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【忍たま】きり丸の家・想像図【模型】


アオリ、左手前は井戸
正面、畳じゃなくて板敷き
アオリ、右手
ヘッダーの写真、全景

  忍たま乱太郎の少年・きり丸は、ゼニにがめつい金の亡者でした。というのも、彼は戦乱の最中で故郷を無くし、みなし児としてたくましくアルバイトをしながら銭を貯めて生きてきたからでした。時には町の組紐屋で、時には峠の茶屋で、時には合戦場の弁当売りとして--……。
  そうまでして銭を貯めた理由。
  ひとりぼっちの彼は、忍術学園に入学すると決意していたからでした。


はっ。
思わず趣味の物書きの文体で書いてしまいました。忍たまやきり丸を知らない方もいると思って…。
農村出身だろうということで、イメージに近い模型を入手しました。畳が普及するのは江戸期以降なので、板敷きです。

戦国時代初期ならこんなに立派な家ではないかもしれないな…と、いくつか歴史小説を読んだ今となっては思います。
地域によって作りも違うので、近畿だとこれでいいのかな?と疑問。
ちなみに、きり丸の苗字に当たる部分は「摂津」という地名です。土井先生と同郷ですね。

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