フェミニストに神はいない

タイトルを見て何が何だかわからないけど開けてみたっていう人が多いと思いますが、今日ここで議論するのは以下のような内容です。

自称フェミニストっていう人で時々とんでもなくいかれた発言する人いるでしょ?

もちろんフェミニストって名乗っているえらい人たちは大体はまともな人だし、個人的には男女平等な世の中には賛成するけれども、『まともなフェミニスト』の人たちは『いかれたフェミニスト』を批判するでもなく、そのまま放置しているのってどうなの?って考えている人も多いと思うんだ。

でも、『まともなフェミニスト』の人でも、原理的に『いかれたフェミニスト』を批判することはできない。

それは、フェミニストに神がいないからなんだ。

これからそこのところを詳しく説明していくんだけど、その前に『男尊女卑』っていったときの『尊』と『卑』って何なんだっけ、という事のおさらいから始めよう。

『尊』はえらいっていう事で、『卑』はその反対でえらくない、っていう事だ。

じゃあ、えらいって何だろう。また、どうして男がえらくて女がえらくない、という世の中ができてきたんだろう。

えらいっていうのは権利がいっぱいある、えらくないっていうのはその反対で権利がすくないっていう事だよね。

例えば、昔はどこの国でも選挙権っていうのは男にしかなくって女にはなかったわけだ。

でも、なんで男は権利がいっぱいあって女は権利がすくないのか?
男のほうが強いから?賢いから?

どっちも違うよね。

平均的に見れば男のほうが体が大きいから平均で見れば確かに男のほうが強いけれども、体が強いからえらい、権利がいっぱいあるんだとすれば、アメリカで一番偉いのは黒人の人たちになるじゃないか。それに僕は男だけれども100m走の女子世界記録みたいなスピードで走ることもできないし吉田沙保里さんとけんかしたら100%負けると思う。

男のほうが平均的にみて賢いかどうかについては、いろんなことを言う人がいてよくわからないけれども、『賢さ』というのが何なのか、実はよくわかっていないし(IQが高い=賢いっていうんなら今頃MENSAの人が世界を支配しているか逆にMENSAの人たちは迫害されて血祭の目に合ってると思う)個人差のところでいえば僕より賢い女の人は多分世界に10億人くらいはいると思う。

じゃあ、えらさっていうのはどうやって決まってるか?なんだけど、これはもうなんとなく決まってるとしか言いようがないんだよね。

選挙権の話でいえば、これは法律でそうなってたんだけど、なんで男だけに選挙権があるような法律ができたかというと、世の中のみんなが男がえらくて女がえらくない、って昔からそう決まってるからそうしようってなったわけだ。

つまり、男がえらくて女がえらくないのは、『みんな』が『そういうもんだ』と思っているから、ということになるわけ。

ここまでのまとめ
・ある属性をもつ者の権利は能力差でなく、法律、そして法律を成立させている社会的な慣習によって定められる。(今回の趣旨からいえば属性とは男女のこと。人種や民族の差、いわゆるインドのカーストなどの『階級』も原則同じ)

じゃあ、『みんな』が『そういうもんだ』って思ってるのはなんでか?
そこを考えてみよう。

昔からそうやってきていて、それで特に問題が出てなかったからだ。権利が欲しい女の人にとっては問題だけど、それ以外のひと、男と、別に権利が欲しいと思ってない女にとっては別に困ることがないからそのままでいいじゃないか、というのがずっと続いてきて、なんで今更変える必要があるのか?って特に困ってない人は思うよね。理屈なんかないけど『今までそうやってきて特に問題なかった』というのは変化を嫌う人たちにとっては強烈な現状維持を支持する要素だ。

でも、権利が欲しい女の人はそれはすごく嫌なわけだ。何とかして女にも権利を!って思っていろんな活動をしている、それがフェミニズムでありフェミニストと言われる人たちの活動なわけ。

ここまでのまとめ
・ある属性をもつ者の権利は慣習によって規定されており、能力に依存しない。
・その慣習というのものは究極的には根拠がなく、今までそうであった、という事実によってのみさだめられる。


ここで話が横道にそれるんだけど、フェミニストと同じように、もっと我々に権利を!と言っている人たちがほかにもいる。
アメリカの黒人たちだ。

アメリカの黒人たちは昔は奴隷として扱われていて、今でこそ一応ほかのアメリカ人と同じ法律的な権利を持ってはいるものの、いまだに差別対象でひどい扱いを受けている事が多い。

でも、一応今は奴隷ではなく、人権を認められている。そこに至るまでにいろんな努力・活動があったわけだ。

有名なところでいうと、マーティン・ルーサー・キングJr牧師っていう人がいたよね。

アメリカの歴史に詳しいわけではないので具体的にキングさんがどういう活動をしたのか、よく知っているわけではないのだけれど、そういう時にやっぱり宗教は強いよね。

『あなた方白人はキリスト教徒だけれども、我々黒人もキリスト教徒だ。神の前の平等に基づき、我々黒人にも白人と同等の扱いを受ける権利があるべきだ』っていわれたらキリスト教徒の白人どもは論理的にはぐうの音も出ないからね。

一方で、黒人の中の過激派に対しては『あなた方の行いは神の教えに背いている』って言えばあまり無茶なことをやるやつらと同列に捉えられることもなく、理性的に平等に向けた議論ができるわけよ。

つまり、『神の権威』というものが『慣習』を打ち破る原動力、且つ過激派を抑えるための倫理として働くわけさ。

これは、宗教っていうものが『なんとなくそういうもんだ』という価値観の補強をし、場合によってはその源泉を生み出しているからなんだ。

『国家』が作る『法律』というのは強制力を持って僕たちの行動を決め、縛るけれど、その法律はよっぽどのいかれた独裁国家でない限り『慣習』に基づいている。

その『慣習』の元になっているのは人々の倫理観、価値観で、倫理観や価値観を補強したり規定したりするのが宗教だ。

ここまでのまとめ
・宗教は人々の良心に基づき、慣習の補強を行い、場合によっては慣習の源泉となる。

で、話は本筋に戻るんだけど、キリスト教、っていうかユダヤ・キリスト・イスラムの一神教(アブラハムの宗教っていう人もいるしセム一神教っていう人もいるけどこの3つの宗教は歴史的に根は一緒なんだ)において、女の立場ってすごぅく弱いんだよね。イブはアダムの骨からできてるし蛇にだまされて知恵の実は食べるしその他もろもろさんざんだよ。

キリスト教聖職者の一部は男女平等に向けてキリスト教的価値観っていうものを変えていこうとして必死に頑張っているけど、ダメなOSに無理やりパッチを当ててもなかなかうまくいかないみたいな感じであまりうまくいってない。下手すればキリスト教自体が分裂の危機にある、みたいなことまで言う人もいるし。

誰がえらいかえらくないかは慣習で決まっていて、その慣習は宗教が決めていて、宗教は黒人と白人は差別しないけど男と女は差別する。

だから、男女平等を言うフェミニストたちはアメリカの黒人たちみたいに宗教に頼れない。

なので、フェミニストたちは今僕たちが何となく従っている慣習を無視して何かを言わないといけない。

まともなフェミニストもいかれたフェミニストもそれは同じことで、どこまで慣習に従うべきでどこまで慣習を破るべきか、その基準をフェミニストたちは持てないんだ。

フェミニストに神はいない。

個人的には男女は平等であった方がいいと思うけど、男女が真に平等である社会というものを僕たちは経験していない。それは今まで僕たちが何となく従っていた慣習から離れたものだし、それが具体的に何を指しているか、実感としての指針を与えてくれる何者かも存在しない。

ここまでのまとめ
・ある属性をもつ者の権利は慣習によって規定されており、能力に依存しない。
・慣習というのものは究極的には根拠がなく、今までそうであった、という事実によってのみさだめられる。
・慣習は個々人の良心を集合させた宗教が源泉であり、確立された宗教が良心・慣習を補強する。
・伝統的一神教において女性の権利は限定されており、その意味でフェミニストたちはアメリカ黒人と違い男尊女卑を打破するための根拠として宗教の利用ができない。
・そのため、フェミニストの主張は根拠のない現状変更の主張とならざるを得ず、現状の慣習と整合的な主張とそうでない主張を原理的に区別することができない。

という事で残念なことにフェミニストに神はいないわけよ。

まだ続きがあるんだけどとりあえず前半戦終了という事で今日はこの辺で。
続きは以下のリンク。。

元始、女性は太陽であった。|nice_cosmos457 (note.com)

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