見出し画像

失敗は苦いか



失敗は苦いか



生きている以上、失敗はつきものだ。
失敗があるから、成功があると言ってもいいくらい、
失敗は多い。
赤ちゃんの「ハイハイ」がそうだ。
赤ちゃん「ハイハイ」から「歩く」までを観察していると、
赤ちゃんは、毎日毎日失敗をして泣きわめいている。
人は、生まれながらにして失敗を学んでいる。
失敗を重ねて、人は成長すると言っても良い。
でも、失敗は苦い。
子供が、ピーマンを苦いから嫌がるのは、失敗に対する気持ちと同じだ。

失敗は格好悪いか

ところが、だんだんと物心がついてくると、
失敗を恥ずかしがったり恐れたりし始める。
失敗を意識し始める。
それがひどくなると、失敗をしない生活を送るために生きているようになる。
失敗を許さない社会というより、自分自身の中で、失敗を許せなくなるのだ。
失敗は生きていく上で必要なのだ。
訓練を考えてみれば、そのことが良く分かる。
訓練や練習を常に完璧にこなすことが出来たら、それこそ不幸だ。
むしろ、訓練や練習で、失敗はつきものだと悟った方が賢明だ。
周囲の人々は、若い人たちの失敗を温かい目で見守ってほしいものだ。
きっと、若い頃失敗をしたことを忘れなかった大人は、他人の失敗に寛容なはず。
第一、失敗は格好悪いと言う人々が忘れていることがある。
それは、格好悪くて何が悪いかということだ。
人は、格好をつけて生きているわけではない。
格好ばかりつけて、中身のない生活を送ることのほうが問題あり。
大体、人は裸で生まれてきた。
格好つけたって、たかがしれているではないか。

失敗から学ぶことができるのは楽しい

ものづくりをしている人は、失敗を繰り返してものづくりに精通していく。
名人と言われる人は、失敗を恐れず前に進んだ人々だ。
だから、失敗を特別扱いして、やたらと恐れるのも愚かしい。
10回失敗をして前へ進む人もいれば、1000回失敗しなければ先へ進めない人もいる。
10回しか失敗しなかった人が優秀で、1000回失敗した人が劣っているのではない。
失敗は回数で比べたり、優劣があったりするわけではない。
それより、大切なことは、失敗からいかに学ぶかということではないだろうか。
もちろん、今ここで取り上げている失敗は、若い頃の失敗であって、
老練な年寄りに言っていることではない。
もしも、年をとっても、まだ失敗を反省できない御仁は、論外である。

失敗を大切にし、自慢話は控えよう

誰にも失敗はある。
失敗をしないで生きてきた人はいない。
ところが、多くは、失敗の話より成功の話のほうが多い。
成功の自慢話は、だれでもやりたがる。
ネットでも成功談が目白押しだ。
こうやったら大金持ちになった、成功したのたぐいは星の数のごとくだ。
こういう、安易な成功談はありえない話だ。
宝くじに当選するのと同じくらいの確率の成功談は、なんの役に立たない。
本当かどうか、ニュースの記事だが、
ネットで3億円当選したと言われて、本気にする人もいるらしいが、
こういう人は普段の失敗から何も学んでいないような気がする。
老齢になると、若い頃の失敗を活かすことができる。
だから、若い頃の失敗は生きた勉強なのだ。

失敗談は、恥ずかしい話も多い

人は、ありのままで生きるしかない。
聖人君子でないかぎり、たいていの人は恥ずかしい過去を背負っている。
亀が甲羅を背負うように、人も恥の甲羅を背負っている。
それは、誰でもそうなのだ。
だから、別段特別に恥ずかしがることでもない。
亀の甲羅が亀を守ってくれるように、恥の甲羅も我が身を守ってくれる。
その恥の甲羅は、自尊心の高さや高慢さを反省させてくれるからだ。
人は時々立ち止まって、昔の恥と向かい合ったほうが良い。
だめだった自分と向かい合うと、なぜか冷静に物事を反省している自分に出会える。
老人生活にも、自己を見つめる目は必要なのだ。
驕ったり威張ったり不遜になったりする自分を諌めるためにも、
失敗は必要な苦い薬だ。
出来たら、一日に1錠、苦い薬が必要かもしれない。

旗じいの話を最後まで聞いてくれてありがとう。
失敗と反省は、若い頃に付きものだ。
もちろん、年をとっても、失敗はあるし、反省もある。
だから、その苦い思いは薬のようだ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?