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【哲学小説シリーズ5】快楽の集い・ストア派のストア・ポイキレ【動画版あり】

動画版も出ました!


「本日もようこそ!このゼノンめの行う哲学の集いによくぞこうしてたくさんの方々が集まってくださった。今宵も我が哲学の禁欲の道を説いて皆の教えの参考になればと、この集いの場所、アテナイはアゴラ内の画廊柱廊ストア・ポイキレに参りましたが、今宵の月は明るい!これは何か善い兆しかと思われますが、めでたいことに今日より新しく三人の同志が加わってくださることになりました。新参者の方々、こちらへ」

二人の女性と一人の男性が哲人ゼノンの横に立ち並ぶ。一人は、栗色の髪をした若い女性で、年の頃は二十代か。もう一人は四十前の金髪の女性で、やや体型はだらしない。男性の方は、あごひげを生やした初老の背の高い老人だ。

「ささ、自己紹介をなされよ」
「はい、私はトリュファイナと申します。ここでは人の生きる正しい道を説いていると聞いて参加いたしました。よろしくお願いします」
聴衆から一斉によろしくお願いします、との声が返って響いた。
「私は、ラオディケといいます。夫のだらしなさで悩んでいて、ここにくれば何か知恵をいただけるかと思い、参加しました。今日からよろしくお願いします」
聴衆から一斉に今日からよろしくお願いします、との声が返って響いた。
「私はカリクレスと申します。若い頃、さんざん放埒を働いてこの歳になってこのざまでごさいます。ここで心を入れ替え人生をやり直したいと思います」
聴衆から一斉に一緒にやり直しましょう、との声が返って響いた。

「はい、皆の衆、この三人が来てくれて、我々の集いはますます同志を増やし、実に喜ばしいことです。では、早速いつもの質疑応答から始めましょうぞ」
三人がゼノンに向き合って座っている聴衆の中に加わると、ゼノンは満月を背に厳かに言い始めた。
「最初の質問をなされよ、そしてなんなりと心の悩みを問うてみられよ」
「では、私からお伺いします!」
一番乗りを名乗り上げたのは古参の一人、パウロスだった。
「私は最近になってようやくゼノン師の教えの意味が分かって参りました。恋仲の相手との逢瀬の愛の営みは、ご指導の甲斐あって三週間に一回の頻度に減らすことに成功いたしました」
「そうであったか。それはとても良くなられましたな。以前は男女の愛の交わりは崇高なものと声高に主張され、大きな勘違いをなされておられましたが、それはまさしく性にトチ狂った野獣の如き自然に反する姿。あの時のことが嘘のようではないか!それでパウロス殿。濁流のような欲望を月夜の白光のように峻厳な理性によって抑え込み、自己の崇高な目的によって制御するその境地、いかがでしたかな?」
「そっ、それはもちろん、きっ、気持ちいい~!!」
突然手の形を何かを鷲掴みするかのような形にした両手のポーズを取って、体を上下に揺すり始めるパウロス。
「そう、禁欲することは、きっ、気持ちいい~!!」
同じく、鷲掴みするかのような両手のポーズで体を上下に揺すり始める師のゼノン。
座っていた聴衆全員もさっと立ち上がり、声を合わせて鷲掴みのような手で体を揺すって三度目の合唱、「きっ、気持ちいい~!!」
突然の事態に新参者たちは目がテンになっていたが周りの空気を読んで見よう見まねでそのポーズと体の動きをまねようとしている。
「皆の衆、パウロス殿に惜しみない賞賛の拍手を!」
師の号令によりストア・ポイキレの一画は拍手喝采で包まれた。そして全員が元のように静かに着席した。

「さあ、次の質問、来たれよ!」
「では、畏れながらわたくしめが」
そういって立ち上がったのはいかにも優しそうな中年の男性メナンドロスであった。
「わたくしの以前いたエピクロス師の楽園では、人の心からその苦の種を取り除くことこそが真の幸福である、と教えられていました。しかし、家族ともども楽園生活にてその苦のない快楽の境地を求めていたところ、息子が勉強は苦だからと言って全くしなくなりました。そして、若い青さの苦しみを取り除くのだと言って、こっそり毎晩裸身のヴィーナス像の納めてある楽園内の神殿に行き自慰にふける有様。
そのことが明るみに出た暁には、エピクロス師はそれを悪しき快楽と一括され、なんでも「ワシが我が楽園の快楽追求の秘法として”隠れて行けよ”と教えたじゃろうが!ヘマをしおって!」と地団駄を二つ三つと踏みこまれました。その破竹の如き勢いのまま師も信徒たちも一緒くたになって息子はさんざんに罵倒されました。それを見てわたくしはハッと気付き、家族を抱き抱えてその楽園を去り、ここへ落ちのびました。そうして自然に従い、狂った野獣の如き息子の猛る性欲を禁欲に向かわせて、第一の危機は脱しました」
「うむ。その話はよく聞いておりますぞ。それで、なにが問題かと」
「はい、わたくしは妻を早くに亡くして男の不器用な手一本で子らを育てて参りましたが、こちらに参加させていただいてから、お陰様で息子の夜な夜なの彷徨はやめさせることができたものの、逆にその禁欲の教えが効果てきめん過ぎて、兄は妹のアレクシアを邪険に扱いだしたのでございます。なんでも自然を外れた獣の道に誘惑する二つの房と二つの奈落の穴を持っていると面と向かって妹を罵倒するのであります。まるであの日、快楽の楽園の信徒たちから受けたあの一斉の罵倒の苦しみを妹の身体の上に再演するかのように。アレクシアはその責め苦を受けていたく傷つき悲しみに沈んでおります。妹は、あんなに仲良かった兄の変わり果てた姿に、すべてはゼノン師の教えのせいで兄が悪魔の如きタガの外れた厳格さにトチ狂ったのだと、わたくしの今夜の集いへの参加さえ、良く思わないで立ち塞がり、自らの胸に短刀を突きつけながら行かないで!と涙ながらに止めようとしたほどの始末でございます」
そういって男泣きするメナンドロスに師のゼノンは言う。
「息子殿の名はなんと申されたか」
「アッタロスでございます」
「アッタロスにこう伝えるがよろしい。そこに穴があろうと、汝が理性によってその欲望を捨て去り、禁欲に努めて自己が欲望に勝ることこそ真に幸福な人の姿。その姿を見せよ!そして妹君に言うのだ。その奈落の穴こそ、我を高める試練の穴であると。むしろ、もっと良く見せてくれ、それでも私は決して欲望に流されませんぞ!と鋼の精神を打ち出せば後はもうなんのことはない、それはもはやすでにただの穴です、○ンコです、と理性で抑えて割り切ってしかるべき!男と女、まさに鏡合わせに造られているならば、互いに裸身を見せ合ってもそれに負けずに清廉の道に踏みとどまって耐えてこそ、野獣の茨の道を避けて自然に従う道を行くことなれ!」
「そっ、そうすれば息子も娘も救われますか?」
「救われるとも。禁欲は兄妹を救わん!」
聴衆から一斉に禁欲は兄妹を救わん!と声が返って響いた。
「それからメナンドロスよ、汝も子らをあまり心配することでかえって家族にかまけることでの己の快を求めてはおらぬかな?汝自身を抑制し、己の快を呼び込む家族の誘惑を精神の力でもって退けてしまえば、悩み煩いは消え去るもの。さあ、禁欲に励まれよ!今すぐ、子らをかまいつつも心の内ではうち捨てて、親でありながら同時に親でない、そばにいながら同時にそばにいない、の心境で何ものにも煩わされず、己の禁欲の努めだけに励む己の姿を想像してみられたらいい」
「はい!さっきからそうしております、そのように想像していると、なんだかすべての重荷から解放されたような、されてないような、おかしな心持ちがしてきて次第に恍惚として参りました。きっ、気持ちいい~!!」
と、メナンドロスは例の鷲掴みの手をしながら体を上下に揺する。
「きっ、気持ちいい~!!禁欲って、気持ちいい~!!」
と、師のゼノンも鷲掴みの手をしながら体を上下に揺する。
「きっ、気持ちいい~!!禁欲って、気持ちいい~!!」
と、一斉に立ち上がった聴衆の心は一つになって鷲掴みの手をしながら体を上下に揺すりストア・ポイキレに合唱の声が返って響いた。その後、全員静かに座る。

「さあ、次の悩める市民は心置きなく悩み煩いを問うてこられよ!もうおられぬかな?」
「あの、新参者ながら、お尋ねします」
そういって手を挙げて立ち上がったのは最初に自己紹介した茶髪のトリュファイナだった。
「悩みを申し上げてよろしいですか……実は私は最近、男に捨てられました。それも、まるでいらなくなったボロキレのように、ちょうど今宵のような月の晩、ポイッとこのストア・ポイキレにて捨てられました」
「ふむ。ボロキレのように、雑巾か何かのように、このストア・ポイキレでポイ捨てされたと。さんざん穴を使われて、もしかして穴は穴でもアナ○の穴の方も使われてたりして?それにしても、飽きたらポイッとは何とも酷いことをするし、そういう者ほど、自然に従う禁欲の道から外れているものぞ。神々の怒りの雷に打たれて死ぬが相応のものぞ!」
「本当にそう思われますか?」
「…おや、泣いておるのか?わしに言われて溜まっていたものが堰を切ってあふれ出してきたか?」
「私が今訴えているのは……それは、あなたです、ゼノン師!」
「は?な、なにを言われるか、汝は誰そ!」
「この顔を見ても、お忘れだと言われましょうか!」
女がかつらを取って師のゼノンの前に立ちはだかった。月明かりに浮かんでいたのは黒髪の長髪の女性だった。
「エ、エイレーネー!」
師のゼノンは驚きに打たれて顎を外していた。
その正体が黒髪のエイレーネーという女性はゼノンを指さしながらこう言った。
「皆さん、毎夜、集会の後で使いをよこしてこのストア・ポイキレに若い女性だけを厳選して呼び出し、今宵の月はきれいだね、あっ足が滑った、ここに乳があるからつい掴んじゃった、などと言って体に手を出してそのまま押し倒して手込めにしている、欲望のタガの外れた盛りのついた野獣とは、この男です!」
ゼノンはもはや言い訳をしようにも顎が外れているから何も言えない。
あまりのショッキングな告白で辺りはざわつき始めた。状況を察した聴衆たちの怒りはみるみる頂点に達した。
「う、噂は本当だったんだなー!」
聴衆はすぐにも一斉にゼノンに襲いかかった。いつもの集会で培われた団結力がこんな形で発揮されようとは。もう、叩く、打つ、杖で殴る、などありとあらゆる攻撃手段のオンパレードと来ればもう誰にも止められなくて、師のゼノンはボロキレだ。特にどういう訳か盛りを過ぎた女たちの打ち方叩きのめし方は尋常じゃない。ゼノンはそのまま樽に詰められて怒りにトチ狂った群衆により丘の上から海に投げ込まれてしまった。
次の日、海からあがった手を鷲掴みのようにした不自然な死体について、あの有名なゼノン師と分かったことで、昨夜の集会の参加者に証言が求められた。
全員が口をそろえてこう言った。
あの人は、自然に従えと言っていた人なのにもっとも不自然な死に方をなさるとは、運命って過酷なものでございますね、と。
ちなみに、ボロキレのように殴られていた時のゼノンがその外れた顎で「ぎっ、ぎもひり~(きっ、気持ちいい~)」とつぶやいていたのを聴いた人が複数人いたそうな。


第六話に続く

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