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出産後おっぱい戦

 2人目出産直後の、1週間の入院期間。
その期間の私は、おっぱいで頭がいっぱいだった。
おっぱいに囚われていた。


 妊婦健診の子宮がん検診で高度異形成という結果になった。
出産後も同じ結果なら、出産2ヶ月後ぐらいになったら、子宮切除の手術を行う可能性があった。
手術になると数日間、私は入院することになる。
完全母乳だと私が入院している期間、赤ちゃんに母乳をあげられなくなってしまう。
母乳とミルクの混合ができれば良いが、1人目出産後の時は母乳以外拒否された。
哺乳瓶拒否。
2人目の赤ちゃんもそうなるとは限らないが、もしも同じように哺乳瓶拒否をされたら困る。
夫とも話し合い、完全ミルク育児にする。と妊娠中決めた。

 決めていたはずだったが、出産し赤ちゃんの顔を見ると、母乳をあげるべきではないか?という気持ちが生まれた。

 1人目は完全母乳だった。
母乳を飲む赤ちゃんの姿は、なんとも神秘的だった。
目を閉じながら、一生懸命になって口を動かし母乳を飲む姿。
おっぱいを探して口をパクパクするのも、さほど見えない目を少し開け、顔を左右に振りおっぱいを探している姿も、凄く可愛いのだ。愛しいのだ。
だが神秘的と思う反面、赤ちゃんが母乳を吸い始めた時に頭がスーッとなる感覚が私にはあった。
その感覚が気持ち悪かった。
オキシトシンという幸せホルモンらしい。
幸せホルモンのはずだが、私の頭には「薬をキメる時ってこんな感覚なのかなー…」なんて考えてしまう。勿論キメたことなんてありません。ただの妄想です。
妄想でも、その感覚に対しての"気持ち悪い"という感情は確かなものだった。
 だから今回"私のおっぱいを赤ちゃんに吸わせたい"と思ったわけではない。
出産直後の母乳は特に栄養価が高く、母乳を介して免疫を私から赤ちゃんに渡すことができる。
だから"母乳をあげるべきなのではないだろうか?"と思うようになった。
 このことを助産師さんに伝えたら、色々と提案をしてくれた。
搾乳した母乳を哺乳瓶で飲むことが、赤ちゃんにできたとする。
そうすれば私が入院したとしても、搾乳したものを赤ちゃんに飲ませることができる。
しかし我が家から病院まで1時間〜1時間半はかかる。
3歳と0歳の子達を車に乗せて何度も往復するのは、無理である。

 出産後1ヶ月間と限定して母乳をあげてみることにした。
だが、哺乳瓶を赤ちゃんが拒否してしまう心配があった。
なので、直接母乳をあげることはせず、搾乳したものを哺乳瓶に入れて赤ちゃんに飲ませた。
いい方法を思いついた。とこの時は思っていた。


 1人目の娘は食欲旺盛で、飲むのも凄く上手だった。
多分それが原因なのか、出産後2日目にはすでに私のおっぱいは熱くなってきていた。
「明日には出そう…」
と助産師さんが呟いていた。
助産師さん、凄いです。
本当に翌日母乳が出た。
そしてその翌日にはおっぱいがカンカンのカチコチになった…。

夜。
おっぱいの痛みで寝れない…。
腕を上げられない。
母乳は1ヶ月間だけと決めていた。
搾乳をしすぎると、その刺激で母乳がどんどん作られて、溢れ出てきてしまう。
そのため、搾乳は適度にやろうって決めてた。
しかし胸があまりに痛く、乳腺炎のリスクがでてきた。
痛みを和らげるためにも、助産師さんから搾乳を提案された。

左おっぱいを搾乳していると、右おっぱいからも母乳が流れてきた。
左おっぱいが終わって右のおっぱいをやっている最中に、終わったはずの左おっぱいがまたカチカチになり痛くなってくる。
そして母乳が溢れ出す…。
なにこれ。
これ、どうすればいいんだ!
永遠に乳を絞り続けさせる気か!
帝王切開の傷もおっぱいも痛くて、私の心は余裕がなくなってきた。
なんでこんな時だけ不二子ちゃんおっぱいなんだよ!意味わかんねーよくそやろー!
病院着が母乳で濡れたくなくて、上半身の服を脱いだ。
1人悶々と搾乳をしていた。
 夜の担当助産師さんが部屋に入ってきた。
上半身裸で、机に肘をつき、頭をかかえている患者。
そんな私の姿に1ミリだって動揺せず、
「あ、ちょうどいいね〜。おっぱい見ますね〜」
そう言いながら手袋をチャキっと装着。
もう痛みでおっぱいを自分では触れず、上手く搾乳できなかった。
助産師さんが、石みたいに固まった乳を狙い撃ちして母乳を出してくれた。
少し楽になって寝られた。
 本当に、助産師さんってみんな同じ。どんなに忙しくてもおっぱいの話しは念入りに聞いてきて、一緒に考えたり相談に乗ってくれたり助言してくれる。普段はセカセカしているのに、おっぱいの事になったらそのセカセカ感がなくなる。仕事でやってるだけにしては、皆目をキラキラさせていて興味津々だ。おっぱいマスターだ。好きを仕事にってこういう人達を指すのかなあ。

 助産師さん曰く、私のおっぱいは1人目の娘によって、かなり開拓されているらしい。
娘が沢山飲む赤ちゃんだったから、それに合わせて母乳も沢山作られ、沢山おっぱいが出る体質になっていたらしい。
いっぱい出る体質に加え、赤ちゃんからしたら飲みやすい形らしい。
この場合、母乳とミルクの混合育児はかなり難しいと。
 直接母乳にすれば、赤ちゃんが欲する量だけ母乳の量が作られる。調節されるため、いっそのこと直接母乳にしようか。と思った。
だが2人目赤ちゃんは呼吸が弱く、先日まで呼吸器をつけていた。
マイペースな性格もあり、結局乳腺炎のリスクは変わらない。
 相談した結果、母乳を止める薬を飲むことにした。
私のメンタルが1ヶ月耐えられそうになかった。
私は基本的には祖父母の協力はないし、夫の育休は7日間程度。その7日間は私の入院時に残しておく。夫は月の半分は夜勤勤務でブラック会社の社畜。なにより活発な3歳娘がいる。総合的にみて、退院までに母乳へのストレスは無くしておこうってなった。
 短期間にドバドバ出てくれたおかげで、栄養豊富な母乳は冷凍できた。
それを赤ちゃんにあげ終わったら完全ミルクに変えていくことにした。

 そう決まって薬を飲んだ。
飲んだのだが…
 「この赤ちゃん、おっぱい吸えそうだけどね〜」
きっとこの看護師、私のカルテ見てないんだろうな。
 「凄い出ますね!凄い出るんだけどなー…。」
その後に何が言いたいのか分かります。
“凄い母乳がでる体質なのに、ミルクで育児するなんて勿体ない”でしょ?
 出ないで努力している人が沢山いて、その人達のお手伝いをしている助産師さんからしたら、私はとても勿体無い選択をしているように見えるだろう。
もっと頑張れよお母さん。と言われているようだった。
同情心というものが他人へ動く時って、大抵は無理して頑張っている人に対して。ってのもなんとなく分かる。

 看護師専門学校に通っていた時、「母性」という科目があった。
その科目には、助産院に行く実習があった。
実習に行った助産院は、母乳をゴリ押ししている場所だった。
 学生で、全く母親としての知識がない私達は、母乳はなんて素晴らしいものなのだ。と感じた。
そこは、絶対母乳で育てたい。という人達が集まる場所だった。
 母乳の素晴らしさを書きなさい。という課題があった。
母親の経験もない。自分が母親になるイメージどころか結婚するイメージもできなかった19歳の私は、なんと書いたのだろうか。




こんなことばかり、夜な夜な考えていたからだろう。思考が後ろへ後ろへ。

 出産直後の入院の期間、なぜ母親だけが赤ちゃんと過ごすのが普通なのだろう?
育児はもう始まってるのに。
産まれた次の日には赤ちゃんと同室になる。
1番体がガタガタな時、夫は今何をしているのだろうか。
母乳云々はできなくても、それ以外はやれるわけだし、何より赤ちゃんと夫婦とゆったり過ごしても良いじゃないか。
 こうやって1人で泣いたり、助産師さんにおっぱいについて相談したりしているのを、男達は知らずに過ぎるんだ。
自分の子どもの食事について。それを母親に全任せって。
もう育児は始まっているのに。
 仕事が大事?仕事が男の役目?
たった1週間無休で、家計は火の車になるんですか?そんな日銭稼ぎで暮らしているのですか?
それなら私が稼ぎに行く方やりたいよ。
俺が休むと職場が困る?
女の職場の看護師からしたら、そんなこと日常茶飯事ですけども。みんなで無理してでもどうにかしている。臨機応変に対応できない上司なのですね。いや、休む事で、仕事の立ち位置とか内容が変わってしまうのだろうか。
 帝王切開後のお腹の傷だって、みんなお腹を抑えながらゆっくり歩いてる。
でも、退院の日には痛みは引いてきてスタスタ歩けるようになってる。
スタスタ歩けるようになったところを見て、「女の人は痛みに強いな」とかなんの根拠もない言葉で終わらせやがって。
お前の腹も掻っ捌いてやろうか?
 入院前にコロナの検査でもなんでもやって、"出産後は父母子同室が普通"って流れがこないかな。
出産直後、夫婦共に休みをとらないと会社と当人が罰金。的な。
そんな文化にならないかな。
私はつまらないフェミニストなのだろうか。


苛つきと、ただの無意味無謀な浅い愚痴と妄想だ。

母乳が排泄と同じレベルの生理現象と、思ってもらいたくないのだ。

勿論、当たり前にできる人も沢山いるかもしれない。
ただ、そうじゃない人も沢山いるかもしれないじゃないか。
当たり前を平然とできない私はなんて格好悪いのだろう。





 母乳戦より約1ヶ月。
母乳を抑える薬のおかげで、母乳は出なくなった。
鏡を見る。
不二子ちゃんおっぱいも一緒に消えている。
物寂しい。
って思いは今回はなかった。
つまり、1人目の時はもの寂しくなった。
ああ、不二子ちゃんおっぱい、写真に残せばよかった…。とか考えてた。
残してどうするんだよ。
 でも今回の2人目は逆だ。
あー、これこれ!これだよ、私のおっぱいは!
背筋伸ばして、胸を張って歩いてても全然主張されない!
君を待ってた!
10代の時の私は、なぜ君をコンプレックスと呼んでいたのだろうか。
こんなに清々しく胸を張って歩けるのに。


私のおっぱい戦は終わった。




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