エッセイ:ピアスタッフというよりは、パート労働者として。

こんばんは。統合失調症の林山将佐です。この9月に入ってから、心身の調子が落ち着いてきました。

少しハードワーク気味ではありますが、肩の荷が下りてきました。どういうことか・・・それは5年越しに色々なフラグを回収できたからです。勿論、趣味で勉強していた警察・自衛隊の価値観や概念こともですけどね。それだけ職場から必要とされている実感を得ました。

ボランティアでピアサポート活動をしているうちに、僕はピアスタッフになりました。「君には現場の個別支援を頑張ってもらいたい」と入社早々に言われたのは良いものの、林山の中では『???』状態でした。

先ず、個別支援をやったことないし、専門職の教育を受けたことがない。プライベートのピアサポート活動は仲間活動が中心で、これもまた個別支援をやったことない。

それでいて会社にはピアスタッフに個別支援を教育する1年程度のOJTも予定はないし、メンターも新設されていない。それはまぁ、困りますね。

仕事としても個別支援というのはそもそも精神障害当事者から需要がある訳でもない状態でした。「ピアスタッフ??それは何者なんですか??」「へぇ・・・働いている当事者さん?」くらいの印象で、そもそも静岡県では現場レベルでほとんど周知されていない状況でした。

辛うじて保健所や市町の行政職には「何かそんな存在の人がいるらしいけどね」と顔見知りだった程度です。

そんな状況でしたから、これはまぁ、僕が新卒の時に修行させてもらったベンチャー企業からしたら・・・きっとそのときに「そんな甘い見積もりで営業してどうするの?やる気あるの?ちゃんと大学出たの?」と叱られたことでしょう。

だから林山としては機会を見つけて個別支援を教えてもらいながら、社会活動の範囲内で手広く普及啓発活動をして周知を狙う・・・という戦術しかありませんでした。

こういうときに警察・自衛隊の価値観や概念は・・・僕の中では心の支えでした。ピアスタッフながらもストレス対処を始めとする社会人としての闘いに身を投じる結果となったからには、僕自身は帰宅部系ですけども、考え方のヒントに武闘派である警察・自衛隊の知識がとても欲しかったのです。

どうやって強く生きれば良いのかな?と悩みながら仕事をしました。そこは時代の変化で、警察・自衛隊と雖も「鋼のメンタル」ではなく、折れにくく柔軟でしなやかな心が大事だと言われるのか・・・と勉強になりました。

警察・自衛隊の部隊がどう成長していくのか?意思決定というのはどういう手順なのか?一兵卒として何が求められるのか?ということについて出版物を参考にしながら練っていました。

そして令和6年9月には5年間、積んできたフラグを少しずつ回収しています。静岡県ではピアスタッフ/ピアサポーターという言葉が少しずつ浸透しました。この立場を目指そうとしてくれる人も時折、現れるようになりました。

営業のようなことが続いて周知が進んで行ったこともあってか、会社では「ピアスタッフに相談したい」と声を掛けられる同僚もいます。林山自身は勤務日数がパンクしそうで・・・。

良かったと思います。これで・・・令和の御代になった際に、「私は精神科において国に尽くします」と心に誓ったことが・・・どうにか少しずつ形になりそうです。今後とも宜しくお願い致します。

我が国の弥栄を祈ります。

(2024.09.22 追記)
どうして警察・自衛隊の勉強が必要だったのか・・・?それは高ストレス環境下で如何に任務・仕事を達成するためのメンタルを下級労働者として準備するのか?という点において必要な知識でした。

ピアスタッフという珍しい職種で、しかも先人のボランティア時代を含めると15年以上もスタートアップ状態・・・いや、そもそも芽がなかったのような活動でどうやって食べていくのか?と真摯に考えた結果、警察・自衛隊のタフさ。常に結果を出すこと。という視点がどうしても必要でした。

むしろ林山自身にとってはそのような仕事の仕方は上司・同僚・ピアサポーターから決していい顔をされずに居て、「君はピアに向いてないかもよ」「難しい立場ですね」なんて言われたことも過去にはありました。

そんな中で営業のような頑張りは会社内で論功行賞も特にないので、後はまぁ、個人的なしがらみで・・・総収入からすると祖母が他界したらピアスタッフを続けられませんから・・好きなようにやらせて頂いています。

転職活動が出来るだけの実績もスキルもないことは、公然の秘密です。(笑)

(2024.09.28 追記)
どうにか石の上にも三年・五年と頑張れたのは何故だろう・・・とふと思うことがあります。それ自体は喜ばしいことですが、反省点もきっとあるでしょう。

こんなことを言うと「やっぱり林山君はねぇ・・・」となりますが、個別支援の仕方が分からない特に入職1年くらいのときは、尤もらしいことを僕が言って会社に育ててもらいました。好き勝手にやらせてもらいました。

「大手企業だと1年目~3年目は新人の営業マンだと思います。また、ワーカーや看護師の世界だと実習もあって直ぐに現場に飛び込めるのだと思います。だから実習もないピアスタッフは3年くらい上司や同僚のワーカーと金魚のフンのようについて行って仕事をすべきだと思います。」

それらしいことを言って、主張が通りました。気が付いたら5年は過ぎていました。また、何かと業務に不満があるときは、少々考えた上で悩みを恩師や知人・友人の研究者と共有しました。そのような「私設スーパービジョン」があったので、課題感を整理しながらリフレッシュして仕事に行きました。

上司たちも「まぁ・・・林山君は真面目だから」と大目に見てくれたので、今年の上半期は放送大学(院)で仕事しながらリカレントをするなどし、また一つ頑張り甲斐がありました。色んな学術大会にも参加させて下さいました。

そのような公私に渡る支えでどうにかピアスタッフを続けられたのだと思います。これらは「ピア」という当事者性よりは何か別の要素・要因なんだとは一応、理解することにしました。

この偶然性をどうやって妥当性のある形に再現性を持たせるのか・・・。きっと将来的に問われること・求められることになるだろうと考えます。