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「日本の戦争」を知る書籍6選

私は戦争は遠くで起きているもの、縁遠いものだと感じながら生活しています。
一方で、昨年から「新たな戦前」の時代に突入したとも言われ始めています。
いま、戦争がどのようなものなのかを知ることは大事なタイミングなのかもしれません。
今回は日本が過去に関わった戦争、特に米軍と戦った太平洋戦争について、理解を深めることに役立った書籍をご紹介したいと思います。


【失敗の本質 日本軍の組織論的研究】

共著:戸部良一、寺本義也、鎌田慎一、杉之尾孝生、村井友秀、野中郁次郎

日本軍の戦いの失敗に焦点をあて、社会科学的に分析した共著。
現代の企業経営者が読んでいるビジネス書としても知られています。
ノモンハン事件、ミッドウェー作戦、ガダルカナル作戦、インパール作戦、レイテ海戦、沖縄戦が時系列に取り上げられ、戦争全体の流れもよく理解できます。
「組織の自己革新や合理性の欠陥」が日本軍の敗因として分析されています。
あいまいで複義な目的、過度の精神主義、不測の事態への耐性の弱さ、情報の貧困、戦力の逐次投入、情緒的人間関係の許容、統一指揮の不在、本部と現地の認識のズレ、など現代の日本の組織が反面教師として学ぶべきことが盛りだくさんに描かれています。
企業のマネージメント職の方にお勧めしたい一冊です。

では、なぜこのような杜撰な作戦計画がそのまま上級司令部に承認を得、実施に移されたのか。これには、特異な使命感に燃え、部下の異論を抑えつけ、上級司令部の幕僚の意見には従わないとする牟田口の個人的性格、またそのような彼の行動を許容した河辺のリーダーシップ・スタイルなどが関連していよう。しかし、それ以上に重要なのは、鵯越作戦計画が上級司令部の同意と許可を得ていくプロセスに示された、「人情」という名の人間関係重視、組織内融和の優先であろう。そしてこれは、作戦中止決定の場合にも顕著に現れた。

「失敗の本質 失敗事例の研究 インパール作戦」


【完本・太平洋戦争】文藝春秋編

文藝春秋の役員だった半藤一利らが戦争の体験記を精選。
成功した緒戦から破滅的な敗戦までを網羅した全4巻の86編。
多くの第一線の当事者が生々しく語る、今や貴重な歴史記録です。
語るのは源田實、淵田美津雄、島田豊作、今村均、草鹿龍之介、辻政信、阿川弘之、千早正隆、金子兜太、吉田満、瀬島龍三、宇垣纏などなど。

下記はガダルカナルを米軍に占領された直後に出撃した日本の第八艦隊が、米巡洋艦四隻を撃沈した夜の海戦を、臨場感溢れる筆致で描いた手記です。

「つっこんでくる。つっこんでくる」
そう言われてみると、左舷に向かいサンフランシスコ型甲巡が艦首をこちらに向けて、ぐんぐん接近してきた。すでに敵艦は後半身を火焔につつまれていた。火焔を背負い、うき出した艦橋まえの砲門からぱっぱっと閃光を放ち、射ってきた。はげしい気迫が私の胸をつらぬいた。

丹羽文雄 「海戦  第一次ソロモン海戦」


次は黒澤明の映画にも多数出演した加東大介(当事陸軍軍曹)が語るニューギニア戦線の体験記「南海の芝居に雪が降る」です。
米軍が「カエル飛び」したため島に置き去りにされた玉砕部隊が、退屈しのぎに演芸分隊を作り芝居をすることになりました。

「『関の弥太っぺ』という芝居を見たことがある。あの中で雪を降らせんかね」
「どうしてでありますか」
「ここには日本全国から兵隊が集まっておる。一年中この暑さで、みな雪を見たがっているんだ。なんとか、雪を見せてやれんか」(中略)
地面の雪はパラシュートをふんだんに使った。飛行機なんか一機もないから、いくらでも使ってよかった。贅沢に敷きつめて、歩くとスネまで入り、降りつもった雪の感じであった。木々の雪は病院の脱脂綿をわけてもらい、三角の紙の雪を上方からパッとやる手筈であった。
幕が開いた瞬間、それまでザワついていた客席が、本当に水を打ったようにシーンとしてしまった。「静かだナ」と舞台から見ると、二百人を越える兵隊たちが、一人の例外もなく両手で顔を抑えて泣いていた。国武部隊という東北の部隊だったのだ。チャンバラをする私の頬にも、あとからあとから涙が新しい筋をつくった。

加東大介「南海の芝居に雪が降る」


【THE RISING SUN (大日本帝国の興亡)】ジョン・トーランド

米国人ノンフィクション作家のピューリッツァー賞受賞作。
米国との戦争を日米双方の視点から戦争を描いた全五巻の大作。
500名を超す膨大な取材によって、二・二六事件~終戦までを描いています。
作家の立花隆をして「あの戦争の流れを知るために最適な本を一冊だけ選べというなら、この本を選ぶだろう」と言わしめています。

湾底に擱座した「ウエスト・バージニア」の中にも兵たちが閉じこめられていた。巨大な空気のポケットができ、六十人あまりがその中で生きていた。彼らは、なんとか注意をひこうと、むなしく舷側をたたき続けた。(中略)
アメリカの軍事指導者たちは、日本が独立した機動部隊による攻撃など行えないと信じていた。そして日本が真珠湾に殴り込んで来るほど「ばか」だとは想像もしなかった。こんな考え方は、彼ら一人だけのものではない。日本の大本営海軍部さえも、Z作戦を無謀呼ばわりしていたのである。

ジョン・トーランド「THE RISING SUN」第八部「燃える真珠湾」


【戦場まんがシリーズ】松本零士

漫画家の松本零士先生の戦場を描いた傑作短編集。
「兵士」「戦闘機や戦車」「南方のジャングル」「空中戦」などをみごとな画力でリアルに表現しています。
主人公はたいてい日本人かドイツ人で、多くの場合、物語の最後には死んでしまいます。
「勝つ」ことはなく、みな悔しい思いを抱きながら死んでいきます。
かといって、戦勝国側のアメリカ人が「勝つ」描写もありません。
「音速雷撃隊」「グリーンスナイパー」では両国兵士が、「相討ち」で死んでいきます。
短編の中でも「スタンレーの魔女」「鉄の墓標」「音速雷撃隊」「衝撃降下90度」は、どれも長編映画になりうる物語の深みがあります。
特攻を描いた「音速雷撃隊」はアニメ化され、海外含め今でも多くの人に視聴されているようです。

下記はシリーズ全体の根底にある歯をくいしばる悔しさが、作者の少年期の体験にあったと想像することができた一文です。
(松本先生が尊敬していた父親は将官クラスのパイロットでした。家族は戦後、貧しい生活をおくることになります)

荷車に野菜を載せて売り歩いたことも
あった。足が治った僕は、妹と一緒に父の引く車を後ろから押して歩いたが、そのときにジープの年若いMPに嫌がらせをされたことがある。炎天下でのことであった。父は黙って耐え、僕は悔しい思いを抱きながらも、無言でやり過ごすしかなかった。父のシャツの背に、汗が滲んでいた。
父親は、戦場から戻ってきてからも、航空用の半長靴を履き、戦場で着ていたカーキ色のシャツを着ていた。リヤカーを引く父親のカーキ色のシャツに汗が滲んでいるのを見て、僕は涙が出そうになるのをこらえた。長靴の父の足音は独特の響きがあった。あの日の、父親の足音が今も耳に残っている。

松本零士「遠く時の輪の接する処」


【連合艦隊の最後】伊藤正徳

戦前は世界第三位の規模を誇り、日本国民が誇りと愛着を感じていた日本海軍の戦いは、艦艇のほとんどが沈むという文字通りの「惨敗」に終わりました。
戦後、一般にはよく知られていなかった海の戦いは、1955年から書かれた当書によって流布されたといいます。

四百十隻が沈み、二万六千機が墜ち、四十万九千人が斃れた「連合艦隊の死」を、お葬式なしに忘れ去るということは、余りにも健忘症であり、かつ不公平でもあろう。(中略)
艦隊は再び還らないが、日本と日本人は残った。問題は、その日本人が、「還らぬ人々」の愛国心と犠牲心とを記録して、よく己れの戒めとするかどうかに懸かる。

伊藤正徳「連合艦隊の最後」「初版の序」


【戦車の壁の中で】司馬遼太郎

戦時中、文科系の学生だった司馬遼太郎は学徒出陣により陸軍に入隊し、戦車隊に配属されます。

その大きな砲塔をヤスリでけずってみようと思ったのである。(中略)
私は砲塔のふちにヤスリをあててうごかしてみた。ところが砲塔の鋼はざらりとヤスリの目を受けとめたのである。かすかながらギシギシと手応えがして、おどろいて手をとめてその部分をながめてみると、白銀色の削り傷ができていた。こんなばかな話はなかった。腐っても戦車ではないか。
このことは、私個人の太平洋戦史にとって、もっとも重要な事実のひとつである。(中略)
その厚さは世界の水準にはおよばないとはいえ、日本の戦車としては思いきった厚さである。それが装甲用の特殊鋼でもなんでもなく、ただの鉄にすぎなかったのである。ただの鉄という戦車は、戦車の歴史で例がなく、昭和の陸軍首脳がいかに戦争指導能力に欠けていたかを証拠だてている。

司馬遼太郎「司馬遼太郎が考えたこと6」「戦車の壁の中で」

本来多筆の筆者が「昭和の戦争」を語ることはとても少なく、いくつかの体験談的エッセイ・講演に限られます。
戦争体験者として書こうと努めたらしたいのですが「書けなかった」のが実情のようです。
敗戦の体験は、歴史への興味の直接的なきっかけになったといいます。

そして私にとって敗戦のときが二十二歳でした。
敗戦はショックでした。
このショックはちょっと説明しなければなりませんが、なんとくだらない戦争をしてきたのかと、まず思いました。そして、なんとくだらないことをいろいろしてきた国に生まれたのだろうと思いました。敗戦の日から数日、考え込んでしまったのです。昔の日本人は、もう少しましだったのではないかということが、後に私の日本史への関心になったわけですね。

司馬遼太郎「昭和という国家」「何が魔法をかけたのか」

以上、書籍の紹介でした。

昨年から「新しい戦前」に入ったと言われています。
多くの人々を「なんとくだらないこと」に巻き込む戦争について理解を深めることは、とても大事なことだと感じています。

ご興味がありましたらぜひお読みください。


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