こうめい

こうめいです。子どもの頃から日本の歴史が大好きなおじさんです。歴史から現代にも通じる学…

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こうめいです。子どもの頃から日本の歴史が大好きなおじさんです。歴史から現代にも通じる学びがあります。そんな気付きを書いてみます。

最近の記事

経済と金利の関係

孔明の経済と金利の関係について考える❗️ 最近の経済ニュースで、金利の動向について耳にする機会が増えてきました。 特にアメリカと日本の金利差が話題に上ることが多いですね。 今日は、その影響について少し考えてみたいと思います。 まず、金利が上がるとどうなるでしょうか? 例えば、住宅ローンの金利が3%から10%に上昇したとします。 すると、多くの人は「そんなに高い利率では借りられない」と感じるでしょう。 つまり、金利が上がるとお金を借りる人が減り、経済活動も抑制されます。

    • 景気のサイクルを季節になぞらえて考えてみる

      こうめいです!今日は経済のお話です。 景気は良くなったり悪くなったりと変動しますが、これは循環するものです。 辞書によれば、循環とは「一巡りして、元へ戻ることを繰り返すこと」とあります。 つまり、景気は一方向に進みっぱなしではなく、円を描くように戻ってくるのです。 この循環を季節に例えてみましょう。 春夏秋冬が巡るように、景気もまた巡ります。 ◯季節と景気の関係 - 春(景気拡大局面)  冬の不況から抜け出し、経済が成長し始める時期。 - 夏(好景気)  経済

      • 京都と太平洋戦争

        今日は太平洋戦争時のお話しです! 京都は太平洋戦争末期にほとんど空襲を受けてません。 太平洋戦争中に京都が空襲されなかった理由はいくつかの説がありますが、最も有力なものは、京都が文化的、歴史的に重要な都市であったためと言われています。 1. 文化的・歴史的な価値がある 京都は日本の古都であり、多くの歴史的建造物や文化財が集中していました。 アメリカ軍の一部の高官は、京都を破壊することで日本の文化遺産に重大な損害を与えることを懸念していたと言われています。 2.ターゲッ

        • 京都インバウンドの歴史

          京都(Kyoto)は、日本の歴史と文化の中心地として、長い間観光客や外国人にとって魅力的な場所となってきました。 京都のインバウンド(外国人観光客)の歴史を振り返ると、以下のような重要なポイントが挙げられます。 1. 江戸時代(1603-1868年)   京都は、日本の文化と宗教の中心地として知られており、江戸時代から国内外の旅人が訪れていました。当時の外国人は制限されていましたが、特定の外交使節や学者が訪れることがありました。 2. 明治時代(1868-1912年)

        経済と金利の関係

          一言さんお断り

          京都では、よく「一見さんお断り」ということを言われます。 江戸時代(1603年 - 1868年)頃から始まったとされています。 当時、京都は天皇の御所があり、政治的にも経済的にも重要な都市であり、治安維持のために商人や茶屋が信頼できるお客さんとのみ取引をする傾向がありました。 これが「一見さんお断り」の始まりとされます。 特に、祇園(ぎおん)や先斗町(ぽんとちょう)などの花街(はなまち)でこの習慣が広まりました。 花街では、お茶屋や芸者との取引が厳格に管理されており、既

          一言さんお断り

          助け合いの日本の歴史 5

          弥生時代は、日本列島で農耕文化が広がり、社会が大きく変化した時代です。 この時代は、稲作が本格化し、金属器の使用が広まったことで、社会構造が複雑化し、地域ごとに強力な首長を持つ国が形成されました。 その中で、卑弥呼(ひみこ)という女王が治めた「邪馬台国(やまたいこく)」が最も有名です。 この時代から争いが多くなる気がします。近隣国との関係も影響しているかもしれません。 ◯弥生時代の特徴 1. 稲作の普及と定住   弥生時代の最大の特徴は、稲作が広く普及したことです。特に

          助け合いの日本の歴史 5

          助け合いの日本の歴史 4

          『万葉集』は、日本最古の歌集であり、奈良時代に編纂されました。この歌集には、貴族から庶民まで幅広い人々が詠んだ和歌が収められており、日本の古代社会や人々の心情がよく表れています。 『万葉集』の中には、助け合いや協力、共感をテーマにした歌も多く見られます。以下に、いくつかのエピソードや歌を紹介します。 ◯助け合いや協力をテーマにした万葉集の歌 1. 家族や友人との絆を詠んだ歌 『万葉集』には、家族や友人との絆を大切にする歌が多く収められています。これらの歌は、助け合いや支

          助け合いの日本の歴史 4

          助け合いの日本の歴史 3

          『古事記』は、奈良時代初期の712年に編纂された日本最古の歴史書であり、神話や伝説、歴史的な出来事が記されています。 この書物には、神々や人間の間での助け合いや協力を描いたエピソードが数多く登場します。 主な助け合いや協力のエピソードです。 1. イザナギとイザナミの国生み 『古事記』の冒頭に登場するイザナギとイザナミの神話は、天地創造と国生みの物語です。この二柱の神は協力して、日本列島や多くの神々を生み出しました。 ・エピソードの概要: 天の神々から命じられたイザナ

          助け合いの日本の歴史 3

          助け合いの日本の歴史 2

          縄文時代(約1万2千年前から約2,300年前まで)は、日本列島において最も古い定住生活が始まった時代です。この時代は、土器を使用した文化が特徴であり、狩猟、漁労、採集を主な生業とする社会でした。縄文時代には、集団生活を営み、助け合いや協力が重要な役割を果たしていました。 そしてこの時代の一番大切なことは長い間、戦争が無かったことです!日本人みんなが助け合っていた時代、そして今も続く助け合いの精神。とても重要です。 助け合いと協力のエピソード 1.集団狩猟と食料の共有

          助け合いの日本の歴史 2

          助け合いの日本の歴史 1

          日本の歴史には多くの助け合いのエピソードがあります。 その中でも特に有名なものの一つが「出雲の国譲り」です。 ◯出雲の国譲り 「出雲の国譲り」は、日本神話の一部であり、古事記や日本書紀に記されています。 このエピソードは、出雲大社の祭神である大国主命(おおくにぬしのみこと)が、天照大神(あまてらすおおみかみ)の孫である瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)に国を譲る話です。 エピソードの概要 1. 大国主命の治世   大国主命は出雲の地で平和と繁栄をもたらし、多くの神々や人々に慕わ

          助け合いの日本の歴史 1

          松陰先生の教訓

          近代日本の思想家であり、現代にも多くの影響を及ぼしている人。 吉田松陰(1830-1859)です。 彼は、日本の江戸時代末期の思想家であり、幕末の志士の一人として知られています。 彼は幕府の鎖国政策に反対し、日本が西洋の技術や知識を学ぶことの重要性を強調しました。 その中で、彼は特にアメリカのペリー提督が来航した「黒船事件」に関連して行動を起こしました。 ◯黒船に乗ろうとした事件 1853年、アメリカのペリー提督が日本に来航し、翌1854年に日米和親条約が結ばれました

          松陰先生の教訓

          酒呑童子からの教訓

          酒呑童子。平安時代の鬼である。 鬼とは何かという問いはまた改めてブログを書きますが、ここでは『大江山絵詞』のあらすじからの教訓を書きます。 一条天皇の時代、京の若者や姫君が次々と神隠しに遭う事件が発生した。 安倍晴明に占わせたところ、大江山に住む鬼の仕業とわかった。 そこで帝は長徳元年(995年)に源頼光と藤原保昌らを征伐に向わせた。 頼光らは山伏を装い鬼の居城を訪ね、一夜の宿をとらせてほしいと頼む。 酒呑童子らは京の都から源頼光らが自分を成敗しにくるとの情報を得ていたので

          酒呑童子からの教訓

          応仁の乱からの教訓

          応仁の乱(1467年〜1477年) 室町幕府の管領家の畠山(はたけやま)氏と斯波(しば)氏それぞれの家督争いから始まる。 足利将軍家の後継者問題も絡んできて、幕府の中心であった細川勝元(ほそかわかつもと)と山名宗全(やまなそうぜん)の二大有力守護大名の抗争となり、幕府勢力が東西に分かれて争い合う戦乱に発展し、さらに各々の領国にも争いが拡大する大乱となった。 11年に渡る戦乱は、西軍が解体されたことで収束したが、主要な戦場となった京都全域は壊滅的な被害を受けて荒廃した。

          応仁の乱からの教訓

          鉢の木の教訓

          いざ鎌倉! 武士道精神の原点である。何かあれば駆けつける。 武士道精神の話で「鉢の木」のお話があります。 大雪の夕暮れ、旅をしているある僧が一夜の宿を求めた。 その家は貧しく、暖を取るしかなかった。 暖を取るたき木がなくなると、主人は大切にしていた松、梅、桜の鉢の木を折って火にくべた。 主人は佐野源左衛門常世と名乗った。 一族に所領をだまし取られて零落したが、武具と馬は残してあり、「自分も鎌倉武士の子、大事の時は、いの一番にはせ参じ、命懸けでご奉公する覚悟です」。 その後、

          鉢の木の教訓

          猿沢池と竜の話

          猿沢の池と竜の事の話が好きです。 「宇治拾遺物語」に「猿沢の池と竜の事」というお話があります。 昔、蔵人得業恵印という僧がいた。鼻が人並みはずれて大きく、さらに先が赤かったので、みんなから鼻蔵とというあだ名で呼ばれていた鼻蔵はそれがしゃくにさわり、腹が立って仕方なかった。何とかみんなに仕返しをしてやりたいと考え、ある日、猿沢池のほとりに、 「5月5日、この池より、竜のぽらんずるなり」と書いた立札を立てた。当時都は奈良にあった ので、竜のうわさはたちまち都中の評判になった

          猿沢池と竜の話

          日本人が英語に初めて接したのは!

          英語は近代以降、日本に多く入ってきて、様々な言葉が伝わりました。 でも、英語が初めて伝わったのは、1600年頃かと思われます。 日本は戦国時代で、しかも西洋人が一気に訪れた時代です。 スペインやポルトガルそしてオランダやイギリス。 その頃はスペインやポルトガルが世界を二分していた時代。そこにイギリスやオランダが出てきており、世界も群雄割拠の時代です。 しかもキリスト教無くしてはこの時代は語れません。 キリスト教の布教と軍事力はセットになってます。 逆に日本はこの時代は戦

          日本人が英語に初めて接したのは!