夢の生きもの

かほは不思議な夢を見る少女だ。沢山のへんてこりんな生き物が出てくる夢。空を泳ぐタコ。手足がニョキニョキ生えたキノコ。そのキノコは目にも止まらぬ速さで走った。一見、巨大な岩と見紛う程の大きな大きなカメ。その他例を挙げると枚挙にいとまがない。そして、そのすべてが奇怪だった。
 かほは奇怪な生き物たちに時にはおびえ、時には笑い、時にはあまりの美しさに涙した。共通して言えることは彼女が夢の生き物を平等に愛でたということだ。
 かほは夢の生き物を忘れてしまわないように毎朝起きると同時に机に向かいノートに生き物の絵を描いた。そのため彼女のノートは算数の計算式や漢字の練習よりへんてこりんな絵が大半を占めた。もちろん先生に怒られた。お母さんにもお父さんにも怒られた。友達からも笑われた。それでもかほは絵を描き続けた。奇怪な生き物たちが愛おしくて堪らなかったからだ。
ところが、かほはある出来事がきっかけで絵を描けなくなってしまう。学校の遠足で動物園に行った時のことだ。かほは実在の生き物も大好きだった。ゴリラ、ライオン、シマウマ、トラ、カピパラその他諸々の動物にのべつまくない驚嘆の声をあげ、大いにはしゃいだ。何時間でも、いや何日でもここにいたいと思った。それ故、先生の誘導と集団行動という足かせを苦々しく感じたのは言うまでもない。かほはふと想像した。もしも、夢の生き物たちが動物園に居たら、どんなに素敵だろうかと。
 遠足の宿題で絵日記を書くとになった。かほは実在の生き物と夢の生き物の共演を描いた。会心の出来栄えだった。本当に動物園に夢の生き物がいたのではないかと錯覚してしまうほどだ。 
 しかし、絵日記は先生に怒られた。先生は言った。
「真面目に描きなさい。描き直しなさい」先生の眉はハの字に歪んでいた。かほには絵の何がいけないのかわからなかった。
「感じたことを描きなさいといったくせに」と頭の中で反論してみたけれど、何だか自分が否定された気がして悲しくて言葉にできなかった。
 その日の夜、かほはお母さんとお父さんに先生に怒られたことを話して絵日記を見せた。お父さんとお母さんはかほの話を聞きながら難しい顔をして絵日記を見つめていた。
「かほ、動物園に居た動物だけを絵にしないから先生は困ってしまったんだよ。もう一度描きなおしてごらん」お父さんは優しい諭すような口調で言った。そして、チラッとお母さんの方を見た。お母さんもお父さんを見ていた。一瞬の出来事だがかほは見逃さなかった。かほは思った。二人は何か自分に話せないことを考えたんだ。と。かほは描きなおすと素直に受け入れて部屋に戻った。しかし、描きなおす気はさらさらなかった。部屋のドアに耳を押し当てて両親の会話に耳を澄ました。
「かほは不思議な絵を描いたもんだな」
「そうね。でも、不思議っていうか…不気味ね。ねえ?あの子ちょっとおかしいよ。何かの病気なんじゃない?」
「馬鹿、自分の子になんてこと…」
 かほは会話を聞くのをやめた。お母さんが言った「不気味」「病気」という言葉が耳元でシンバルをならされたように脳内でグワングワンと反響した。
「私は不気味で病気?」かほはポツリとつぶやいた。ノートに描いた数多くの絵を見返してみた。愛らしい夢の生き物たち。
「この絵は不気味?」
「この絵を描く私は病気?」
「お母さん、お父さんにとって私は不気味な子?」
 愛らしく見えた夢の生き物たちが急におぞましく、醜い絵に見えてきた。かほは恐ろしくなって、絵をビリビリに破り捨てた。
「私は病気じゃないよ。気味の悪い子じゃないよ。お母さん、お父さん」かほはベッドに飛び乗り、布団をかぶった。悲しみにまかせて泣きだそうとした時だった。
「おーい。お譲ちゃん!泣くんじゃなーい」
どこからともなくしゃがれた声が聞こえた。
「だあれ?」かほは恐る恐る布団から顔を出した。
 しかし、何も見えなかった。目の前が真っ白い光に包まれていたのだ。かほは思わずギュッと目を閉じた。
「こわいよ」心の声が漏れた。
「怖がることはない。さあ、目を開けてごらん」とまたしゃがれた声。
 かほは声に従いゆっくりと目を開けた。
白かった。どこを見渡しても白。上も下もわからない。ただただ白い空間にいた。
「ここは?」かほは誰に訊くでもなく言った。
「どこでもいいだろう。私の家とでも言っておこうか」
 後ろから例のしゃがれ声。かほは素早く振り向いた。そこには長い綺麗な白髪に、綿あめを伸ばしたようなふわふわな白ひげをたたえた老人がいた。かほと身長があまり差がない小さな老人だった。なぜかスーツ着ていて、似合っていない。滑稽な老人だった。
「あなたは小人さん」かほの問いかけに老人はニヤリと笑った。いや、ひげで隠された口元が緩んだように見えた。かほは老人の笑みに親しみを覚えた。
「私は小人ではない」
「じゃあ、何なの?」
老人はまたニヤリと笑った。そして、もったいぶって二、三度首を縦に振った。
「私は…神だ」
「かみ…?」予想外の答えにかほはすっとんきょうな声が出た。
「いかにも」老人はすまして言う。
「私は神である。この世のありとあらゆる有象無象を創った」
「そんな偉い人が私に何の用?」
かほは内心老人が神様であることが信じられなかったが、ただものではないことは察しがついた。白い空間といい、綿あめのようなひげ。神様と言われたら、そうなのかもしれないとかほはしみじみと思った。
「実はお嬢さんに頼みがある」
「頼み?」
「そう、頼み。お嬢さん生き物が好きだろう?」かほは頷いた。
「私はこの世のすべての生きとし生けるものを創った。これからも創り続けるつもりだ。だがな」神様は深くため息をついた。
「困っている。とても困っている。アイデアが出んのだよ。次に創る生き物のアイデアが。スランプだ。いや、多くの生き物を創ってきた故のネタ切れだ。ああ、嘆かわしい。年をとるのはいやだね。まったく思いつかん。そこでだ。お嬢さんにやってほしいことがある」
「神様にもできないことが私にできるかな?」かほの不安をよそに神様はニヤリといたずらっぽく笑った。
「なーに、簡単なことだ。絵を描いてほしいだけだよ。君は素敵な生き物の絵を沢山描いているだろう?その素敵な絵の中で一番好きな生き物を描いてほしいのだよ」
『絵』という単語にかほはドキリとした。「不気味な絵」かほの頭の中でお母さんの言葉が聞こえる。
「…いやだ。描きたくない…」
神様は白眉を歪めて「それは困ったなあ」とため息とともにつぶやいた。
「お嬢さんが絵を描いてくれたら、その絵をもとに新しい生き物を創ろうと思ったのに…」
「私の絵が本当の生き物になったら、うれしいけど、お母さんは不気味な絵って言ってたからその生き物もきっと嫌われるよ」
「そうか、そうか」と納得したように神様は頷いた。
「お嬢さん、君の描く絵は不気味じゃない。もっと可能性を秘めたものだ」
「可能性?」かほは首を傾げた。
「想像する力は人に与えられたとても大きな力だ。想像力は時に素晴らしいものを創造する。お嬢さんの絵のようにね」
「どういう意味?」
「わかりやすく言うとね。想った事を好きに描いたらいいんだよ。今は不気味という人もいるかもしれないが、いつか立派なものを創りだしているだろう」
「すべてを想像し、創造した私が言うのだから間違いないよ」と神様は付け足して、優しく目を細めた。
 神様の手にはいつの間にか一冊のノートが握られていた。
「あっ!それ私のノートだ!」
「いつも絵を描くものに描く方が描きやすいだろう?さあ、君の想像した素敵な生き物を描いてごらん」
かほはノートを受け取ったもののまごついてしまった。
「思った通りに描いていいの?」
「そうだよ」神様は優しい声で言った。
「わかった。やってみる」
かほは思った。不思議だ。さっきまでお母さんの言葉におびえていたのに「好きなように描いたらいい」の一言で胸にたまったモヤモヤが口の中の綿あめのように溶けて消えていくのを感じた。
 描いてみよう、想い通りに。私の好きな夢の生き物。かほは描いた。いつものように、命をふきこむように。
「できた!」
 一番好きだった夢の生き物の絵。丸い身体に足がはえたゾウ。かほはこのゾウを一頭身ゾウさんと名付けていた。一頭身ゾウさんを見た神様は眉間に皺を寄せて、ひげを遊ぶようにワシャワシャ触りながら二度三度頷いた。
「不気味?」かほは恐る恐る尋ねた。
「いいや、不気味など決してない。むしろ逆だ。最高だ。これほど愛らしく珍妙な生物は私には思いつかない。素晴らしい絵だ。やはりお嬢さんに頼んで正解だった!」神様は興奮気味に言った。その様子にウソはないと感じたかほはうれしくなった。うれしい以上に安堵した。
「絵を描いてこんなに喜んでもらえたの初めて!」しかも、それが神様にだなんて!と頭の中で付け足した。
「決まりだ!今回の新種の生物はこのゾウにしよう!助かった。締め切りが近かったからな」
神様があまりにもうれしそうなのでかほはもじもじした。ふと、かほは一頭身ゾウさんについて重要なことを言い忘れていることに気付いた。
「あ、あのね神様。このゾウはねとても変な声で鳴くの。ブフォムフィー!ブフォムフィー!って鳴くの」
 神様は一瞬きょとんとしたが、優しい笑顔で頷いた。そして、すぐに残念そうな表情になった。
「素晴らしい絵を描いてくれてありがたいのだが、もうお別れしなくてはな」
「えっもう!」
「すまんねえ、この空間はあまり人が長居すると帰れなくなってしまうんだ。お礼らしいお礼ができないのが残念でならんが、君が描いた一頭身ゾウさんは近い未来に実在の生き物として君は出会うことになるだろう」
「ほんと!早く見てみたいなあ」
「見たいなら帰らなくちゃね。最後にこれだけ言っておこう。お譲さん、決して創造(想像)性をないがしろにするな。自分が想い描いたものを信じて生きなさい」
 かほが何か言葉を返そうとしたら、神様は手をかざしてそれを制し「さあ、目を閉じて」と言った。かほは指示通りに目を閉じた。体が宙に浮く感覚がして思わず目を開けると、家のベッドの上に居た。
 かほは神様の記憶がなくなっていた。ただ長い夢を見ていた気がするだけだった。 
 変な気分だった。清々しさと何かを失ったような喪失感と新たに何かを手に入れそうな期待。それらがないまぜになった気分。不思議と嫌な感じはしなかった。
 かほは徐にベッドから降りると破り捨てた夢のかけらたちが入ったゴミ箱をひっくり返した。かけらは床に散らばった。かほはかけらの一枚を手に取った。一番好きな一頭身ゾウさんのかけらだった。かほの目から涙がこぼれた。なぜ泣くのか彼女にはわからなかった。
「寝よう」小さい声で宣言した。
  散らばったかけらを再びゴミ箱に入れて、かけらたちに向かっていった。
「ごめんね。ありがとう」
布団に入ったかほは今日はぐっすり寝れそうだと思った。目を閉じる前に誰にいうでもなく呟いた。
「また会おうね」
かほはゆっくり目を閉じた。


 ここからは余談である。
遠いアフリカのサバンナを誰も知らない動物が群れをなして駈けていた。いや、転がっていた、奇妙な声をあげながら。
ブフォムフィー!ブフォムフィー

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