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子どもは絶対に1人。と決めていたが、もうすぐ2人目が生まれます。


腹をくくった

 不妊治療をしている人に失礼かもしれない。
私も流産した後、不妊治療を考えた。
だが、身近に不妊治療をしている人の辛そうな様子を見て、ビビってやらなかった人間だ。

そのあと、運良く娘を授かった。

 子どもはできたら終わりではない。始まりだ。
身近に頼れる大人がいない子育ては想像以上の孤独だった。
初めての子育て。本当に心の余裕はなかった。
私には、ゆったり子どもと過ごすことなんてできなかった。
元々子煩悩の強い夫婦でなかったから、子どもは1人と決めた。
 だが、本気で子ども1人と決めたのなら、性行為をしない、避妊具を使用したとしても緊急避妊ピルを飲む、パイプカット手術をするまでするだろう。
そこまでしなかったということは、そのレベルの決意だったのだ。と今は思う。

 1人目、2人目の不妊治療している人に失礼だと重々承知している。
それでも私達はこれ以上子どもを望んでいなかった。
子どもを作らない夫婦に対し肯定的だ。
結婚=子ども。のような流れるように、当たり前に子どもをつくるぐらいなら、つくらないという選択をとってもいいと思う。
 子どもを育てることは自分の半分を削りとられても、片膝すらつくこともできないことだと思っているから。
ただの例えです。
頑張る頑張らないということではない。
そういう例えができる程のことである。ということだと私は思っているってこと。

 娘と2人で過ごす時間が多かった時期、私の中で独身時代が眩しすぎて「あの時に戻りたい」という気持ちで溢れていた。
だが2人目の妊娠が分かった時、その感情が薄くなっていった。
もう腹をくくったのだ。
もちろん私には一人の時間が必要だし、文句一つなく子育てができるほどの器の大きい人間ではない。
ただ、なぜだろうか。
独身時代に戻りたいとは最近思わなくなった。
本当に自然と、だ。
もしかしたら、やっと娘という人間に私は慣れたのかもしれない。
慣れるのに約3年も費やしたのかと思うと、自分の順応性の低さに嫌気がさすのだが。

 私は生理が予定より遅れている時点で、薄々感づいていた。
娘を妊娠した時と同じような下腹部のチクチクとした違和感もあったから。
数週間後、妊娠検査薬で結果がわかる日数になった。
生理の話になり、流れで夫に伝えた。
夜勤明けに妊娠検査薬で結果を一緒に見ようと夫に提案したが、夫は「仕事に手がつかないから今すぐ見たい」と言ってきた。
一緒に妊娠結果を見ることにした。夜勤出勤直前に。
 妊娠結果を見た時の夫はなんとも情けなく、私は「うわー…」ってなった。
夫は何も言葉が出ず、クッションに腰掛けている。
空気読めるちゃんの娘は心配そうに夫の顔を見て、夫を笑わせようとしていた。
 正直、私は夫の反応にがっかりした。
ただ私は自分の体の微妙な変化にすでに気がついていたし、心の準備を整えた上で夫に話した。
すでに妊娠検査薬を購入して手元にあったのがその証拠だ。
 逆に夫は、いつも通りに生活していて、いつも通りに仕事に行こうと思っていた矢先、妻から妊娠の可能性を聞かされたのだ。
夫に対して内心がっかりしていたのだが、私は私でズルイ自分に気がつき責めることはできなかった。
 ただ、やはり私も女なのだ。と自覚した。
子ができたことをパートナーに喜ばれないのは、物凄く悲しい、虚しい気持ちになった。
インスタグラムで見かけた、妊娠報告をして泣き崩れる男の姿でも期待していたのだろうか。
それは痛い痛い。なぜならあれほど夫婦で“子どもは1人”と決めていたはずの私達だったからだ。


 翌日の朝、夜勤明けの夫が帰宅した。
コンビニデザートを買ってきた。
 昨夜の夜勤前とは全く違う夫だった。
「めでたいことじゃん。俺ちっさかったわ。君はもう決めてるんでしょ。それに、一番最初に流産した子が戻ってきたとも思えてきて」
私にはその思考がなかったから泣けてきた。泣かなかったけど。
「2人ぐらいいいじゃん。それに20年後、きっとあの時育てるって決めてよかったね。って俺たちなら思ってそうだし」
 夫が言ったこの言葉は、私の頭の中で浮かんでいた言葉と全く同じだった。
全く同じ言葉が浮かんだことに対して、私は本当に嬉しかった。夫にまた一歩近づいたような気がした。私にとって、心の琴線に触れた言葉だった。

 私は夫の言葉に対して、余韻に浸っていた。
余韻に浸っている私に夫は、「これなら避妊しなくてよかったな〜。ゴ◯なかったら最高だったじゃーん。なんか損したキブン〜(笑)」と大馬鹿な冗談をぬかしたものだから、頭にパンチを食らわせようとした。
だが、夫なりに楽しい雰囲気で2人目を迎えたい感情の裏返しかもしれないと思いやめた。(それに私も内心、同じことを考えてたのもあり、パンチできなかった)
 それにきっと夜勤中は全くの上の空で、これだけ少しも眠くならない夜勤は初めてだっただろうから。

 夫婦2人の時間、または夫婦と娘の3人の時間にタイムリミットができた。
それに気がつくと、なんともない日常が、なんだか名残惜しいような、寂しいような。大切に感じるような。悲しい?愛おしい?慈しむ?名前が1つではない感情が渦巻いてくる。


 本当にあと少しでこの3人の時間も終わってしまう。
まさかたったの3年でこの3人の時間が終わるだなんて、思ってもいなかった。
 20年後、この自分が書いた文章を、温かく心地の良い気分で読むことができていたらいいなあ。




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