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母の夕焼け【ショートストーリー】


 あんな夕焼けは見たことがない。
 恐ろしいほど包み込まれそうだった。
 思わずそう叫んでしまいそうな聖母のような優しさがそこには広がっていて、沈む間はずっと亡き母を思い出していた。

 母は看護師の仕事をして僕を女手一つで育ててくれた。
 「拓也くん、いい? ここでおとなしく待っているんだよ」
 その日も僕は母の勤務する都内の病院に来ていた。学校が終わってから、毎日こうやって母の近くに来ていた。マザコンと言えばそうだし、ただの寂しがり屋と言えばそうだった。
 「ねぇ、パパ、帰りシン・ウルトラマンスナック買って〜」「〇〇君、わがまま言わないの」
 毎日病院にいると、見たくもない光景が目に飛び込んでくる。人生の交差点みたく。
 家族全員が幸せそうだった。父がいて、母がいて、さらには妹がいて。まばゆいばかりの笑顔で。僕には持っていない物が残酷にも目に映った。
 世の中は不平等だ。その頃の僕はそれを毎日念仏のように呟いていたに違いない。悲しく寂しい人生だ、そんな人生辞めちまえ。こうも言いながら。
 「拓也くん、もう少しここで待っていて」
 しばらくすると、白衣姿の母はそう言ってまた慌ただしく走り去って行った。また一人僕を病室に残して。
 大きなぐるぐるしたカーテンが鬱陶しくて手で引っ張った。あしらうような冷たい目で見ながら。
 「うわあ」
 窓から見える夕陽に思わず瞳を閉じた。
 見たこともないぐらいそれは煌々と輝いていた。まるで、夕焼けは誰にでも優しく平等に降り注いでいるようだった。自分は不幸だと嘆いていた僕にも。世の中は、もしかすると少しだけ平等なのかもしれない。

 ー拓也くん、待たせてごめんね。お家へ帰ろう。
 「うん」いつもとは違う感覚で母の声を聞いた。帰り道すがら、少しだけ幸福感を味わいながら僕は母の手を強く握って夕陽を見つめていた。

 【了】


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