釣りを描いた3人の文豪
今年もサクラマスがやってきました。
今回は「釣り」を描いた3人の文豪と、その作品についてご紹介したいと思います。
1.開高健
開高健さんは作家ながらテレビにもよく出演していました。
昭和の終わり頃、開高健さんは憧れのスコットランドの川を訪れました。
目的は鱒釣りです。
その様子が2時間のドキュメンタリーで放送されました。
記憶に残る場面があります。
【開高健、大いに怒る】
開高氏が川で黙々とフライロッドを振っていますが鱒は釣れません。
夕暮れになり、遠目で見ていた撮影スタッフが「先生、川下で魚が跳ねました。もう少し下流がいいみたいですよ」と言うと、
「この時期の魚は上流にのぼってくるから、魚がくると思って一生懸命ここでやってるの!横からぶつぶつ教えてくれて、ありがとう。オーバー!」
と本気で怒ります。
かと思えば、
「夕暮れの川で、針の目と糸が通らんのですわ、でもね、いま通した。手さぐりで」
と穏やかにカメラに微笑みかけます。
子供のように自由に釣りを楽しむ姿がとても印象に残りました。
さて、そんな開高さんが描く釣り本です。
【私の釣魚大全】
「私の釣魚大全」から「井伏鱒二氏が鱒を釣る」
これは開高氏が大先輩の井伏鱒二を誘って、友人らと3日間、ある湖に鱒釣りにいった話です。
開高氏は老師(井伏鱒二)の釣り煩悩に呆れつつも、愛情ある優しいまなざしで見つめています。
井伏鱒二氏は、釣りにまつわる印象深い随筆をたくさん残しています。
2.井伏鱒二
【川釣り】
釣りにまつわる23編の随筆や詩歌が入った作品です。
まず、巻頭の詩歌「渓流」をご紹介します。
【白毛】
随筆の中で最も忘れがたい話が「白毛(しらが)」です。
井伏氏が渓流で出会った二人組の性悪な釣り師にひどい目にあわされる話です。
思いもよらぬ可哀想で滑稽な顛末が待っています。
井伏氏は太宰治の師匠としても知られる重鎮ですが、ここでも前出のような滑稽なキャラを自演しています。
愛すべき文豪です。
3.アーネスト・ヘミングウェイ
【二つの心臓の大川】
ノーベル賞作者が若い頃書いた自伝的短編小説です。
青年ニックが釣竿とテント用の帆布を担ぎ、原野に鱒を釣りに行く話です。
釣りや食事やキャンプの情景を、事細かに、味わうように、簡明な文体で書いています。
「ずいぶん昔に8ドルで買ったダブルテーパーのラインを、自重でズリ落ちないように、両手を使い押さえながらガイドに通した」
「右手をいったん水に浸けて(手を冷やして)から鱒をつかみ、バーブを外した」など、
フライフィッシングの経験者にしかわからないような単語や表現を躊躇なく使っています。
読み手をあまり意識せずに、まるで自分に思い聞かすように書いているようです。
【裏側に戦争】
この小説の裏側には戦争があります
(作中では一切触れられていません)。
若き作者はヨーロッパの戦争に冒険を求め、その結果心身共に深く傷ついて米国に帰還しました。
大自然の中の釣りは、かつての自分の感覚を取り戻す場所になっています。
ニックは釣り上げた鱒をリリースします。
鱒が流れの底に消えるのを見届けて言います。
「あいつは大丈夫だ。少し疲れてるだけだ」
以下も何気ない釣りの描写ですが、ニックの心の背景があると分かると、釣りとは全く別の情景が浮かび上がってくると思います。
【まずは、よりそう感じる原文から】
【次に私の拙訳】
川の流れはそこから先は湿地に入り込んでいた。
ニックは今はあそこに入って行く気になれなかった。
「わきの下までどっぷり浸かることになる。それに大物を掛けたとしても取り込むのは無理だ。
陸地は無いし、頭上は大木が覆っているから、陽はまともに射し込まない。
うす暗い中で、分厚く強い流れに身体を浸す。
惨めで、無謀なことになる」
そんな釣りはまっぴらごめんだった。
今日はあそこから先へは行きたくなかった。
【ふたつの心がひとつの文章に】
題名のTwo-Hearted Riverは実在する川の名前だそうです。
この「Two-Hearted」を「ふたつの心の」と訳してみると、ニックのふた通りの姿が見えてきます。
ひとつの文章の中に、釣りを心から楽しんでいるニックと、傷ついた心を抱えるニックが存在しています。
ニックは釣りを終えてキャンプ地に戻る途中、木々の間から輝く「あそこ」を再び見つめます。
そして「あそこには、また行こうと思えば、いつだって行ける」と思い、物語は終わります。
今回は3人の文豪とその釣り文学についてご紹介しました。
それぞれの作者の釣りに対する思いや、彼らの文学を知るきっかけになってもらえれば嬉しいです。
ではまた…。
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