『オッペンハイマー』長崎特別試写会 感想
※この記事は、長崎在住の筆者が映画『オッペンハイマー』の特別試写会に行った感想を綴るものです。一般公開前ですが、試写で感じた作品の魅力(若干のネタバレ含む)などについても少々書いてみました。
被爆地長崎での特別試写会
クリストファー・ノーラン監督の最新作『オッペンハイマー』。興行収入が10億ドルに迫る大ヒットを記録し、先日発表された米アカデミー賞でも作品賞、監督賞をはじめ最多7冠を獲得したことで話題になっている本作の一般公開に先駆けて、被爆地である長崎県長崎市で特別試写会が催された。
「原爆の父」と呼ばれる物理学者を主人公にしており、2023年夏に全世界で公開されていながら日本では上映が見送られ、また米国で同日公開された『バービー』と掛け合わせた原爆投下ミーム(バーベンハイマー)が大流行するなど、正直、鑑賞前から不穏な気分にさせられていた作品である。
しかし、作品を観ずに批判するわけにはいかず、また被爆地出身の被爆3世として作品にきちんと向き合いたいという気持ちもあったため、思い切って今回の特別試写会に参加してみた。
現地で感じた反響の少なさ、関心の薄さ
まず、試写会の規模について書くと、上記のポストで危惧した通り、観客は決して多いとは言えなかった。241人収容のスクリーンには空席が目立ち、報道関係者を除く一般客の数は座席数の半分にも満たなかったと思う。
長崎の平日夜の映画館なんて作品によっては観客数人が当たり前(私は貸切状態を何度か経験している)なので数十人集まれば成功なのかもしれないがあまりに反響が薄く、「この程度しか集まらないのか…」とガッカリした。
一方、長崎よりも先に試写会が行われた広島では「若者に観てほしい」との思いから敢えて学生のみを対象とし、110人が参加したと報道されている。長崎の参加者数は発表されていないが、おそらく広島より少ないはずだ。
しかも長崎の場合、ニュース映像ではどれも学生に焦点が当たっていたが、実際の客層は40代以上が中心。長崎と広島では人口規模が数倍違うとはいえ学生のみが集まった広島と幅広い年齢層を募集しながらそれ以下の人数しか集まらなかった長崎との違いに周囲の関心の薄さを強く感じてしまった。
長崎も「高校生平和大使」や大使たちによる「高校生一万人署名活動」など学生による平和活動が盛んな地域なので、広島に倣ってそれらのメンバーや市内の学生を中心に多くの若者が集まるような試写会にしてほしかったし、そもそも年度末の平日夜に行うやり方に疑問を感じた(私は年休を取得して参加した)。内容自体は良かっただけに、勿体ない部分を感じた会だった。
映画はアカデミー賞7冠も納得のクオリティ
肝心の『オッペンハイマー』については、アカデミー賞7部門制覇も納得の面白さだった。視聴前は上映時間180分という長さに身構えていたものの、スピーディーな編集や核実験を「音」で体感させる音響のクオリティが高く時間を忘れさせる内容になっている。田舎のシネコンの通常設備でも音響の良さを実感できたので、都会住まいの方には音響設備の良い環境での視聴をオススメしておきたい。
細部まで楽しむには予習が必須
しかし、この映画の脚本は思いのほか複雑だった。予告映像などを観ると「原爆の開発・投下までのオッペンハイマー」が中心に描かれているように思われるが、実際の本編は「終戦後のオッペンハイマー」が中心とも言える内容で、科学者・政治家など様々な分野・様々な立場の人物が目まぐるしく入り乱れ、複数の時間軸を頻繁に行き来しながら、同時並行で物語が進んでいく。正直、一度観ただけでは細かな情報を整理しきれななかった。
私は2月19日にNHKで放映された『映像の世紀バタフライエフェクト マンハッタン計画 オッペンハイマーの栄光と罪』を観て、彼の戦後の生き様や彼を取り巻く関係者の名前を大まかに把握していたが、それでも予習が全然足りていなかったと後悔したので、本作を細部まで理解しながら楽しむには相当な量の予習が必要だと思う。
映画の原作でもある書籍『オッペンハイマー』(上中下巻)を読んでおけば少しは感触が違っただろうかと思ったが、映画評論家・町山智浩氏によると「原作を読んでいても画面に映る人物が誰なのかを整理するのが大変」とのことだったので、原作履修+複数回視聴すべきなのだろう。結構大変だ。
ただ、原作やオッペンハイマーについての知識がないと映画の物語についていけないというわけではない。なぜなら本作では、オッペンハイマーという人物が何を目にし、何を経験したのか、彼の目線に立って追体験するような映像が紡がれていくことで、画面に映る出来事や人物がよく分からなくても圧倒的な映像や音響によって否応なしに作品に没入させられていくからだ。
上に挙げた動画で町山氏は「こんな難しい映画がなぜ世界中で大ヒットしたのかわからない」と語っているが、大ヒットの要因はこの圧倒的な没入感にあると思う。これはスクリーンでしか堪能できない本作の大きな魅力であるので、興味のある方はぜひ劇場に足を運んでいただきたい。
『オッペンハイマー』は原爆軽視の作品なのか?
本作については、日本人の感想の中で「原爆の被害を軽視している」という批判をよく見かける。「被爆地である広島・長崎の描写が一切なく、責任を直視していない」というのがその論拠である。
とあるシーンのネタバレになってしまうが、原爆の破壊力と被害状況を確認するためにオッペンハイマーらが被爆地のスライド写真を何枚も見せられるという場面がある。ここではカメラがオッペンハイマーの表情のみを映し、スライド写真の内容は一切観客に見せない。
長崎の原爆資料館に何度も行った身としては、このスライドの中には背中が焼け爛れた谷口稜曄さんの写真や梯子と人の影が壁に焼き付いたあの写真があるのだろうか、などと想像を膨らませたが、写真の内容を見せないからといって制作陣が原爆を軽視しているなどとは決して思わなかった。
参考までに、3月12日にNHKで放映された『クローズアップ現代 映画監督クリストファー・ノーランの世界』から、監督自身の言葉を引用したい。
私自身の感想としては、もし上記の場面で被爆者の写真をスクリーン一杯に映していたら、全く別の映画になっていたと思う。試写会のトークショーに招かれていた朝長万左男氏(被爆者で「長崎県被爆者手帳友の会」会長)も原爆被害の軽視という批判には決して同調しておらず、「そこまで描いたら蛇足になっていたと思う」と述べていた。
そもそも、(私自身も本編を観るまで誤解していたが)本作は「原爆投下について米国の視点で総括する映画」ではないと個人的に感じている。本作はあくまで、矛盾を抱え葛藤し政治に翻弄された科学者のドラマであり、その物語が見据えているのは過去の総括ではなく、最先端技術の政治的な悪用やセキュリティ・クリアランスといった現代・未来への警鐘ではなかろうか。
これについては様々な解釈が出るだろうから、3月29日(金)の一般公開が非常に待ち遠しい。私も原作を読んだうえでもう一度(そのときは出来れば福岡のIMAXで)本作を堪能したいと思っている。