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鎌倉殿夫婦喧嘩考 前編

◯登場人物(頼朝と政子の結婚時)
源 頼朝(みなもとのよりとも)
 30歳 源氏の棟梁 現在、流罪人
北条政子(ほうじょうまさこ)
 20歳くらい 北条時政の娘
北条時政(ほうじょうときまさ)
 39歳くらい 源頼朝の監視役
亀の前(かめのまえ)
 年齢不明 源頼朝の愛人


北条政子は尼将軍や猛女などと強いイメージがあります。
しかし、頼朝との馴れ初めは政子がぞっこんであったとのことです。

結婚した年齢は源頼朝が30歳、北条政子が20歳頃とのことです。
この頃の結婚年齢は男性が15〜16歳、女性が12〜13歳なので、今で言う晩婚になるかもしれない。

源頼朝は罪人とし、伊豆に流されていたので、なかなか結婚相手は見つからないのはわかります。都から来た貴公子なので、色々噂はあったとのことです。

北条政子はなぜ20歳まで結婚しなかったのかはわからない。北条氏そのものが有力者の家でない。政子の父、北条時政も前半生はわからないことが多いです。

政子にしてみれば、都からの貴公子で、罪人とは言え、源氏の棟梁です!

「もう離さない❣️」

と思ったはず。

しかし、この結婚には、父時政を含め、反対が多かった。平家全盛期なので、何かあったら睨まれますからね。

でも政子は駆け落ち同然で一緒になります。
後日、北条時政、政子親子は先見の名があったと言われましたが、そんな打算があるわけないですよ。

頼朝の方はもう少し名のある豪族の娘と思ったが、うまくいかずに、北条政子で妥協したと思われます。

頼朝と政子の間に、まもなく長女の大姫が生まれる。
これから数年後、色々ありましたが、政治情勢が急変し、頼朝は挙兵し、東国武士の主人となるのであった。

まだ平家は都で大きな勢力を持っており、頼朝はまだ都に攻め込む兵も持ってない。

その頃、政子は二人目の子を出産していた。
後の2代将軍の源頼家である。

政子の出産後の頃、頼朝の浮気癖が出て来ます。かつて伊豆にいた頃からの付き合いの亀の前という女性を呼び寄せます。

亀の前はそんなに美人ではなかったのですが、優しい女性だったとのことです。
美人でないと書いているのは、この時の歴史書『吾妻鏡』に書かれています。北条氏寄りの歴史書なので、政子に気を使ったのかもしれません。

頼朝は何かに口実をつけて、亀の前の所に通ってました。
政子も出産後の静養を終えて、戻ってくると亀の前とのことに気付きます❗️

妊娠、出産時期に浮気するのは、よくあるケースみたいです。前回の右大将道綱の母の時の藤原兼家の時もそうでした。
実はこれほど妻の心を傷つけることはないと思います。

当然、政子は大激怒です‼️

「あの女め!私の頼朝様をたぶらかして!!
どうやって仕返ししてやろうか‼️」

彼女の答えは、家来に命じて、亀の前の家をぶち壊してしまいました。

おそらく、政子は「亀の前を捕えろ!」と命令したかもしれませんが、亀の前は家が壊される前に逃げてしまいます。

当の頼朝は、この事があっても全く懲りずに亀の前の所に、通ってました。

亀の前
「また政子様が家を壊しに来たらどうしよう💦」

頼朝
「な〜に。鎌倉殿のこのわしがついておる。心配するな。」

頼朝は政子の命令で家を壊した家来に
「この度は大義であった。
しかーし‼️その前に内々でもこの頼朝に伝えなかったのは、どういうことじゃ❓はなはだ奇怪なりー‼️」
と言い、家来のちょんまげを切ってしまいました。
武士にとってちょんまげを切られるのは、屈辱な事です。

頼朝と政子の夫婦喧嘩に巻き込まれた家来は災難ですね。

この後も頼朝と政子の夫婦喧嘩は続きます。

続く

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