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TOKYO BIZARRE CASE(第二十二話)
†
大量の海水を飛沫に変え、ゴーレムが上陸する。水際の遊歩道にその巨大な脚が踏み下ろされると、金属製の手すりがグシャグシャに潰れ、舗道のコンクリートに亀裂が走った。その轟音が静寂を切り裂いてあたりに響くが、耳にする者は今夜はいない。
もう一歩。
さらにもう一歩。
ゴーレムが前進するたびに地響きがして、四本の腕で靄がかき回された。ビルと遜色ない巨きさの体躯から、ヘドロやゴミが零れ落ち、たちまち水の広場公園は惨澹たるありさまになった。
バラバは我知らず顔をしかめた。濃い瘴気が一帯にわだかまっている。ヘドロの臭いなど比ではなかった。海風でも散らしきれないほどの瘴気が靄の正体と気づいて、ゾッと全身が総毛立つ。
「こんな……こんな中で普通の人が正気でいられるわけがない……」
マリアが煙で燻されているかのように、手で口を覆う。こんなときでも、どこかの誰かの心配をしているマリアが愛しかった。
(ーーなるほど)
繁華な一画であるはずなのに、遠望すれども人影は疎らである。ゴーレムには魔術的な穏身が施されているが、そんな備えをしなくても目撃者などいなかったろう。野性的な感応力の衰えた然しもの現代人でも、この恐怖の気配には尻尾を巻いて逃げ出さざるを得なかったとみえる。
ゴーレムは、観覧車を右手に見ながら道路をのっしのっしと歩いた。上下動は魔術で相殺されているはずだのに、常にない振動を感じる。瘴気の抵抗だ、とバラバは思った。振動がいつもより激しいのは、この濃密な瘴気をかき分けねばならないからだーー。
すぐに、ゆりかもめの高架が眼前に立ち塞がった。バラバが無造作に腕を振りかぶると、ゴーレムの二本の腕がそれに倣った。
「ダメ~~ッッ!!」
マリアが噛みつきそうな顔で迫り、寸でのところでバラバがーーゴーレムが思い止まる。ち、とバラバは舌打ちした。こんなショボい障害物、一撃で砕けるのに。
さて、どう回避するか。バラバは逡巡した。
ゴーレムはすでに過剰に〈強化〉されていた。命なき土の塊に無理やり〈生〉を吹き込まれただけでなく、『ウィチグス呪法典』によって暗黒宇宙の忌まわしき霊威力をその身に注がれているのだった。枢機卿が知ったら卒倒しそうな荒業だが、そのお陰でゴーレムは、ほんのわずかな期間でこの大きさに〈成長〉したのである。
とはいえ、さらにこれ以上の負荷に耐えうるだろうか?
バラバの逡巡はそこにある。呪力が多重に、そして高密度で一点に折り重なった結果、どんな事態が出来するか歴戦の〈戦乙女〉とて予想がつかぬ。
がーー。
そのとき行く手の方から、ほとんど物理的な圧力をもって禍々しい気配が押し寄せてきた。さながら爆風のようである。いや、元からあったそれが急激に膨れ上がったのだ。
(ーー彼奴が実体化したのか!?)
波濤にも似たその気配は地を震わせ、ゴーレムですらたじろがせるほどであった。心なきゴーレムですら。
すぐさま決断したのはマリアの方だった。
端末をバラバから奪うと、ファウスト博士の『アルマデルによるソロモン王の真の鍵』をダウンロード。
意図を察したバラバは、奥義書の飛行魔術をすぐさま発動した。ゴーレムの巨体が、見えない階段を駆け上がるように宙を跳ぶ。悠々と高架をかわした。
高架の向こう側に着地するなり、ゴーレムは幅広の大通りを疾駆しだした。
中央分離帯の木々が翔ぶように後方に流れる。この時間に本来いるはずのトラックやタクシーは、一台も見当たらない。
さらにもう一つ陸橋を越えたゴーレムは、たちまち〈そこ〉にたどり着いた。
〈そこ〉は上空から見ると8の字型になっている大型歩道橋だった。だがすでに周辺は、フルフルと蠕動する闇に呑み込まれようとしていた。交差点の道路は波打って、コールタールの海みたくなっている。そのドロドロとしたモノは、四つ角の建物たちにも侵出し、外壁を這い上っている。
ゴーレムが、たたらを踏んで立ち止まった。二人は眼前にくり広げられる光景に言葉を失った。
無理もない、決戦の場にのぞんでみれば、すでに戦いの火ぶたは切って落とされていたのだ。宙に浮かぶ男たちが、地上の巨大な闇溜まりに向かって攻撃をしかけていた。
輝く大蛇のような何本もの光の柱が、網目の如く結びつき絡み合い、うねっている。ゴルディオスの結び目のように縺れに縺れた蛇体は、透徹した一つの目的ーー明らかな意思を持っていた。増殖せんとする暗黒淵を閉じ込めようとしているのである。
ふいに網目をぬって、蟇蛙の舌のように〈闇〉の一部がゴーレムに伸び来たった。ゴーレムはわずかにさがりながら、四つの拳を連打で繰り出した。それが弾幕のような役割を果たして〈闇〉はシュルシュルと引っ込んだが、ダメージを負ったようには見えない。どころか、チューブから捻り出されたクリームのような黒いモノが、眼前に溜まって醜悪な塊を作りはじめている。
男たちが何者なのかは分からない。しかし〈水眇獣〉と対峙している以上、少なくとも利害関係は一致しているとみてよい。それに躊躇している余裕もなさそうだ。今の攻撃の如く、男が掌握できているのは〈闇〉の一部であって、光蛇の届かぬそこここで〈闇〉が飛び出そうとしているのだ。
実際にこれらのことどもを見てとったのは、ほんの数秒の間のことだった。素早い一瞥を交わしたのち二人は、同時にそれぞれの動作に入った。
人造人間であるマリアは、聖庁の技官たちの手により、生まれつきアブラメリン魔術を行えるよう〈設定〉されている。すぐさま〈神的存在〉ーーすなわち守護天使ーーと交信したマリアは、印章の描かれた護符を用いて、攻撃対象を前方の〈魔〉に据えた。彼女が聖句を唱えると、降臨した〈神的存在〉は、ビームランプのような暴戻な後光を撒き散らしながら〈魔〉に突進していった。
一方バラバは、ゲーテが描いたのと同じ五芒星呪文を唱えた。
「地精よ、いそしめ!!」
ゴーレムが前屈みになり、四本腕を地に着けた。六本足の奇怪な魔獣がそこに現れた。
ガラクタで形成されたゴーレムの躯体に、大地の霊威力が注ぎ込まれる。加熱された蛍石のように、全身が鈍い暗緑色に包まれた。頭部に牙とも角とも知れぬ突起部ができ、六本の足すべてに元々はなかった鉤爪が高速で生え揃った。元素精霊によってゴーレムが、さらに強化されたのだ。〈水眇獣〉がその名の通り水の属性ならば、四元素説に則って土の属性が優勢になるはずである。ーー予想では。
バラバが攻撃命令を下すと、鉤爪がガッチリとアスファルトに食い込んだ。
WROOOOOOOOOOOOOOOON!!
ゴーレムが雄叫びをあげる。たわんだ枝が反発で弾けるように飛び出す。手近な〈闇〉の塊に、鉤爪を突き立てた。
卍
突然の闖入者に、八咫坊の集中がわずかに乱れた。
Ω
〈それ〉は、微かな好機を見逃さなかった。
卍
「ぐふっ!」
頭上の苦鳴に、八咫坊は振り仰ぐ。
玄海が、闇色の触手に貫かれていた。
白い装束が鮮血でみるみる染まる。ぐらり、と玄海の身体が傾いだ。
八咫坊の視線が、周囲を走査。あった。
〈不動明王金縛り〉のわずかなすき間から這い出た彼奴の一部が背後から忍び寄り、玄海を襲ったのだ。
「玄海!!」
意識が逸れ、八咫坊の支配力がさらに弱まる。好機を見逃すような敵ではなかった。〈それ〉は全ての力を〈縛〉の一点に集中させた。
一瞬の出来事だった。
堰が決壊したように、一箇所から〈闇〉が溢れだした。彼奴の身体が、ついに八咫坊の術を喰い破ったのだ。
「くそっ!」
悪態をついたのと、重力を感じたのが同時だった。玄海のダメージによって、〈飛天の術〉が弱まったのだ。
「おい!! 玄海、しっかりしろ!」
八咫坊は叱咤するも、ずるずると二人は落ち始める。
あっという間の形勢逆転だった。コントロールを失った〈外法頭〉がそこここで〈闇〉に掴まった。蜘蛛の巣に捉えられた蝶みたく動けずに、〈闇〉に呑み込まれ、駆逐されていく。
ガクン、とさらに落下速度が増した。その先にはーー黒い底なし沼のような闇溜まり。ゼリーのようにそれがフルフルと揺れたのは、喜悦ゆえか。
だめか。
観念しかけたとき、落下が停止。再び上昇し始めた。
「玄海!!」
口の端に血を滴らせながらも、玄海がにやり、と笑った。満身創痍の身体でもう一度、〈飛天の術〉を再開する。
八咫坊の脳裏に、たった三年間の全人生がフラッシュバックした。
刹那、腹が坐った。
俺はこの男をーー父を救うのだ。
†
反撃は等しくマリアたちにも与えられた。
死角からやって来て瞬時にゴーレムの脚に絡みついた敵の触手が、六本足の魔獣の機動力を奪っていた。
「くそっ! どうしたポンコツっ!!」
バラバが命じるも、ゴーレムは動かない。いや動けない。その間にもみるみる黒い触手は這い上がってくる。蔦が絡まるさまを早回しで観ているようだ。瞬く間にそれが、体幹部分に達した。
今度もマリアのほうが、決断が速かった。
「離脱するっ!」
バラバはマリアに抱きつかれた。二人は一気に宙に踏み出した。
気持ちの悪い浮遊感。
が。
着地の衝撃がない。
目を開けると、二人は宙吊りになっていた。頭上で煜く翼が拡がるが、羽ばたいてはいない。
マリアが呼び寄せた〈神的存在〉が、マリアの腕を掴んでいる。そのマリアがバラバの手を掴んで吊り下げている。マリアが上でバラバが下。二人は互いの両手を握りあい、一本につながっていた。
だが〈神的存在〉にも〈闇〉は容赦なく襲いかかる。二人にも。
上にいるマリアの脚に、触手が絡みついた。
「あううっっ!!」
マリアが苦悶の声をあげる。触手がマリアの脚を握りつぶそうとしている。骨が軋む。振り子のように、二人は揺れた。
「マリア、手を離せ!!」
「絶対イヤっ!!」
マリアが叫び返す。
「わたしはあなたを守るために生まれたのよ! 絶対離さない!!」
「バカっ、お前に何が出来る!?」
「一緒に死ねるわ!!」
迷いのない言葉に、バラバは絶句。
「マリア……」
「わたしたち、いつも一緒だったじゃない、ね」
マリアがほほ笑む。
バラバは嗚咽をかみ殺した。
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