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感嘆詞でっかち

私が通っていた幼稚園では、
定期的に日記を書く時間があった。
ある日突然先生から指示があった。

「ねぇ、「きょうは」や「きのうは」から始めずに日記を書いてみて!」

ええ〜?!
園児たちは、友だちと顔を見合わせ困惑した。
「そんなのむりだよ」
「そしたらどうやってはじめたらいいのー!」
「なにかけばいいのかわかんない」
「せんせい、どういうこと」
「えー、〇〇ちゃんどうするー?」

お決まりのフレーズが封じられてしまった。
あっという間に、教室が口々に飛び出す不安や疑問でいっぱいになった。
しかし書かないことには終わらない。
さて、どうしようか。

「みんな工夫して考えてみてねー」

工夫…くふう…
午後のこの時間、お腹はいっぱいだし、
気の利いたフレーズが浮かびそうにない。
なるべくすでに頭にある文章から
最小限の労力で窮地を脱したい。

当時の私は、小賢しくもたくましく、
頭の中で文章をこねくり回しだした。

書きはじめが、「きょうは」「きのうは」にしないようにする。
へえ、確かに言われて初めて気づいたけれど、
これまでは当たり前に「いつのことか」について最初に触れていたんだな。
ほかに文章の中にあるのは、どこで、どんなことをしたか。そして、なにを思ったか。
「どこで」を最初に持ってきたところで、結局それっていつのはなし?って思うかもしれない。
それじゃあ…
最初に思ったことを持ってきたらいいのではないか。急なはじまりだけど、そういうのもおもしろいかもしれない。その後はいつもどおり。スーパーイージー。

よし。
一度決めたら、書くまではとても簡単だった。

「せんせい、できました」

一番のりで恥ずかしかったけれど、
早く終わりたかった私は先生に渡しに行った。

「おっ、書けたー?」

先生はニコニコ受け取って、私の日記を読み始めた。
先生の目がきらりと光った。
私はなにかよくない予感がした。

「みんなーー!ちょっと聞いて!」

えっ、えええーーー

「きほちゃんが書いてくれました。
 こんな書き出しです。
「ああ、おもしろかった!きのう、わたしは…」」

ああああああああああああ
私は頭の中でのたうちまわった。

読み上げられるとひどく馬鹿っぽい、というか、
天真爛漫なこどもらしさを演出している感がとてつもなく恥ずかしい。
私は園の中でも体が大きく、年齢より大人っぽくみられがちだった。しっかりキャラとして、先生から役割を任せられることが多く、自分の立ち位置はわかっていたつもりだった。

え?読むの?
うそでしょ、みんなに知られちゃうの?

すっかり逃げ切った気でいた自分の見通しの甘さに、後悔しかなかった。
一瞬で体中から汗が吹き出し、真っ赤になった。
先生にそんなつもりはなくても公開処刑に等しかった。

その先の園児たちの反応は、想像にたやすい。

「ああ、おもしろかった〜!ギャハハハハ」

…まぁ、そうなるよね、
いやもうなんとでも言えばいいさ。
兎にも角にも、私は済んだのだ。
冷やかされ、一定の恥ずかしさはあったものの、
その山を超えてしまえば開き直りに近かった。

先生は「よく考えたね」と私を褒めてくれ、
その日のうちに母親にも伝えられることとなった。
中には「きほちゃん、すごいね」と言ってくれた友だちもいたが、噂が噂を呼び、
どういうわけか気づけば小さいコミュニティ内で
私は「ああ、〇〇」の子として一躍時の人となってしまった。

感嘆詞がひとり歩きしている。
ああ、なんということだ。

先生はそれからも日記の時間のたびに
「今日はどんな気持ちから始まるのかなって、毎回ワクワクしているの」
と、私の書き出しを楽しみにしてくれていた。
いよいよ引くに引けなくなった。
しばらくして「きょうは」「きのうは」の禁が解かれてからも、突然打ち切りにしていいのかわからなかった。
私は感嘆詞の申し子として、感情のバリエーションを必死に考え、備える日々を過ごした。

卒園とともにその習慣は必要なくなったが、
こくごの教科書で感嘆詞を見かけるたびに
恥ずかしいような懐かしいような気持ちになった。





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