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初心

上京して一番最初に住んだアパートの近くの喫茶店で『オキーフの家』という本を読んだ。
店内の所々に本が置かれていて、どれもそれなりに古い本でジャンルもバラバラ、当時はジョージア・オキーフという画家の名前も知らず、なぜ多くある中からその本を手に取ったのかは全く分からないが、とにかくその場所で出会い、読んだのだ。

タイトル通り、オキーフが住んだ家について書かれた本。
写真家マイロン・ウッドによる静謐なモノクロ写真と、看護人として晩年のオキーフに寄り添ったクリスティン・テイラー・バッテンによるエッセイで構成されており、オキーフが40年を過ごしたニューメキシコ州アドービでの暮らしを伝えている。

言葉にしてしまうとすごくチープな感じがしてしまうが、そこはかとなく「体感」を与えてくれる本で、そのときの受けた衝撃を今でもよく思い出す。
バッテンの文章を読むことで、私はバッテンの身体を通して、ジョージア・オキーフという実在した人物を確かに目撃していた。偉人としてではなく、ただひとりの人間としてのオキーフだった。
目撃し、知ることができたのは彼女の明晰で実直な生き方と、筆者バッテンのオキーフへの深い敬愛、そして「あなたのことを知りたいのだ」という切実な意志。
この美しい本においては、もちろん江國香織の翻訳が素晴らしいことは明言するまでもないが、人のことを伝えるときに必要なのは技術以上に筆者の意志だと、初めて実感として強く心に残ったのだ。

私が今雑誌編集に、とりわけ『nice things.』をつくることに希望を見出しながら取り組めているのは、この本と出会えたことが本当に大きいと思っている。

人のことを書くことはいつも難しい。まだ見ぬ読者に魅力を伝えることも難しい。特別文章の技術があるわけでもない。そうつらつらと書いてしまうくらいには堂々と怯んでいるのだが、何事であってもやらない理由など沢山あるのだから、やる理由が気持ちや意志だけでもいいのかもしれない。

8月中旬から9月にかけて、次号issue66の取材が始まる。
nice things.で取材する人たちは、自分の感性に耳を澄ませて生活する場所を選び、仕事を選ぶ人たちばかりだ。言い換えればそれは、自分らしくあるために、ということなのだろうけど、積み上げてきた大切なものことを話してくれる素敵な人たちの在り方を、誌面を通して読者に目撃してもらえるように、実際にその人の話を隣で聞いているように感じてもらえたら。
そう願いながら努めていたいと思う。

編集・田畑

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