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児童養護施設に入る前の、毒親達の違和感と、祖母が面会に来た時の違和感


 小学4年生の時に児童養護施設に入所することになった。
 父と再婚相手の母親から、私達兄弟への虐待が原因だった。

 思い返してみると、児童養護施設に入所する前から父親と義母の行動には違和感があった。


 児童養護施設に入所することになる1ヶ月程前。
父と義母が私達兄弟に質問してきた。
「おばあちゃんと一緒に暮らしたいか?」
兄と弟は黙っていた。
私は打ち返すように「おばあちゃんと暮らしたくない。兄と弟ばかり可愛がるから」と返事をした。

 この私の台詞を聞いた時の、義母の顔といったら。
醜くて忘れられない。
私の台詞に対して、嬉しそうに、とても満足げな表情をしていた。

 あれだけ醜い顔だったのに、あの時の私は「ああ、この返答は正解なんだな。よかった」と考えていた。
 私が祖母と暮らしたくないと言った理由は1つ。
義母が祖母を嫌っていると常々感じていたからだ。
あの時の私は、目の前の大人に何を言えば満足してもらえるか、気分を悪くしないか、何が正解か。そんなことばかり考えていた。
 そんなことばかりを続けていると、そのうちに自分を感じ取れなくなる。
自分の心が何を思ったか見えなくなる。分からなくなっていった。

 祖母のことが大好きな兄からは、「お前がおばあちゃんと暮らすの嫌だとか言わなかったら一緒に住めたかもしれないのに。余計なこと言いやがって」と、学校に行く道すがら、嫌味を言われた。

 父は「そうなのか」と言って黙っていた。
まるで子の意見に対して頭を悩ませ、尊重する親のようだった。

 やりとりがあった数日後。
父がパンフレットを持ってきて、私達兄弟に見せた。
「長崎か広島どっちがいい?」
なんでもない会話、なんでもない日のはずなのに、何故か今でもよく覚えている。
父に対して違和感を感じた。
嫌な予感がしたのだろうか。
 そのパンフレットには、青空教室の説明があった。
海や空の写真がとても綺麗だった。
そして「里親」という文字があった。
その時の私は「里親」の意味を知らなかった。
 後になって、児童養護施設に入所してる子との会話で、里親の意味を知った。

 親に捨てられた先の住み家を、子自身に決めさせようとしていたのだ。
子に選択の自由を与えた気にでもなっていたのか?
それとも「自分で決めたのだから仕方がない」という気持ちにさせて、親への恨みを軽減させたかったのだろうか?
父の心は分からない。
いまさら聞けない。
いや、聞く必要もない。
知る必要はない。



 児童養護施設に入所して1ヶ月後ぐらいだろうか。
私は小学校から帰ってきて、自分の部屋に行った。
そこに祖母が立ってた。
「ごめんね」と泣きながら抱きしめられた。
 あの時の、温かさを私は忘れられない。
まるで、初めて人に抱きしめられたような気分だった。
何かが、足元から頭に向かって上がっていく感じがした。
幼少期に、父や死んだ母に抱きしめられたことは、何回だって何十回だってきっとあった。
赤ちゃんの時は、もっと多くの人達に抱き上げられたはずだ。
そのはずなのに虐待を受けた2年間で、全て忘れてしまった。
 「こんな温かいものがあったっけ」と思いながら、日当たりがいい部屋の真ん中で祖母に抱きしめられている自分を、遠くから見ていた。
 きっとあの時の私は少し、解離性障害だった。


 児童養護施設の一角に、家族と一緒に寝泊まりができる部屋があった。
子が親元へ帰る練習をする場所だった。
 この日、祖父母と兄弟3人でその部屋で過ごした。

 私達兄弟が児童養護施設を出て自宅に帰ることに対して、児童相談所から条件を出されたそうだ。
その条件とは、祖父母との同居だった。

 祖母が私に、
「おばあちゃんの私と暮らすのは嫌だ?」
と直接聞いてきた。
私は咄嗟に、
「義母がおばあちゃんを嫌ってたでしょ?だからおばあちゃんと一緒に暮らすのは嫌だと言ったほうがいいと思ったから、その場ではそう言っただけだよ」
と返答した。
嘘をついた。
この祖母の質問がきたとき、瞬時にわかった。
私の「おばあちゃんと暮らしたくない」発言を、父が祖母に話したのだと。
 祖母は義母を嫌っていた。義母は若くて細くて美人で、気の強い女だった。
祖母は自分の思い通りにならないと気がすまない人だった。気の強い女は祖母の言う通りにはならなかった。
 少し心臓の音が大きくなっていた。
祖母は私の「おばあちゃんと暮らしたくない」発言を聞いて悲しんだだろう。気分を悪くしていただろう。と思ったから。
少し焦り、早口になっていた。
嘘だと、バレただろうか。
祖母の顔を、ゆっくり目だけで見る。

 祖母は、あの時の義母と同じ顔をしていた。
あの忘れられない、醜い顔。
祖母は私の台詞に対して、嬉しそうに、とても満足げな表情をしていた。
 だが祖母の満足げな表情を見た時、私はまた「ああ、この返答が"正解"だったんだな。良かった」と思い、安堵していた。
 誰にでも通じる「正解」なんてものは存在しないのに。
相手が気分良くなる返答を探すクセが身についてしまっていた。
自分の意見をまともに言えず、言うどころか考えることすらできない当時の私のことを考えると、なんとも気持ちの悪い生き物だったと今は思ってしまう。
野生の動物の方がよっぽど純粋でまともだ。



 今思うと、祖母のあの場でのあの質問の仕方には、悪意があった。
 小学4年生の孫。自分の息子の虐待が理由で児童養護施設に入所した。
面会が上手くいった証明がなければ自宅には帰れない。
職員に良い印象を残さなければならない。
祖母はプレゼントやお菓子を、私達に沢山渡して帰っていった。
 私の「祖母と暮らしたくない」発言を職員が知っていたとする。
それが嘘でも本当でも、その言葉を無視できないはずだ。
だから祖母は早めにあの場で修正をしたかったのではないだろうか。
勿論、早く孫を施設から出して自宅に返してあげたいという良心もあったのかもしれない。

 それでも、「自分のことが嫌いなのか?」と直接本人に質問をして、本心を聞けると本気で思っていたのだろうか。
小学生4年生に。
 もし本気で問題を解決したいと思ったのならば、どのような環境で誰からなら子どもの本心を聞くことができるだろうかと、模索するものではないのだろうか。
 きっと祖母は、直接質問を投げかけることで、私が「嫌い」と返答しない。という確証が内心あったのだろう。
私が「嫌い」と答える可能性があると考えたのならば、このような直接的な質問の仕方はしなかったのではないだろうか。
 そもそも、私が本心で何を思っているのかなんて、どうでもよかったのかもしれない。
 世間体で生きている祖母からしたら、"児童養護施設に入っている孫"は恥なのだろう。
"自分の息子が虐待をした"なんて、もっと恥なのだろう。
だから、原形がないほどに殴られた兄の顔の写真を見ても「父は悪くない。あの女(義母)に騙されたのよ」なんて発言を私達に言えたのだろう。
事実を捻じ曲げて自分の解釈に心酔して。
 「あなた達の父親は、根は本当に優しい人なのよ。あの女のせいなの。本当は兄くんのこと心から愛してるんだよ」
といったようなことを祖母は兄に言っていた。
兄は「わかってるよ」と答え、キラキラした目で父の好きなところを祖母に話していた。
 私は少し口角を上げ、じっと祖母と兄を見ていた。
この時の私は、それなりに周りの施設の子達の影響を受けていた。
兄のように大人の言葉を真に受け入れれなかった。
「こいつ…。こいつ!」
心の奥底が気持ち悪かった。嫌悪があった。
だがその時の私は、嫌悪の処理の仕方を知らなかった。
この感情をどう捉えたらいいのか分からず、混乱していた。
自分の湧き上がった感情の名前に気がつくのに、時間を要するようになっていた。
悲しむから泣く。怒りから怒る。そういった処理が下手くそになっていた。
 弟を見た。
弟は黙っていた。
弟は何も思っていないのか、私と同じように混乱しているか、分からなかった。

 あの日、私は脇目も振らずに自分の感情を爆発させるべきだった。
お前等おかしいよ。
そう、祖母に言えばよかった。
もちろん兄にも。
 上手く言葉にできずとも、湧き上がった嫌悪を表面に出せばよかった。
別に何か変わっていたと思うわけでもないけどね。


 兄が先日、自殺した。
おばあちゃん、あなたのあの日の兄へ浴びせた言葉について、どう思う?
お前が間違えた。
だから父は間違えた。
だから兄が間違えたんだよ。

お前と父はまだ生きているというのに。
みっともなく生きながらえているというのに。
まだ間違いを直す機会だってあるってのに。
間違いだったと、認めることすらできずにいるようだね。
32年で終えた兄の次の人生に、お前等の残りの人生をあげることができたらいいね。



 私は大人の顔色をうかがう子だったが、同時に他人を信じきれない子だった。
ネガティブだらけな気もするが、その獲得した特技によって、兄のように精神を病まずにいられた。(多分)
 兄との違いはそこだと思う。
兄も大人の顔色をうかがう子だったが、私と違って他人を信じやすかった。
逆に私は冷たくあっさり、奴らを捨てられる。
欠落した私のおかげで、奴らの悪口を時に言いながらも普通に生きている。
しかもこれが、今、普通にめちゃ幸せに生きてるんだなあ。ふしぎ。

自殺した兄への負い目はないのか?!って?
これが、ないんだなあ。
ないことが負い目だね。
だって私は、兄が死ぬと分かっていたとしても兄を愛せなかったから。
これが答えなんだよなあ。
負い目なんて感じずとも、もう兄が自殺した日に、目に見えない何かが私の背に乗ったんだろうからさ。
わざわざ何かを言葉にする必要ないと思うのです。

だって今の私は、イライラしたらすぐ顔に出ちゃうし、映画観てわんわんと涙でるし。
なんなら私の文章読んで泣いたと言ってくれて、先日1人でじんわり泣いたところです。




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