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産後ガルガル期における「聞きたくなかった言葉」①

我が家の次女にはダウン症があります。以下に書く内容は、一般的な産後の話ではない部分もあると思いますので、参考まで。

自分の子どもにダウン症があると分かった時。それ自体も衝撃的ではあるのだけれど、それに加えて親を悩ますのが「どうやって周りの人に知らせようか」問題だと思う。

カミングアウトって言葉は使いたくない。別に悪いことしたわけじゃないし(これは障がいの告知だけに限らず、社会的な圧の中で秘めなければならないと思われがちなすべての事象について言えると思うのだけれど)、意を決して告白しなければならないような事態であること自体がおかしいと思っている。

話が早速、逸れた。

・・・え?悩まない人もいる?
そうですか。
じゃあ、悩んだ人・悩んでいる人・周りにそういう人がいるって人だけ参考にしてくださいまし。

ひかれたらヤダな

「伝えたところで、相手が言葉を失くしたらどうしよう」
「今までの人間付き合いが途切れてしまったらどうしよう」

自分の中でも消化しきれない感情がある中で、
「どう?元気な子、生まれた?」
と無邪気に問いかけてくる友人・知人に何と言ったら良いのか…。

私は結構悩んだんですよね~。

でも結局、相手が言葉を失くしたら…関係性が壊れたら…困るのは「自分」であって子どもではないんだな、と。

相手に迷惑をかけるわけじゃなし、迷惑だと感じるような人とは関係が切れても良いかと思って、「実はね~」と努めて(笑)フランクに言うようになったのはムスメが4か月くらいになった頃だった。

「せっかく生まれてきたのにね」

姉(当時小2)は学童に通っていたので、そのお迎えにムスメを連れていった時の事。お世話になっている指導員の方が居たので、「この子、ダウン症があるんですよぉ」と言ってみたところ、返ってきた返事が上記の「せっかく生まれてきたのにね・・・」だった。

・・・お?

なんだなんだ、このモヤモヤする感じは。
そして、追ってやってくる怒りの感情は。

頭の回転がはやい方ではない私は、その場では「はぁ」とか、「ふぅ」とか、適当で変な発声をしたような記憶しかない。

帰宅してから、脳が勝手にその発言への補完を始める。

「せっかく生まれてきたのにね…(障がいがあるなんて、なんて可哀そうなのかしら)」

「せっかく生まれてきたのにね…(これからご家族、大変ね。お姉ちゃんも可哀そうに)」

・・・なんでお前に憐れまれなければならんのや!!!!
勝手に私の子どもを残念がるなぁああ!!!!

想像にキレた挙句、その人物に対し、ひっそりと心の扉をクローズしてしまったのは言うまでもない。大人げないの極み。

母としての罪悪感

振り返って考えるに、その時一番刺激されたのは「障がいのない子として産んであげられなかったという、母親としての罪悪感」だったのではないかと思う。

本人に対してもそうだが、一番はきょうだい児であるお姉ちゃんに対して。

だから、お姉ちゃんの関係者である彼女にそれを言われたのは堪えたのだ、と今は分かるが、当時はとにかく…子どもに接する仕事をする人物にこのように言われたことに非常に腹が立った。障がい児教育への理解は一体?!と。

次の記事で書く「聞きたくなかった言葉 その2」も究極、この罪悪感を抉られることにつながるものだったのだ、と今は自己分析できる。(ただし、自己分析できたからその言葉を受け入れられたかというと、それは微妙だ。)

…とりあえず、産後ガルガル期の感情未消化母にこういうこと言うと、思わぬ反感を買うことがあるので気を付けてあげてもらえると嬉しいな(遠まわし)って話でした。


続きもそのうち書きたい。

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