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アダルトチルドレンと向き合う

自分がアダルトチルドレンなのではないかと思い始めたのはだいぶ前だったように思う。
20代前半のころにはうっすら自覚が芽生えていたけど、自分自身と向き合う勇気がなくて目を背けてきた。
だいたい、中学1年生の13歳の時から、わたしはもう生きづらかった。学校に行きたくないと泣いて暴れたし、嫌いな教師に職員室に呼び出されて叱責された日には家に帰ってその教科の教科書をびりびりに破いて捨てた。

小学生のころは比較的自己肯定感の高いガキだったと思う。
きっかけは中学受験。
4つ上の兄はやんちゃで獣医になりたいと中学受験を希望したが、そうそうに放り投げて地元の公立中学に進学した。
兄は準備を始めるのが遅かったからしょうがないとあきらめた母は、私に受験に対するすべてのエネルギーを注ぎ込んだ。
小学校3年生から塾に行かされた。
放課後、まだ友達とドッチボールがしたくて家に帰らなかったら母が学校まで来て、みんなの前でひっぱたかれた。
ランドセルを投げ捨てられた。
鍵を閉められて家に入れてもらえなかった。

通っていた塾で内気なわたしは友達ができなかったし、「子供は恐怖で支配すれば勉強する」という方針の塾だったので、毎回小テストがあってその点数をみんなの前で言わなくてはいけなかったし、習ったことがテストにでたのにできないと机を蹴られ怒鳴られた。
出来が悪いと毎回一番前の席を指定され、怒鳴られた。
どんどん精神的に不安定な子供になっていった。

3か月に1回あるクラス分けのテストは小心者の自分にとってはプレッシャーで消えたくなったし、自分より後から同じ塾に入った同じ小学校の子が自分より上のクラスに配置されると母からは盛大にため息をつかれた。
落ち込む私を母は、「特別頭がよくなくてもいいのよ」と慰めたけれど、母が一番がっかりしてることに子供ながら気づいていた。
その慰めの言葉が、あなたには期待してないと突き放されているように感じた。
そんな日々を小学校時代の半分を過ごしたのだ。
小学校高学年になると私の心はもう疲れ切っていた。

塾に行きたくない、受験をやめたいと泣いても親からは今までかかった金を返せ、自分でやめると言いに行けと殴られるだけで、だけど学校生活では自分の心が限界であることを友達には悟られたくなかった。

唯一の救いは小学5年生の時に私が切望して家族となった犬だけだった。犬のおなかに顔をうずめているときだけが息ができた。
この犬が死ぬ時、わたしも死のう。とこの頃から思うようになった。

結局中学受験は最後までしたくないとごねたけれど聞き入れてもらえるわけもなく、最終的にはもうどうでもよくなって自分は見学にすら行かなかったような近所の滑り止めの女子校に入学した。
入学式で意気揚々と入試1位の成績をおさめた生徒が新入生代表の挨拶をするのを見て、母にまた溜息をつかれた。滑り止めでくらい1位になれ、と。

中学校生活は本当につまらないものだった。そもそももう生きることにも学校生活にもなんにも意欲がなかった。
入学して半年後には不登校気味だった。友達はできなかったし勉強にもついていけなくて授業中はずっと寝てた。
まだ中学に入学したばかりの自分たちに大学受験の話ばっかりしてくる教師たちが、自分たちの利益しか考えていないモンスターに思えて吐き気がしたし、なぜ全員が全員有名大学に進学することが前提なんだ?と思って気持ち悪かった。
意味不明な厳しい校則に文句を言いながらもしっかり従い、ちょっとまゆげを整えて色気付き始めた自分にぐちぐち言ってくるクラスメイトにも毎日うんざりした。

たかだか1.2年自分より早く生まれただけの先輩にこびへつらうのがバカらしくて、部活も中2でやめた。

このころから埋まらない心の隙間を食べることで満たそうとした。激太りした。学校の健康診断で太りすぎていると保健室に呼び出され、泣いた。
その頃から母には痩せろと毎日のように言われるようになった。

とにかく自分はなにをしてもダメなのだと思った。
可愛くもなく、頭もよくなく、太っている自分は生きている価値がないのだと思うようになった。

結局学校は高校1年の1学期でやめた。
高校入学と同時に別の学校にうつりたいと訴えつづけたが、母はわたしが中高一貫を受験し、高校までは進学したという事実にこだわり続けて許さなかった。
高校を途中でやめることを誰にも言うなと当時の担任と母に言われ、本当に誰にも言うことなくやめた。
友達だと思ってたのに…と連絡をくれた子が何人かいたが、なにも思わなかった。
だからなに?とすら思った。
29歳の今、地元の友達もいなければ中学からの友達というのもいない。
このころからたぶん、あまり人を信じられなくなった。

誰のことも信じていないから、誰にも自分の本当の心のうちを話せない。
自分はダメな人間だという自己否定がやめられず、嫌われるのが怖くて、誰にも頼れない。
犬が死んだ時ですら、当時付き合ってた恋人にも、大学時代からの10年来の友達にも、言わなかった。言えなかった。
彼氏は離れていったし、友達には泣かれた。
恋愛はいつもこの本当の意味で心を許せないところで躓いたし、友達とは本当の意味で親しくはなれなくて虚しさと申し訳なさを感じる。
そのくせ友達が自分に何も話してくれないことには悲しさを感じるんだから、わがままな人間だ。

とにかく私はいつも、自分で自分が許せない。
一人暮らしをはじめても母は会うたび、部屋は片づけてるのか、トイレ掃除はしてるのか、自炊はしてるのか口うるさく言ってきた。
そのたびに私はできてない自分を責められてる気持ちになって、また自己嫌悪に陥った。
やはり自分はなにも頑張れていないのだと。
毎日仕事に行って帰ってくるだけで精一杯な自分はなんて体力がないのだと、自分に失望した。
体力をつけようと24時間ジムに契約したが、結局行かなくなり、それも母に責められた。
ストレスを食にぶつける癖は今も治らない。母には会うたびにちょっと太りすぎなんじゃない?と言われ、また自尊心を傷つけられる。

いよいよ本当に希死念慮がピークに達して、意を決してメンタルクリニックに行きはじめて、カウンセリングを受けるようになって、心理士さんに初めて、「あなたは自分に求めるハードルが高すぎますよ。」と言われた。
「あなたはダメなんかじゃないし、すごく頑張ってるよ。自炊できないことって悪いことじゃないんだよ。世の中には自炊をしない人がたくさんいるから、冷凍食品も外食チェーンもあるのよ。やりたくないことはやらなくていいの。それは怠け者じゃないの。あなたは今から自分のやりたい気持ちとやりたくない気持ちに従う訓練を始めましょうね」と言って貰えて、言われたときは、そうかなあ?くらいにしか思わなかったけれど、家に帰って一人になった瞬間、他人から初めて頑張ってると認めてもらえたことにわんわんと泣いた。

わたしは今まで、やりたいこと、やりたくないことを親から認めてもらえたことがなかった。
わたしはずっと誰かにわたしはわたしのままでいいと言われたかったんだと思う。やりたいことを失敗してもいいからやってみて、やりたくない気持ちを受け入れてほしかった。

体力がなくて、心がすり減ると食べることと眠ることしかできない自分もまた、自分なのだ。と今は少しだけ、本当に少しだけだけのど、自分を許せるようになってきた。

母親とは少しだけ距離を置いている。
許せないと言う気持ちと、それでもここまで育ててもらった恩とやっぱりどうしたって母親の方が自分よりこの世界から早くいなくなるので、その時に後悔したくない気持ちがある。
だから母の日も花を送るし、誕生日も祝う。
感謝してる部分もあるから。

アダルトチルドレンな自分と向き合うこと自体、本当に本当に勇気が必要だったし、カウンセリングに行くたびに涙を耐えて1人になった瞬間大泣きするのは毎回精神的に来る。

同世代が結婚してやれ家の購入やら、やれ子供やらと人生の駒を着実に進めているのに、私はまだ過去の自分と今の自分と向き合うフェーズにいることに、なんともいえない焦燥感と絶望を感じることもある。

それでも、どうせ死ねないなら少しでも生きやすくなりたい。
死ぬ時に、少しでも自分が自分であることに、この人生に、意味があったのだと思いたい。

あと、顔はいいのに痩せろよと今までいろんな男たちに言われて生きてきたが、そいつらのことは絶対に許さないし死ぬまで呪う😸
人の容姿に口を出せるような見た目でもない男が、うるせえんだよ。

いまだに過食癖が治らないのは本当に苦しい。自分の意志とは裏腹に食べることがやめられない。
お前らに、わたしのこの苦しみが、わかってたまるかよ。

わたしはいつか、生きててよかったと思える日が来るのだろうか。

おわり

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