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自由を得ると孤独になる

僕の目の上に見える人が、
僕の自由を抑圧する
 
僕は、自由を得ると孤独になる。
 
孤独は、自由の副産物。
自由の裏面について来るもの。
 
孤独という概念が生まれたのは、岸見一郎著「エーリック・フロム」(講談社現代新書)によれば、「ヨーロッパでは、市民が封建制度を革命によって打ち壊し、ヒューマニズムという人間解放運動によって自由を獲得したとき」とありました。
 
エーリッヒ・フロムは1900年産まれで、その151年前、1749年に生まれたゲーテは、その人権運動以前から広汎な自由に恵まれたいたようで、孤独に関する詩をたくさん詠んでいます。
貴族階級ですからね。
目の上に人が居なかったと思います。
 
こう考えると、日本人が孤独と言う言葉を使ったのは、何時なのか興味が湧きます。
昭和30年頃までは、僕の田舎では、天皇陛下の写真を大切そうに額縁に入れ飾っていました。
この人だれ?と聞いたことを覚えています。

戦争時代は、国を挙げて戦勝を目的にしていましたから自由は抑圧され、孤独という概念は忘れていたのだろう。

近年は、自由が保障され、時間の余裕が生まれ、漸く孤独になれた。
いかにも、人間らしい匂いがする言葉だ。
 
若い頃、孤独と言う言葉が耳に響いたとき、何か難しいことを言う人というイメージとおしゃれな知識人だと感じたことを覚えている。
 
最近は、孤独、孤独感、孤独死、孤独社会という言葉を頻繁に耳にするので、自由とセットで大衆化されたんだと時代を感じて居ます。

孤独と孤独感について、ご一緒に考えてみたいと思います。


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