科学の2つの落とし穴と、非科学への向き合い方【人生工学ー第1章②”いま”から人生を変える科学的方法ー】

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では、早速!

②実はあなたも「非科学的な体験」をしている?

ここで、あやしい話をします!笑
あなたは今までの人生で「不思議な体験」をしたことはありませんか?こんな経験があるかもしれません。「たまたま行った場所で素敵な運命があった」「直感で相手の考えがわかった」「なんとなくで選んだら当たった」あるいはもしかすると、「やたら当たる占い師に出会った」「友達が霊を感じる」「催眠術を体感したことがある」という経験もいるかもしれません。科学的には説明できないけど、確かに起きたあの「個人的事件」…あなたも1つや2つはありませんか?

世界35ヵ国を対象にした科学的研究では、「10人に1人が幽体離脱の経験している」ということがわかりました。”幽体離脱のしくみ”はまだ科学で説明できないけれど、おそらく確かにある…。

「いや、まだ非科学的なことは受け入れない」と思うかもしれません。そこで改めて、
科学それ自体が持つ2つの大きな”落とし穴”とも言える科学の性質をご紹介させてください

③科学の2つの落とし穴

1、「観測したデータが正しい」という”仮説”が前提にある。
科学の一つの根幹は、実験や分析による”データ”を軸とすることです。”実験結果は正しいだろう”という仮説が常にあるのです。では、観測したものが間違っていたとしたら…?

おかしな話かもしれませんが、もしこの現実自体が夢だったらどうでしょう?夢の中では人間が空を飛んだり、動物が言葉を話すことを観測できます。でも夢の中の出来事はあくまで夢。いくら観測したって正しいことはわかりません。現実自体も夢であるならば、観測した実験やデータを分析しても、科学的に意味がないことになります。もちろん夢であること、データが間違っていることには気づけないでしょうが…。

実際に、科学の現場でも実験結果が”後から否定される”ことはあるあるです。ノーベル医学・生理学賞を受賞した本庶佑はこんな発言をしています。「(信憑性が高く重要な研究を取り扱っている科学誌の)ネイチャーやサイエンスに出ているものの9割は嘘で、10年経ったら残って1割」。”科学論文でも9割が嘘”と大の科学者が言っているとすると、科学を盲信する危険性を感じませんか?

”観測が正しい”が科学の根幹にある。これ自体が落とし穴にもなっています。

2、「今はわかってない」ことを明らかにしていくのが科学
科学のもう一つの根幹として「今はわかっていない」ことを明らかにする性質があります。
たとえばエジソンやフランクリンが実験するまでは、多くの人が”電気”の存在を信じていませんでした。”雷は神の意志である”と考えられた時もありましたが、科学により「放電で小さな雷を作れる」と明らかになりました。一度は”当たり前”になった理論も、”本当に本当に本当に正しいかは、今はわからないよね!”という態度で何度も実験され、実際に間違いがわかったこともあります。

”今は非科学的”とされていることも、科学の発展により当たり前に説明できる・扱えるようになるかもしれません。”非科学的な現象”というのは”科学的じゃないので間違い”なのではなくて、”未来の科学では正しく扱える現象”かもしれないのです。もしかしたら”幽霊の作り方”も分かる様になるのかも?

以上2つの性質から、科学は絶対ではありません。まじめな言葉を使えば「反証可能性がある」ものこそ科学。つまり”後から全部嘘となるかもしれない”ことが科学の本質です。先ほどの”牛乳”や”優生学”だけではありません。天動説、地球平面説、四体液説、カロリック説、脚気…分野を問わず大小様々な科学の提言が、後からひっくり返されています。「元々科学は絶対的ではない」ものなのです。

人生工学は、非科学的なことも受け入れる世界観(=現代最新科学の仮説の領域)を取り入れます。すると、見えてる世界が明るく変わってきます。例えば……最後に、科学と非科学を合わせた一つのプチ世界観をお届けします。

④言葉は魔法?私たちも魔法を使えるかもしれない!

ハリーポッター、好きですか?私は大好きです!魔法を自在に使いこなして戦ったり、ちょっとラクに生活したり、時に世界を守ったり、ワクワクしますよね。物語の中にはいろんな魔法がありますが、”呪文を唱えると現実が変わる”というのが一つの魔法です。

でもその意味で言えば、あなたは既に魔法使いかもしれません。
例えばこんなことはカンタンに想像できるでしょう。さっきまで激しい喧嘩をしていたのに、相手から「ごめんなさい」としっかり謝られたら怒りが収まった。走っている友達に「待って!」と言ったら走るのをやめた。
馬鹿らしいかもしれませんが、とらえ方を変えれば「ゴメンナサイ」「マッテ」という”呪文”を使うことに成功しているのです。当たり前と言えば当たり前ですが、不思議だと思えば不思議なことです。「マッテ」という言葉には「走るのをやめなさい」という意味はないのに、不思議とその効果がある。

一方で、大統領や軍部が合わせて「撃て」と言えば、都市一つも破壊できるでしょう。核ミサイルによって。魔術とは”不思議な事を起こさせる術”という定義もあります。「ルーモス」と言えばAIが部屋に電気をつけてくれる設定もできるでしょう。杖をふらずともスイッチ一つ押せば、赤ちゃんでも部屋を明るくできるでしょう。これらは昔の”科学”では”ありえない”とされていたことでしょう。これらも十分に”魔術”と読んでいい領域かもしれません。私たちは”電気”そのものをみることができませんが、それを信じていて、しかも使うこともできます。実は既に、見えないものを信じている。

「非科学的だから認めない」を超えて、「これからもっと非科学的なことも出来る様になるだろう」と思えば、世界はもっとも面白くワクワクしたものになるでしょう。

改めて「科学は素晴らしい!でも絶対では無い」という立場から、人生工学の世界観の扉を開いていきましょう。

ーー第2章に続く↓ーー



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