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ワガママレディと腸育の出会い

高校卒業後看護学校へ入学した私
准看からの学校だったので高看の資格とるまでに5年間かかりました。
皮膚科クリニックで働きながら学校に通い、看護師免許を取得。

そのあと、精神科病院、介護老人保健施設、特養を経て
今の職場に転職しました。

高校卒業して社会人になってからも
相変わらず私の腸はどこにいったのか、びくともしなかった。
私以外にもこんな人いるのだろうか……と思ったが、忙しさにかまけて考えないようにしていた。

食欲はあった🐷
学生時代はチャリンコでの通勤通学だったからそこそこ運動もしたし🚲
当時流行ったカスピ海ヨーグルトを作って食べたり、
乳酸菌のサプリ飲んでみたり💊
食物繊維の粉を摂ってみたり。

便秘にいいと言われるものはありとあらゆることを試したんですよ!!!!←大声
しかし出るもんは出ない。
マジで、ウンともスンとも言わんのです😑

そのくせして、
間違ってお屁んじなんぞした日にゃ
周りに大変ご迷惑をおかけしておりました💨

結局は、下剤に頼るという日々。センノシドとかコーラックとか飲んだことある方ならわかると思うけど、アレお腹痛くなるんですよね🥲
30分以上トイレと仲良し‪🚽👩‍❤️‍👩

そんなある日のこと
大腸癌検診の精査を受けにきた患者さんの大腸カメラの検査介助に入る機会がありました。

その患者さんは、慢性的な便秘で毎日センノシドを飲んでいる方だったんですけど、お薬の影響で、大腸が真っ黒だったんです。

コーラックなどの刺激性下剤を長く使用していると、メラノーシスという状態となり、大腸粘膜が黒く変色してしまうのだそう。

もうね、おったまげですよ。
大腸カメラで見る粘膜の色って、ピンク🩷っぽいイメージじゃないですか。それが黒い⚫

ひぇぇぇぇーーーーーーー!!!!!!!!!!

きっと、今の自分の大腸これだろ??いや、これより酷いかもしれない😭


もし私の腸がこのまま行方不明のままだったら
この先私はどうなるんだろう

行く末は
大腸癌とかなって
人工肛門造設とかなっちゃうかもしれない

私の祖父は大腸癌でした。人工肛門造設後、数カ月で亡くなりました。
癌には遺伝性のものもあります。

アラフォーを迎えてから、患者さんたちと接する中で、ふと自分の体のことを考えることが多くなりました。

いくら長生きでも寝たきりにはなりたくない
一日でも長く健康で、どうせなら綺麗でいたい
でも面倒くさいことと金がかかることはしたくない
運動したほうがいいのは分かるけど自分には続かない

そんなワガママレディなことを考えいたところ
私は腸育と出会います。



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