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ファッションが「わかる?」「わからない?」~記号とおしゃれ~

   こんにちは! 日恵です!!
   最近もうめっきり寒くなってきましたね!
   クーラーの冷気が当たりやすい場所に佇むベンチに座ってるみたいにというか、おじさんのダジャレを耳元で聞かされ続けてるみたいにというか、とにかくそれくらい寒いです!!!
   これが先生ダッシュの12月!!(寒い)

   既に私もお気に入りのコートを卸してマフラー巻いてと「にちえ ふゆのすがた」になってるんだけど、個人的にはコートとかマフラーとか好きなので寒いのも好きだったりします。
   コートは可愛い! テンションアガる!!!
体型も隠せるし、逆に体型も活かせるし、無敵だ!!!!!
コート万歳!!!!!!!

   ふぅ…………で、そう、うん、と、いうわけで、私は、そこそこ服好きな部類に入ると思います。
   好きなブランドがあったり、そこそこ服の成り立ちの話ができたり、流行りをチェックしたりとか、そういうことをしたりします。そこそこお金もかけるし……と、言ってもお金ないので、古着屋ばっかりなんだけどね!

   で、古着屋にさ、やっぱり友達とも行くわけ!そこで私がベラベラと服が好き!って喋るんだけど、感心されたり、呆れられたり、反応はほんと様々!友達の中には服好きな人も居るし、いわゆる「ファッションヲタク=ファヲタ」という人も居るし、ミニマリストを名乗る人も居るし、はたまた、な~んにも考えてない、っていう人も居る!服の反応って本当に色々で、面白いな~、って、凄い思う。着てる服もその考え方とか、ライフスタイルに合ってるという感じがするし。

   で、この前、そういう友達の中にさ、「ファッションわかんない」っていう子が居たの。その子が、古着屋のハンガーに掛けられたスヌーピーのTシャツを手に取りながら、こんなことを言い出したんだよね。

友「(私たちの)周りって、みんなオシャレだよね~」
私「たしかに」
友「私もオシャレ、興味あるんだけど、ファッション全然わかんないからさ~。服って高いし。だからファストファッションばっかりになっちゃうんだよね~」
私「なるほど」
友「あ~、私もみんなみたいにキラキラしたいな~」
私「…………」

   ……こいつ、「みんな」のオシャレの話をしといて、私の服装に関しては、全く触れもしやがらない……!!!!

   という、さりげなく「オシャレなみんな」から省かれたっぽい私のこのどうしようもない怒りは置いておいて……この会話の何がひっかかったってさ、この「わからない」っていう所だったんだよね。「ファッションがわからない」。そう言われて、私は思った。「私は服が好きで、知識もある方だけど、ファッションがわかってるのだろうか?」って。

「ファッションがわかるって、なに?」って。

   その時、私が思い出したのは一冊のある本……フランスの思想家、ロラン・バルトの、「モードの体系」という本だったのです。

   文学において「文体」を「エクリチュール」という言葉で表したロラン・バルト。バルトは世俗文化についての研究にも熱心で「モードの体系」っていうファッションについての本も出していた。私はそれを思い出したのでした。

   ちなみに、「モード」っていうのは「流行の最先端」って意味で(日本だとファッションカテゴリの一つとして、また違う使われ方もするんだけど、それは置いておいて)、つまりこの本は「流行の最先端はどう作られるのか?」みたいなことが書かれてるんです。面白いよ!

   で、その中でバルトは、「ファッションは『換喩』である(意訳)」みたいに言うんだよね!
   よくある言説にさ、「ファッションは『足し算(引き算)』である」って言うのがあるけど、それとは違って「換喩」! え? どゆこと?? ってならない? 私はなった!!!

   まず「換喩」とはなにかっていうとね、これって文章のテクニックのことなんだよね!いわゆるメタファーの一種、メトミニーと言われるもので、比喩表現の一つとして直接「X」と言う代わりに、その「X」を想起させる「Y」を使う、みたいな。例えば、「白バイ」と書くと「警察官」が想起されるし、「コカ・コーラ」なら「アメリカ」、「64年製ジャズマスター」なら「田渕ひさ子」に感じるでしょ??同じように「スーツ」なら「サラリーマン」、「オーバーTにオーバーパンツ」なら「邦ロッカー
」、「チェスターコートにパーカー」なら「大学生」ってなるわけ。

   で、それのなにが「足し算(引き算)」のファッション論との違いなのかっていうとさ……つまり、服はその要素を交換すると、そもそも別のものになる、ってことなの!

   スーツのコットンパンツをデニムにすればサラリーマンっぽさは薄れて、ネクタイを取ってキャップを被る、ジャケットをパーカーにする、ってやると、「サラリーマン」から「スケーター」になるってわけ! そういうことがさ、もっと細かい点から考えていくとさ、色々面白くなっていくんだ!

   ファッションにはその時々のさ、時流だとかファッション誌だとか、ブランドだとかトップモデルだとか、そういうロールモデルの総体──いわゆる「ファッション業界」の作り出した「最先端の流行」があって、その流行を取り入れたりまんまの格好をしたりすると、「モード=最先端」になっていく。流行りを取り入れれば取り入れるほど、換喩的に「昨今のモード事情を知っている人」って、昨今のモード事情を知っている人に思われるんだね!

   そして「アウトドア」なアイテムとか「ロック」なアイテムを取り入れれば、属性が付与されたり抜けたりする。シンプルなファッションも、そういう見方をすると「引き算」じゃなくて「換喩」的になるってわけ。「シンプルな服を好む人」っていう物の「比喩」……というか、「記号」になる。ファッションアイテムはそれぞれが「記号」で、またそれらの集合が総体的な「記号」になるわけ! ファッションの理論、みたいなのは、つまりそういうことだと私は思うんだよね!

   で、そう、そして「ファッション」が「わかる/わからない」っていうのは、その「記号」を読み取れるか読み取れないか、という話になってくる、と、思ったんだけど……

   だから、なんなの? って思わない?

   そんな「記号」に則ったおしゃれなんて、全然おしゃれじゃないじゃん!!! むしろダサい!! だって、それって、「お母さんが買ってきた服」が「ファッション誌に買わされた服」になっただけじゃん!! お金払ってるだけまだひどいんじゃない? って思っちゃう!
しかも、アイテムの種類には限りがあるから、流行は一定のスパンで巡り巡っていて、タイミング次第でそのアイテムがおしゃれかどうかが定められちゃうんだ!

   そんなのに踊らされるなんて、馬鹿げてる!

   ブランドだけでなくファストファッションとかセレクトショップの流行も、モードからのトップダウン的になっていて、結局流行からは逃れられない。ファッションがわかるとファッションは、どこまでも記号に追いかけられてしまうんだ。

   だったら、そんなものよりも、「周りってオシャレだよね」とか「キラキラしてるよね」っていう、その「記号」がわからない内に出た、その素直な言葉が、感動が、私は好き!!! 記号に囚われない状態から発せられたモノ、私はいつだってそれに出逢いたい!!!
だから私は古着屋が好きで、そこで流行の輪から離れた物を見て、自分で見て触って、選んで……

────でも。

   流行を追うのも、否定しない。できない。
だって、確かに最先端はカッコよく見えるし、実際私も勉強のためにチェックするし、参考にしたりもする。奇抜な、芸術的なモノは、ファッションショーの世界の特権だし……そしてなにより、古着屋でたまたま手に取る、好きなデザインのモノが、正に流行りものだったりすることもある。自己弁護になるかもしれないけど、ファッションの多様化とか発展とかを考えると、それも必要なんだと思う。

   思うんだけど……なんか、いつも違和感がある。この感覚を、どう伝えればいいのだろう……?

   ファッションって、なんなんだろうか……

「あっ、日恵」
   考えていると。
「これとかあんたに似合うんじゃない?」
   友達が、私に一枚のTシャツを突きつけてきた。
「へ?」
   それは、デフォルメされた原始人が、あらぬ方向に石槍を投げている、黄色いTシャツ。
「着てみなよー」
「えぇ、いいけどさ、じゃあ、そっちはこれ着てよ、これ」
「は? なにこれ? 破けてんじゃん!」
「いやいや、絶対似合うって!」

   そうやって、キャーキャー言いながら服を押し付け合う私たち。
   お互い試着して、それを見て、騒ぎあって。

   そうだ、うん。

   ファッションなんて、「記号」なんて、わからなくても──楽しめるんじゃん。

   試着室の鏡に映る、私。その私が着ているTシャツの中から、下手くそな原始人が、私に向かって笑いかけていた。

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