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#6 徳川家康を感じに行く旅

 めずらしく大河ドラマを最後まで見ました。そして、静岡に行きたくなり行ってしまいました(実際には8月でしたが)。今回は徳川家康の跡を辿る旅です!

一富士、二鷹、三茄子


 まずは定番の三保松原へ。徳川家康に関連する言葉、「一富士二鷹三茄子」。

三保松原

 その富士山を見ようと向かいましたが写真のとおりです。やはり富士山を見に行くなら冬ですね。
 ちなみに、家康が富士山や鷹を好きだったことはよく知られていますが、茄子(なすび)はなぜこのメンツに食い込んでいるのでしょう?(ブラタモリ情報ですが)実は家康は初茄子が好物だったとのこと。ナスの生産は簡単なものではなかったのでかなり高価な食材だったようです。
 そうしたことから「富士・鷹・茄子」は人々の間で縁起のよいものとして定着していったのでした。徳川家康の影響力はすごいですね。

久能山東照宮へ

久能山からの眺め

 東照宮といえば徳川家にゆかりのある神社ですが、久能山が最初のものになります。今回はこの景色が見たくて下から階段で駆け上がりました。山頂に到着し本殿に向かいますがここはトップ画像のように豪華な飾りが施され、多くの人が参拝後も足をとめて見入っていました。参拝後は日本平行きのロープウェイに乗り、静岡駅に向かいます。

駿府城へ

ライトアップされた駿府城
駿府城近くには「徳川家康公出陣キット」という面白いモニュメントがありました

 駿府(静岡の旧称)は家康が今川の人質時代に過ごしたところです。現代でいうところの小学生から高校生くらいまで人格形成期の大半をここで過ごしていたことになります。桶狭間の戦い後は、岡崎や浜松、江戸で過ごしますが老後は駿府に戻ります。やはり、故郷としての気持ちが強かったのでしょう。

金座町

 ところで家康は江戸幕府を開きながらもこのまちに居を構えますが、江戸幕府はまだ安泰ではないと考えていたようです。なぜならば、大坂に豊臣がいたからです。江戸を中心に政治を行った場合、下手をすると有事に迅速な対応ができないと考え、駿府に政治的・財政的な機能を有したとも言われます。その証拠に、重要な金融機関をこの地に設置しています。

金座の地名は今も残っている

 それは金座(駿河小判座)です。現在もその名残をとどめています。それは金座稲荷神社にみることができます。
 さらには日本銀行の静岡支店この地に置かれていることも金座の歴史と無関係ではありません。日銀静岡支店がこの地に設置されたのは、金座町が歴史的に中央銀行の設置場所としてふさわしいと認識されたからでした。
 大坂の陣が終わった後も、大坂・京都と並び駿府は町奉行が置かれていたことからもわかるように、江戸時代を通して重要な城下町であるという共通認識が形成されていたといえるでしょう。

 静岡市は現在人口60万を超え政令指定をされている大都市です。このような発展を遂げた背景には、徳川家康のまちづくりが大きくかかわっていました。
 今回は1泊2日で断片的にしか跡をまわることができませんでしたので、今度はもっと時間をかけてゆっくり滞在したいと思います。しかし、短い滞在でも好奇心を掻き立てるまちでした!

参考文献

日本銀行静岡支店HP URL:日本銀行静岡支店 (boj.or.jp)(2024年1月19日閲覧)

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