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【映画感想・考察 Vol.1】フォレスト・ガンプ/一期一会

こんにちは、モリモトです。(さっそくハンドルネーム「はつか」がなんだか恥ずかしくて変えてしまいました)

自己紹介以来初めてのnoteです。

第一弾は何を書こうかと悩んだのですが、まずはあまり気負わず、
つい先日久しぶりに観た「フォレスト・ガンプ/一期一会」の感想を書いていきたいと思います。

少し掘り下げて語ろうと思いますので、どちらかというと既に鑑賞された方向けの記事になってしまいそうです。当然ながらネタバレ注意となりますのでご了承ください。

映画概要/あらすじ

邦題:フォレスト・ガンプ/一期一会
原題:Forrest Gump
公開日:1994年
主演:トム・ハンクス(Tom Hanks)

フォレスト・ガンプは、幼い頃から知能指数が低めの少し変わった子でした。

物語はフォレストがバス停でバス待ちの見ず知らずの疲れ切った看護師の女性に
自身の人生物語を語り始めるところから始まります。

「人生はチョコレートのようなもの。開けてみるまで何があるかわからない」

フォレストのお母さんがフォレストに伝え続けていた言葉通り、彼の人生には色々なことがありました。フォレスト自身はただピュアな本能に従って生きてきたのみ。淡々とこれまでの人生について語っていきます。

そしてこれからの人生に何が起こるのか、彼はこのときまだ知りません。

ペラペラ感想

フォレスト・ガンプは数年ぶりに観たのですが、、
「こんなに悲しい話だったっけ!」というのが率直な感想でした。

もちろん、救いがないという意味ではないのですが、以前鑑賞したときはどちらかというとコミカルな部分に惹かれていた気がします。(ババのエビトークなど)

映画を何度か見ると2回目、3回目は1回目とは違うところに気づくという方が多いと思います。私自身も今回はある程度の前知識があったので、前回鑑賞時とは違う後味を感じました。

さて、ペラペラな感想はここまでにして、ここからは本題に入ります。今回はフォレストとジェニーの人生と彼らの運命について考えてみたいと思います。

フォレストとジェニーの人生と彼らの運命について

作中では、フォレストの幼少期から語られていきます。
フォレストを初めて友達として接してくれた、また彼の初恋もとい一生の想い人となる幼馴染のジェニーについても、裏の主人公のような形で語られていきます。

さて、その2人のそれぞれが持っている親子関係ですが、フォレストの場合は父親がおらず、母親のみです。フォレストの母親は彼が持つ障がいなんて関係ないと、いつもポジティブで正直な言葉をかけてくれる優しく、強い女性です。
(おそらく、彼女がフォレストに嘘をついたのは「vacation」の意味が「どこか遠くへ行って帰ってこないこと(=父親は帰ってこない)」と説明をしたときくらいなのではないでしょうか)

フォレストの母は民宿を営んでおり、家には多くの人が出入りしていきます。そんな環境で育ったこともあるのか、障がいを持ちながらも人のぬくもりや愛を感じながら育っていきました。

一方ジェニーは母親を亡くし、父親と暮らしています。その父親は酒乱で、彼女はそんな父親の元へ帰るのを嫌がりました。フォレスト曰く「いつもジェニーを撫で回している」とのことで、フォレストにはわからなかったのかもしれませんが、どことなく近親相姦を想起させます。

その後、ジェニーはフォレストの近所に住むおばさんと一緒に暮らすことになります。大学生になり、ジェニーはフォークシンガーになることを夢見ており、フォレストにもその夢について話します。

大学を卒業し、フォレストが米軍に入隊した後、雑誌「プレイボーイ」になんとジェニーが載っていました。この時点で「なぜこんな雑誌に・•?」と違和感を覚えるとƒころですが、フォレストにはわからなかったので、「ジェニーだ!」「ジェニーがフォークシンガーとしてステージに立つ」という情報で真っ先にジェニーのステージを見にいきました。

そこには、裸でギターを手にし、不安げに歌うジェニーの姿がありました。周りにはいやらしい目線を向ける男たち。男たちは「ギターを退けてハーモニカを吹け」だのヤジを飛ばします。

ついにはジェニーに触れ、それを見たフォレストは彼女を守ろうとステージに駆け込み、彼女を抱え逃げ出そうとしますが、フォレストを振り切りジェニーはステージから出て行ってしまいました。

この出来事から彼女の歯車は狂ってしまったように、セックスやドラッグに溺れていきます。

その後も2人は奇跡のような再会を幾度も遂げますが、フォレストが望むように2人が恋人になることはありませんでした。

あるとき、恋人になりたいと伝えるフォレストにジェニーは言います。
私たちは生きる道が違う」と。

ジェニーのこの言葉には、「(幸せな家庭で育ったフォレストとジェニーとでは)生きる道が違う」という意味を含んでいたのではないかと思います。彼女の中に幼少期の辛い出来事が深く根付いていることが、ボロボロになったかつての家に石を投げるつけるシーンで語られています。

女性は共感を求める生き物です。ジェニーはフォレストとは深いところで分かり合えない、交わることができないと考え、フォレストを突き放して距離を置こうとしていたのではと思います。

フォレストと一緒になっていたことでジェニーの傷は癒されたでしょうか。幼い頃からのトラウマです。フォレストの純粋な心でも彼女の深いトラウマを取り除くことはできなかったように思います。

この物語中のキーワード、「人生はチョコレートのようなもの。・・・」の対比ともなっている「運命」。ジェニーとフォレストの辛い運命は、幼い頃の環境から既に決まっていたのでしょうか。

人生の「選択」の重なりによって「運命」は変わるもの。その選択すら運命で決められているのでしょうか。そうだとすれば、人生はあまりに残酷ですね。。

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