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さようならタイムカプセル【掌編小説】♯シロクマ文芸部


※5,528字数。
 本作品はフィクションです。



 卒業の日を一週間後に控えた愛ノ川小学校には一言では例え難い雰囲気があった。過疎化が進む愛ノ川市は数年前から一気に人口減少の一途をたどっていた。
 今月3月末をもって、廃校になるのだ。母校を失くすことは限りなく悲しみが深い。
 在校生のうち6年生は5人、5年生は4人、4年生は3人、3年生は2人、2年生は1人。そして、今年度の新入生はいない。傷心にトドメを刺すように市のお偉いさんが閉鎖を決めた。
 校長である山本はOBで、そもそもの話、愛ノ川小学校には山本を含めてもう7人しか「先生」は存在しない。いつからか校舎内で大声を出しても異様に声が響くのはただの空しさでしかない。

 各学年の授業カリキュラムも大幅に短縮されている。まるで、世の中全ての不幸の縮図のようだと山本は自らを嗤うしかなかった。
 「また今日から一週間の始まりです」
 最後になる、全校朝礼の号令を朝礼台から清々と行う。山本が出っ腹の中年オヤジだろうが、100年の歴史と伝統ある学府最後の長だろうがさわやかに済ませる。
 「校長センセー、本当にガッコーなくなるんですかぁ?」
 一人の女の子が質問をした。
 名をタカコと言う6年生の生徒だ。
 少し広く感じるグラウンド場に声が響くと周囲は(またか)という終末感に似た空気が流れた。
 山本が他の先生達へ目配せをした。
 タカコは女性教諭によって校舎の方へ強制的に連れて行かれた。彼女は手足をバタバタと動かして暴れた。他の生徒は哀れ目で追った。
 姿が完全に見えなくなったことを確認した山本は大きなため息を一個ついた。グラウンドに塊のように居る18人全てに聴こえるほどだった。
 --そんなことは教育委員会にきいてくれ。
 彼は短い時間で、心の中で何度こう叫んだことか。
 「皆さんも、残り一週間を大切にしましょう」山本は自らを奮い立たせるように言い放った。他の教職員は一人、二人・・・と順々にうなずいた。生徒達は担任先生がうなずくのを見てからそれとなく飲み込んだ。
 それぞれが持ち場に帰るように教室に戻ってゆく。突然、アップテンポなマーチが流れて重苦しい雰囲気を一掃するように消し去った。
 山本はポツンと一人グラウンドに残った。
 こうやって全体朝礼が終わった後に、校舎をながめるのが好きだった。朝礼後に体育の授業は入れずに、校舎からあふれ漏れる空気を吸うのだ。見ているだけで何をしていて、どんなことが起こっているのかが分かる。この時間から、毎週の教職員会議での議題が生まれると言っても過言ではなかった。
 今、こうやって見ている学び舎は世の中から消し去られようとしている。取り壊されずに何かしらの運用がなされるとしても「愛ノ川小学校」の金看板は無くなる。『あいしょう(愛小)』という略称は一旦は卒業生の脳裏からは消えるだろう。物事の終わりが必ずあっても、生きている間に母校が閉鎖するとは夢にも思わなかった。子供がいない山本は自分の手で殺めてしまうような罪悪感に襲われた。
 学校長として何かを残さなくては。せめてもの卒業生に、だけでも。

 卒業式のリハーサルは佳境に入っていた。
 卒業の二文字よりも解散という言葉がただよう中にも、明るい笑顔が満ち溢れていた。閉校を知った卒業生達が各々メッセージを寄せてくれた。ちょうど体育館入り口付近に掲示されている。山本はリハーサル前に必ず目を通して体育館に入っていた。
 「みんなで協力した運動会!」
 「楽しかった遠足!」
 「たくさんお土産買った修学旅行!」
 体育館内にいつもより高い声がこだました。卒業生5人と、在校生代表である5年生4人はいよいよだなという面持ちで言葉を吸い込んだ。
 山本はいつもなら「はい、校長先生が話しをしました・・・」というパターンなのだが、少々アドリブを加えることにした。
 「みなさん、愛ノ川小学校も残り一週間を切りました。噛みしめるように一日一日を過ごしましょう!」
 山本はニッと歯を立てた。
 周りの先生たちも思わず歯を見せた。子どもたちは、当たり前のように体を揺らした。それに影響された先生もいて、体育館中がまるで一体化したようにウェーブが起きた。タカコの姿はなかった。
 全てのプログラムは校長の山本自らが発案者になっている。人手が足りていないわけではない。最後ぐらいは思うように卒業式をしたい、という彼自身の気持ちの表れだった。
 山本が卒業生退場の号令をかける。
 「卒業生退場」
 サーっと潮が引くように、皆無言で体育館を出た。先ほどまで笑い声が点々と起こっていたのが嘘のように静まり返った。こういう時は、取り残された人全員が心で泣いている。
 「はい、オッケー!」
 山本の大きな声と共にまた6年生が体育館に戻ってきた。彼は二度ほど大きく首を縦に振った。よほど感触は良かったのだろう。
 しかし、山本が安心したのにはもう一つ理由があった。実はここまでの出来は初めてで、上手くいかなかった原因はタカコが居たからに他ならない。
 山本は大きく拍手をして話を始めた。
 「みんな、今日はすごく良かった!」
 不安そうな表情をしていた生徒も女の子も2人いたが、彼のその声を聞いた途端に笑顔になった。彩と桃香だった。
 二人はタカコと仲が良い。自宅が近所で親同士も付き合いが長いのだ。
 あまり二人の手前、山本は子ども達にタカコを想起させないように努めた。
 「みんな、このままの調子で本番を迎えような!」
 山本の声には、より一段と張りの強さがあった。こう言っている間も、タカコが脳裏から離れなかった。脳裏から必死に離そうとしたからこその絶賛でもあったのだ。6年生の担任である梶田は体育館内で一人複雑な表情を浮かべていた。

 その翌日、タカコは登校した。
 サングラス姿の母親も一緒で、護衛を伴っているように見えた。高級そうなカッパを着て、さらに大きな黒色の傘をさしている。完全装備で乗り込んで来たように。
 山本は毎日正門前で自ら挨拶当番をしている。少したじろいだ。
 「先生、おはようございます」
 母親は静かに声を掛けてきた。
 サングラスを掛けているぶん、不気味でしかない。
 「何かありましたか?」
 山本は月曜日にタカコが暴れ回ったシーンが頭を駆け巡っていた。
 「校長センセお時間よろしいでしょうか?」
 こんな時は断れない。「父兄への対応マニュアル」通り校長室に案内をした。登校したばかりの職員が立ち止まって山本を見つめていた。山本が6年生担任の梶田に耳打ちをした。梶田はタカコと何事もなかったように教室に向かった。
 山本は丁重に校長室へ案内した。何かに「ていねいに、ていねいに」とささやかれているように。嵐の前の予感が自分だけに聞こえているようだった。
 「うちの子の手足をつかんでどうするつもりだったんですか!」
 絵に描いたようなモンスターペアレントだ。
 いつもの山本なら理論武装と見せかけて、強気で説明をしたかもしれない。
 (もう間もなく閉校する愛ノ川小学校だ。ここで何か傷でもつけば、自分諸共すっ飛んでしまうかもしれない)
 穏便に済ませることを考えた。山本にも大切な妻がいる。こんな時はなぜか、子供たちよりも妻・玲子の顔が浮かんだ。
 「この度は、大変申し訳ありませんでした」
 気がつけば、応接用のソファーから立ち上がり深々と頭を下げていた。母親は山本の頭頂部をまじまじと見ていた。
 「先生、もう頭を上げて下さい」母親は軽く会釈をするように頭を下げた。
 「でも・・・」
 「もういいです。娘からは聞いてます」
 「何をですか?」
 山本は懇願するような表情をした。
 「校長先生が廃校について悩んでいることです」
 彼はすぐさま訊いたことを後悔した。
 「でも、校長先生が責任を負うことはないんじゃないですか?」
 話の展開は違う方向に向かっていた。山本は困惑の表情を見せた。「まあ、はい」
 「タカコさんは・・・、娘さんは卒業式には出席されますか?」
 「まだ、分かりません」
 母親は急に表情を変えた。譲れない物があるといった様子で、意地悪な表情をしていた。 
 「じゃあ、私はこれで」
 彼女はそう言うと間髪入れずに、校長室の扉の方向へ歩きだした。山本は呼び止めることが出来なかった。勇気がなかった。
 一人残された彼は悩んだ。
 このまま、教育委員会へタカコ親子は駆け込むのではないだろうか。山本は急に激しい動悸が起こり止まらなくなった。

 卒業式当日を迎えた。
 愛ノ川小学校最後の日でも山本の毎朝のルーティーンは変わらなかった。卒業式と書かれた大きな看板が立つ正門前で立っていると桜の花びらが肩や頭の上に降った。今日が最後なのだと改めて思わずにはいられなかった。これが最後の桜になると。
 「おはようございます!」
 卒業生、在校生代表である5年生がゾロゾロと登校してきた。自分も含めて、登校に終わりを感じるのは初めてだった。もう、下校のための登校しかないのだ。
 体育館は、卒業式のためだけに存在しているかのようだった。吊り下げられたプログラムや、キレイに並べられたパイプ椅子や舞台上に飾られた校旗や沢山の花は視覚だけで充分だった。

 「卒業生、入場!」
 山本の号令で体育館内に緊張が走る。
 まるで地鳴りみたく揺れ動き、地面の薄いカーペットがヒラっとめくれ上がった。先ほどまでのざわつきは嘘のようだった。
 閉校とは片親の死を受け入れることに似ている。校舎がなくなる分、母校の残像は一人一人の胸に残る。

 山本がマイクを握り、卒業式の開始が宣言された。
 イクコ以外の卒業生、在校生全員と父兄達、卒業生を合わせた約100人全員が最期を迎えるような悲壮な表情をしていた。すでに、今日は卒業生の為だけの一日ではなくなっていた。

 --みんなの卒業式

 そんな雰囲気すら漂い始めていた。

 来賓の挨拶、卒業式授与とプログラムは進んでいく。
 山本が壇上から卒業証書を一人一人に渡していく。彩と桃香はタカコがいないのは山本のせいだという顔で証書を受け取った。
 山本が壇上を降りた。
 マイクを握り、やや気難しそうな顔をした。
 「愛ノ川小学校最後の卒業式の為に曲を作ってみました」
 こう言うと、父兄やOBの数名がすすり泣きを始めた。山本も思わずつられそうになったが、歌い上げる覚悟だった。
 ピアノは梶田先生が演奏をする。
 体育館は静寂に似た厳かさがピーンと張りつめた。全員がフワとした空気を飲み込む。
 「愛ノ川小学校を愛する全ての人へこの曲を贈ります」
 山本はこう言うと体育館内全ての音が止まった。静かさを切り裂くように。
 「聴いてください。
 『さようならタイムカプセル』」

 僕たちの心はどこに向かっていくのだろう
 何かに悩んだ時はまた集えばいい
 だって学び舎(や)がなくなっても
 思い出は一生なくならないから
 一人じゃないから 一人じゃないから
 心のなかで思い出は輝き続ける
 きっと ずっと 君と
 明日に続く
 さようならタイムカプセル

 全ての眼差しは山本に向けられていた。
 異様なまでの雰囲気は何かが(今日が最後だよ)と優しくささやいているかのようだった。始まりがあれば、必ず終わりがある。そんな当たり前のことを参加者全員が突きつけられていた。
 歌い終わった山本はマイクをスタンドに一旦戻した。しばらくはうつむいたままだった。うつむいたと思ったら、そのまま深くこうべを垂れていた。頭は下がったままだった。

 空気が一瞬凍りついた。

 (がんばれ・・・)
 ポカンと空洞したような心の中で山本は声が聞こえた。

 「校長せんせ、せんせ」

 「えっ」

 こんな静粛な雰囲気の中で、誰もが耳を疑った。
 タカコだった。
 皆の冷たい視線が痛いほど彼女に突き刺さっていた。

 いつの間にタカコは来ていたのか?
 心の中で何度も何度も訊いていた。その声は、参加者全員の届かぬ声になっていた。
 しかし、山本は心の中では嬉々としていた。
 父兄席にいたタカコはまた座り直し、両親に両脇を支えられた。
 思わず頭を上げて視線をタカコに向けた山本は泣くことを忘れていた。
 再び、マイクを握り直し視線を参加者全員のほうへ向けた。
 「愛ノ川小学校100年の歴史は本日をもって幕を閉じます。また皆さんとどこかで会えることを信じて・・・」
 山本がこう言うと、正面のスクリーンからは『愛小100年の歩み』と題した映像が流れた。
 再びすすり泣く声が聞こえた。

 卒業式が終わり、卒業生全員と教職員全員がグラウンドに集まった。
 イクコと両親の姿はなかった。皆の表情は晴れ晴れとしていた。もう涙を流す者はいなかった。
 卒業生4人に『さようならタイムカプセル』自作CDが配布された。
 桜の花びらが一つプラスチック製のケースにピタリと貼り付いた。それは、【タカコへ】と書いたケースだった。
 山本はそのまま花びらを取り除くことなく、一枚一枚丁寧に配った。タイトルの意味は皆の一人一人の胸(思い出)にあると強く願いながら。
 先ほどまで笑い話をしていた教職員も気がつけば、一人、二人・・・とグラウンドからいなくなっていた。
 山本はそびえ立つ古びた木造校舎を見上げた。この校舎は何を語るのか。 
 ただひたすらに、美しく咲く桜を羨ましく思った。
 これからしばらくは咲き続ける桜と、もうなくなる愛ノ川小学校と自分の教員生活。悲しくも、鮮やかなまでのコントラストだった。
 【自分もいつかは命が尽きる。それまで全力で生きよう】
 桜から明日を生きるエネルギーをもらえた気がした。そう思うと、ひたすら無言になって一人グラウンドで立ちつくしていた。

【了】

小牧幸助様

素晴らしい企画をありがとうございます。
宜しくお願いします🙇‍♀️

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