見出し画像

震災遺構を訪れて②


東日本大震災では、「命を守る人の命をいかに守るのか」という問いも、たくさん出た。
例えば宮城県石巻市の市立雄勝病院。ここでは、入院患者の40人に加えて、病院にとどまり命を落とした職員が24名いる。3階建ての病院が津波に襲われたとき、入院患者40名と職員28名がいた。助かったのはたった4名だ。
非番にも関わらず病院に向かい被災し亡くなられた方もいる。
住民に津波が来ることを告げられても、患者のもとへ戻った職員。
すぐ裏手の山に逃げればもっと助かった職員もいたのではないかと言われている。
しかし、医療従事者だからこそ、実際に自分が生き残ったとして、患者を見捨てたのではないかという罪の意識も残る。
その感覚わかるのだ。
毎年行う避難訓練。もし、火が燃え盛ったときに、おそらく私はこの病棟の患者をすべて助けることはできない。最後の一人を助けなければ私達は逃げられないのか。
そんなことを考えたこともあるからだ。
できるのは、そんな災害を起こらないように、そして被害を少しでも減らすこと。
今回の震災で言うならば、津波が来る可能性がある位置に病院を建設しないこと。

 https://toyokeizai.net/articles/-/417603?display=b

しかし、もうすぐ内陸部から海沿いの津波浸水想定区域へ移転する病院がある。
静岡県のJCHO桜ヶ丘病院だ。
この病院は、津波が来ることを想定して入院患者は5階以上に入るようにしたという。
そう、静岡県が2013年に公表した「静岡県第4次地震被害想定」によると想定される津波の水位は2~3mと想定されているから。
本当に「想定外」はないのだろうか。
4階の手術室は?もし、被災した際に手術中の患者を、すぐに避難させられるのであろうか?
2階の救急室は、浸水想定内なのであろうが、被災時に約に立たない救急外来って。
 
この記事を見て思い出したことがある。
 
Fukushima 50で、吉田所長が伊崎さんへ手紙を書いたシーンだ。
『「俺たちはなにか間違ったのか?」と、おまえ(伊崎さん)はあのとき聞いたな。
今になって、ようやくその答えが見えてきたような気がするよ。
おれたちは自然の力をなめていたんだ。
10m以上の津波は来ないと、ずっと思い込んでいた。
確かな根拠もなく。
1F(福島第一原子力発電所のこと)が出来てから40年以上も。
自然を支配したつもりになっていた。
慢心だ。』
 
雄勝病院の鈴木副院長も、東洋経済の記事では3階(天井まで10m)あるから津波は大丈夫だろうと話していたという記載があった。その際に、もしかしたら2004年に公表された宮城県地震被害想定では、宮城県沖地震などを想定した雄勝の津波最高水位は2.4~5.9mとされていたため、このように考えていたのではないかと推察されていた。
 
東日本大震災でわかったことは「想定外」があることではないのだろうか。
自然の力は、わたしたちの想像をはるかに超えることがあることがわかったのではないのだろうか。
 
本当にこの病院は南海トラフ巨大地震が来ても、津波は患者がいる位置まで来ないと言えるのだろうか?
その責任は誰がとるのだろう?
JCHOのような公的な病院は、事務長など2年程度で代わっていることも多いと聞く。
院長も数年で異動や代わるとも。
おそらく今回の移転を決定した人は、仮に被災してもその責任を問われない。
なぜなら、もうそこにいないから。
被災し、自分の命と患者の命をつきつけられ、自らの命を危険にさらしてもそこから逃げるすべもないかもしれないのは、現場で働く人たちではないのだろうか。
 
陸前高田も南三陸も気仙沼も女川も、私が訪れた場所はあの震災で大きな被害があった場所であるが一部だ。
私はあの地震から10年以上が経過し、震災遺構として整えられたものを見ただけだ。
それでも、胸が苦しく、この場所であったことを想像し、同じことを起こしたくないと切に願った。




この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?