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実家じまい奮闘記 終章

いよいよ実家の母屋の解体が始まった。

↑このあと、私はすぐさま法務局に出向き、係員の方に相談をした。

質問は主に二つ。
一つ目。
全く知らない人の名義の建物(実際は存在しない)の登記はどうすれば良いか。
これは滅失の申請をすればよいということであった。
何も驚くような話ではなく、昔の登記はこんなのザラにあるらしい。
あっけなく解決した。
二つ目。
解体予定の母屋に増築した納屋と車庫は残したい。
しかし、この増築部分を含む母屋の建物の名義は
30年前に亡くなった祖父の名義のままである。
これについて申請方法を乞うため
相談員の方に家系図を見せて説明したところ、
父の兄弟や甥・姪などを含む、計6名の同意が必要だと教えてくれた。

早速実家へ行き、両親に説明をする。
父は、すぐにみんなに連絡を取り始めた。
親戚とは日頃から良好な関係を築いていたため、
全員からあっさりと良い返事をもらうことができて、安堵した。
そして、必要な書類を作った。
出来上がった書類を父に見せ、
この書類に全員の署名捺印をもらい、原本を全員に配布するんだよ、
と説明したところ、父は急に面倒になったようで、
やっぱり増築部分も全部取り壊したいと言う。
「お父さんの家なんだし、お父さんがいいと思うようにすればいいよ」
と言い、親戚たちも父の意見を尊重すると言ってくれた。
約2ヶ月の間、ああでもないこうでもないと検討した結果、
全壊とすることでまとまり、
先日いよいよ取り壊し工事が始まったというわけである。

私は本当に両親のことを尊敬している。
なぜなら、この日を見据えて数年前から家の中のものを
コツコツと少しずつ整理していたのである。
大型の家具などは自治体に数回にわたって申し込み、処分していた。
思い出の品を、少しずつ少しずつ……。

取り壊す直前に、建物の中に入って私は感嘆した。
家の中は空っぽだった。
本当に呆れるほどに何にもなかったのである。
何ひとつ残さず、全て綺麗さっぱり自分たちの手で処分していた。

「自分の体が自由に動くうちに、この家は自分の代で始末をつける」
父は常々こう言っていた。
そして、本当に成し遂げたのである。
見事だった。

解体業者の人も、家の中に何もないことにとても驚いていた。
家の中を整理しないままお願いすると、プラス100万円だそうだ。
お金のこともさることながら、
思い出の品とひとつひとつ向き合いながら、
少しずつ、でも確実に処分することに費した時間は
両親にとって、とても貴重な時間だったに違いない。

解体の朝、両親はとても満足げな、
そしてちょっぴり寂しそうな顔をしていた。

こんなわけで、実家じまいについて私は特に何もすることがなかった。
実家じまい奮闘記は本章がないまま、いきなり終章を迎えることになった。

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