2つの医局へ入局したが…

僕は一度転科(厳密にはダブルライセンスなので、転科ではないが…)しているので、並列で2つ医局に入っていた。

2つの医局に入ったことで、みんなの言う医局がヘテロな概念だと気付いた。医局ごとにかなり違うのだ。
 
当たり前の話で、医局は中高の部活だ。野球部、サッカー部、パソコン部、卓球部は全然雰囲気違う。
ハードな練習をするところもあれば、幽霊部員でも許されるところもある。簡単に退部出来るところもあれば、なかなか辞めさせてくれず、嫌がらせをされるところもあるだろう。
結局、医局というビジネスモデルが同じだけで、各々には差があるのは当たり前である。

1つ目の医局は、教授が研究者で臨床経験なしだったので、臨床や医局人事へはほとんど興味をもっていなかった。そのため、末端の医局員はほぼ野放しであった。
医局人事はほぼなく、個人が関連医局の病院の中で行きたいところがあれば、勝手にそこの部長へ連絡し、事後報告で教授の許可をとる形になっていた。自発的に動く人は多くはなかったので、関連病院は流動性が失われ、全体的に荒廃していた。

また、医局を辞めることは許してくれないが、他の医局へ並列で入ることは許してくれるという変な文化があった。

また、教授のシュライバーを40歳オーバーの役職ありの先生がしている姿を見て、震えた。教授は電カルが使えなかった。

大学病院の臨床では、役職ありの先生だけが診療に参画し、若手は検体運びやスピッツの用意と採血、患者を検査に連れて行くなど、本当の雑用のみだった。
便秘薬の処方まで、上の許可がないとだめというかなりファンキーな縛りプレイだった。毎日昼にカンファがあり、そこで全ての患者を報告する。看護師へのバイタル測定などの簡単な指示まで全てそこでの承認がないとだめだった。

また医局員は上の先生のことを馬鹿にしたり、スタッフの先生同士もお互いを馬鹿にしたりしていた。
お世辞にもよい雰囲気とは言えなかった。
大学の優秀な同期は卒業大学にも関わらず、入局しないことが多かった。

もう一つの医局は、お互いをある程度リスペクトする雰囲気があり、教授は人格者として尊敬されていた。
臨床経験も豊富なので、難しい症例では、皆が教授の意見を求めていた。

人事は医局がしっかりと決める分、医局員に自由はなかった。ただ各々の専門性を高めるように多少の配慮はあったが。

雑用が多いのは一緒だったが、若手の教育にも配慮されていた。ただ若手の労務に配慮するあまり、ハードワークが制限され、成長にかなりの時間がかかる面もあった。

また問題児がいたときに、その人への配慮をしすぎて、まともな人へ多大な負荷がかけられる傾向があった。これは内部でかなり不評だった。

カンファに来ない、1週間に1回しか診察しない、電話に出ない、そもそも病院に来ていないなどの人でも許させていた。

2つの医局は他にも色々と差異はあった。
ただ結局僕はどちらの医局をやめているが…。
中高でも部活は続かなかったので、予想はできた結果かなとは思う。



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