかっただけ、というのもあるかもしれないけど、それもなさそうなんだよね。

何故かと言えば、この本は「音」がすごーく重要だから。なによりも、ボコノン教という言葉はそれによって成立してるからなんだ。

キャッスルの本から得た知識によると、ボコノンは一八九一年に生まれた。~彼は、ライノネル・ボイド・ジョンスンと名づけられた。

48 まるで聖オーガスティンみたい より

彼がボコノンの名になった理由は、きわめて単純である。"ボコノン"とは、この島の英語の方言でジョンスンを発音したものなのだ。

49 海が怒って放りだした一ぴきの魚 より

引用の通り、ボコノンとはジョンスンの方言での発音──島の訛り、この作品の架空の島、サン・ロレンゾ島においての、架空の訛りでしかない。結局、ジョンスン教でしかないってことなんだ。

じゃあ、ここで疑問が沸く。作者は、なんでわざわざそんな方言を考えてまで"ボコノン教"にしたんだろう。訛りなんてなしで、"ジョンスン教"でいいじゃん!ってならない??ならないかもね。だって、面白いもん。方言って。ボコノンって言葉の響きもなんか笑える。「実はジョンスンのことでした!ワハハ」ってね、作者の笑顔が見えそうだよね。ふふふ。

でも、多分それだけに留まってはいないんだろう。ちょっとづつ引用していこう。

サン・ロレンゾの方言は、聞いて理解するのがやさしい一方、書きうつすのはむずかしい。やさしいといま言ったが、これはわたし個人の言である。ほかの人たちには、バスク語と同じくらいちんぷんかんぷんなのだ。おそらくわたしの理解は、テレパシー的なものなのだろう。

49 海が怒って放りだした一ぴきの魚 より

え?!!???
"テレパシー的なものなのであろう"
ってズルくないそれ!??!?!
エピデンス!エピデンス!!

と、冗談は置いておいて笑
ここにある通りサン・ロレンゾの方言は、あの「どの言語系統にも属さない孤立した言語」として有名な「バスク語」並に難しいらしい。

バスク語については、wikipediaから引用してみよう。

バスク語(バスクご、euskara)は、スペインフランスにまたがるバスク地方を中心に分布する孤立した言語で、おもにバスク人によって話されている。スペインのバスク州全域とナバラ州の一部ではスペイン語とともに公用語とされている。2006年現在、約66万5800人の話者がバスク地方に居住し、すべてスペイン語またはフランス語とのバイリンガルである[1]

https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E3%83%90%E3%82%B9%E3%82%AF%E8%AA%9E

全住民バイリンガルって、すごいな笑笑

でもさ、そう、日本でも方言使う地域の人は、比較的バイリンガルに近いよね。方言と標準語を使いわけて話たり、話せなくても方言話者は標準語を聞き取ることができる。TVとかラジオ、雑誌なんかの情報が主に標準語だから、とかそんな理由なのかもしれないけれど、それでもこれって凄く面白いことだろうと思う。

実際青森の奥とか群馬の端とかに行って年配の方と話したことのある人ならわかると思うんだけど、ほんと、何言ってるのかわかんない!!!それでもって、こっちの言うことは通じてる!!!

私はちょこちょこ旅行に行ったりするんだけど、こういう経験をすると圧倒されちゃうんだよね、いつも。感動するって言ってもいい。そして、一方的に理解されてるこっちが申し訳なってきたりもするんだけど、それはともかく!

この本は、この「訛り」──つまり「音」がかなり重要なウェイトを占めている、と言ってもいいと思う。そうじゃなかったら、「ボコノン教」も、「カラース」も、「カンカン」もなかったわけだからだ。

で、「書きうつすのは難しい」と言っている通り、文中でそのサン・ロレンゾ訛りが表記されることはほとんどない。「聴くのは優しい」から、表記はほぼ標準語になっている。「テレパシー的なもの」を持っているおかげだね。「テレパシー的なもの」を持たせないと、一々訛りを翻訳しないといけないから、いいか笑

だって、方言ってほんとヤバい。例えば、津軽弁でこんなのがあるんだけど

なんぼばっちゃうぬうぬしてらっきゃ。いそいでらんだが?

これ、「お婆ちゃん、すごくせわしなくしてるね。急いでいるの?」という意味なんだけど、わかんないでしょ。後ろの部分はともかく。少なくとも初めて聞いたらわかんないよね??

テレパシー的なものがあるから一々表記されないけど、実は、常にこんな感じの会話が続いているんだとしたら、ヤバいよね笑 もうそれだけで異化効果発生するよ笑

そういえば川上未映子の「わたくし率イン歯ー、または世界」という小説は、ほぼ関西弁で書かれていて、面白かった。舞城王太郎も博多弁を使ったりして独自の読み応えがある気がした。関西弁とか博多弁はまだなんとなくわかるからいいけど笑

で、まあ、そんな感じで方言なんだ。
方言があるからボコノン教は成立する。でも、なんで方言なの?というと、それは、方言が「標準語のパロディ」だから、というのが言えると思うな。ボコノン教自体がキリスト教のパロディとして存在している所からも、方言の持つパロディ性故なんだと思う。

そして、そういう認識に、ヴォネガットの鋭い矢が放たれていると思うんだ。

だってさ、「方言」って言い方、そもそもおかしくない?そこで普通に使われてる言葉でしょ?じゃあ、「標準語」じゃん。それが「訛り」とか「方言」って言われるのは、つまり、日本で言うと「東京中心主義」に他ならないよね?「地方=田舎」もそうだけど。他者をパロディ化してしまうという事が、ありありと見えてくる。「東京の形而上学=男性中心主義」が見える。つまり、人が無反省に持ってしまう、「キリスト教的な価値観」が炙り出されるんだ。

ポストコロニアルという言葉がある。ヴォネガット自身、そういう作家だとよく言われるよね?植民地化したことにより失われた地域の純度への訴え。ヴォネガットはそれを「方言」と「標準語」から表しているんだと思う。

前回の記事で、私はパロディのオリジナル性について書いたと思うけど、ここでもそれが貫通しているんだ。「方言」は「標準語」のパロディじゃない。どちらもフラットなものであるはずなんだ。

それを表しているだろうシーンがあるので、かなり長いけど引用してみようと思う。ドイツ語的発音とサン・ロレンゾ的発音で執り行われる、ボコノン教の教義にある臨終の式をジョーナが眺めているシーンだ。

「ゴット・メイト・ムット」とドクター・フォン・ケーニヒスワルトが歌うように言った。
「ジョット・ミート・マット」と“パパ”モンザーノが唱和した。
「主は泥をつくられた(God made mud.)」二人はそれぞれの訛りで、そう言ったのである(フォン・ケーニヒスワルトはもちろんドイツ語訛り)。以下、 連禱の訛りは省略する。
「主はさみしく思われた」とフォン・ケーニヒスワルト。
「主はさみしく思われた」
「そこで主は泥のひとかたまりに言われた、“立ちなさい!”」
「そこで主は泥のひとかたまりに言われた、“立ちなさい!”」
「“わたしのつくったものを見なさい”と主は言われた、“山を、海を、空を、星を”」
「“わたしのつくったものを見なさい”と主は言われた、“山を、海を、空を、星を”」
「するとわたしは、立ちあがって、あたりを見まわした泥だった」
「するとわたしは、立ちあがって、あたりを見まわした泥だった」
「ありがたいことだ、泥にすぎないこのわたしを」
「ありがたいことだ、泥にすぎないこのわたしを」“パパ”の頬を涙がいく筋もつたっていた。
「泥のわたしは身体を起こし、主がなされたすばらしい仕事を見た」
「泥のわたしは身体を起こし、主がなされたすばらしい仕事を見た」
「みごとです、主よ!」
「みごとです、主よ!」
“パパ”は心をこめて言った。
「あなたのほかにこんな仕事ができるものはいないでしょう、主よ! わたしは、とてもできません」
「あなたのほかにこんな仕事ができるものはいないでしょう、主よ! わたしは、とてもできません」
「あなたに比べると、わたしは取るに足りない存在に思えます」
「あなたに比べると、わたしは取るに足りない存在に思えます」
「すこしはマシに思えるのは、わたしみたいに立ちあがって見まわさなかったほかの泥のことを考えるときだけです」
「すこしはマシに思えるのは、わたしみたいに立ちあがって見まわさなかったほかの泥のことを考えるときだけです」
「わたしはこんなにたくさんのものを授かっているのに、ほとんどの泥は何も持っていません」
「わたしはこんなにたくさんのものを授かっているのに、ほとんどの泥は何も持っていません」
「デング・ユー・ヴォア・ダ・オンオー!」フォン・ケーニヒスワルトは叫んだ。
「ツェンク・ヴー・ヴォア・ロー・ヨンヨー!」“パパ”がぜいぜいと言った。
 彼らはこう言ったのである。「この光栄に感謝します!(Thank you for the honor!)」
「そして、また泥が横になって眠りにつくときが来た」
「そして、また泥が横になって眠りにつくときが来た」
「泥のわたしがこんな思い出を持つことができるなんて!」
「泥のわたしがこんな思い出を持つことができるなんて!」
「なんとたくさんの興味ぶかい起きあがった泥に会ったことだろう!」
「なんとたくさんの興味ぶかい起きあがった泥に会ったことだろう!」
「わたしはわたしの見てきたすべてを愛します!」
「わたしはわたしの見てきたすべてを愛します!」
「おやすみなさい」
「おやすみなさい」
「わたしは天にのぼります」
「わたしは天にのぼります」
「わたしは待ちきれません……」
「わたしは待ちきれません……」
「わたしの<ワンピーター>が何であったか、早く知りたいのです……」
「わたしの<ワンピーター>が何であったか、早く知りたいのです……」
「そして、わたしの<カラース>に誰がいたか……」
「そして、わたしの<カラース>に誰がいたか……」
「そして、わたしたちの<カラース>が、あなたのためにどんなよいことをしたか、そのすべてを」
「そして、わたしたちの<カラース>が、あなたのためにどんなよいことをしたか、そのすべてを」
「アーメン」
「アーメン」

99 ジョット・ミート・マット より

所々にそれぞれの発音の表記がなされるけど、ジョーナがテレパシー的なものを持っているから、フラットに表現されているね。

私はこの部分に、感動しちゃいました。
だってこれは、バスク語並みに理解できないサン・ロレンゾの訛りと、ドイツ語訛りが同時に、フラットに扱われてるってことじゃんか。そういう可能性が示されてる。

テレパシスト・ジョーナを仲介して、私たちはそのフラットさを追うことが出来る。

そして、そう、これはつまり、「理解ということの可能性」だと、私は思うんだ。

それは「臨終の式」という、儀式的空間の演劇的効果もあるのかもしれない。でも、それを覆すのが「自称最低の科学者」、ここでドイツ語的発音を披露している、フォン・ケーニヒスワルトだ。
式の前の彼とジョーナの会話を引用しよう。

「あなたはボコノン教徒ですか?」と、わたしはきいた。
「一つボコノン教に同感できる考えがある。宗教は、ボコノン教も含めて、みんな嘘っぱちだということさ」
「このような儀式をすることには、科学者として抵抗がありませんか?」
「わたしは最低の科学者だよ。一人の人間が楽になるなら、わたしは何でもする。たとえ、それが非科学的なことだろうと。すこしはマシな科学者なら、こんなことは言いっこない」

98 臨終の式 より

彼は「科学者」だけれど「最低」だから、「科学を至高としていない」。しかし、宗教に関しては「全て嘘っぱちだ」としている。つまり、どちらに対してもフラットな目線を持っている。そんな彼が「一人の人間が楽になるなら」と、臨終の式に──唯一のドイツ語的発音者として──参加するのは、儀式的空間に絆されたからではない。フォン・ケーニヒスワルトの「信念」なのだろうと思う。かつてSSに所属し、アウシュビッツの医者だった彼は、贖罪としてサン・ロレンゾ島で働いている。その経験──アウシュビッツでの、個人性を破棄されたモノたちを見てきた、経験──から、きっと彼は、「人間一人」を見ることの大切さを、知っていたのだろう。フラットさの中に「個人」を見ることを。

それは臨終の式を受けた、サン・ロレンゾ島の大統領、ボコノン教徒にしてボコノン教を迫害する者、かつてのボコノンの盟友・パパ・モンザーノにも貫通する。彼は、臨終の式の際にこう言うんだ。

「あいつが国民に教えるのは、嘘ばかりだ。やつを殺して、本当のことを教えるのだ」
「はい」
「おまえとハニカー。おまえたちは国民に科学を教えるのだ」
「はい、教えます」わたしは誓った。
「科学は、じっさいに使える魔法だ」
(中略)
ヒューマナ博士は~彼が理解するところのキリスト教にのっとった臨終の式の用意をはじめた。
"パパ"が片目をあけた。「お前じゃない」彼はヒューマナ博士をあざけった。「うせろ!」
「ですが」とヒューマな博士。
「わしはボコノン教の教義に従うものだ」"パパ"は荒い息の下で言った。「うせろ、腐れキリスト教徒め」

97 腐れキリスト教徒

彼は科学を教えろ、ボコノンを殺せ、と言いながら、ボコノン教徒として死ぬことを望んだ。彼はボコノン教を「信じていた」し「信じていなかった」んだろう。そして、同時に科学についても。

「科学は、じっさいに使える魔法だ」というこのセリフ。私は、ボコノンが似たようなことを言っているのを聞いた。それは、「嘘の上にも有益な宗教は築ける」という物だ。「使える=有益な」と解するのなら、そう、「科学は有益な魔法──『嘘』」なんだと思う。

つまり、ケーニヒス・ワルトも、"パパ"モンザーノも、ボコノンも、意見は一致していたんだ。「それらは嘘にすぎない」って。

それを証拠に、ボコノンは何度もボコノン教の教義において「ここに真実はいっさいない」と訴える。そして、物語の終盤でこう叫ぶんだ。

馬鹿なことはやめろ!すぐこの本を閉じるのだ!〈フォーマ〉しか書いてないんだぞ!

118 鉄の処女と地下牢 より

この部分を読んだジョーナは、「〈フォーマ〉とは、むろん嘘のことである」と続ける。また、〈フォーマ〉については冒頭でも言説があるから、引用しよう。

「※〈フォーマ〉を生きるよるべとしなさい。それはあなたを、勇敢で、親切で、健康で、幸福な人間にする」

──『ボコノンの書』第一の書第五節

原文※注には、こうある。「無害な非真実」、と。
ボコノンはこう書きながらも、後にそれを否定した。どうしてかと言えば、単純に心境の変化なんだろうと思う。

ボコノンの書は全てが肉筆であり、そして物語の始まりには書き終えられていないことが語られる。だから、ボコノンは、その嘘っぱちが産む──作中表現で言う、宗教の阿片的性質に、警句を投げたのではないかと思う。「フォーマを信じろ」から「フォーマを信じるな」の変転。それがここで起こっているんだろうと思う。

逆に、ジョーナはどうだろう?
第①回で書いた通り、彼はボコノン教徒である自分の、キリスト教徒だった頃の回想としてこれを書いている。これはボコノンと真逆を辿っていると言えないだろうか?
そして、物語開始時点で、共に終わっていない「ボコノンの書」と「『世界が週末を迎える日』と題されるはずの本」──。

これらについては、次回に回そうと思います。

お、終わんなかったー!!!!!!
ごめんなさーい!!!!!

というわけで、次回に続く!!!!!

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