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相手の話を「理解しました!」と伝えるために芝居を打つことの必要性

相手の話は自分が「理解しました!」って相手に伝わって初めて「聞いた」ことになると思います

例えば、聖徳太子みたいに何人もの話を同時に聞ける特殊能力を持っている子がいるとします。その子がyoutubeを見ながら自分の話を聞いていたとするじゃないですか。その状態で「そうですね!」とか相槌を打たれても「聞いてんのかおい!」ってなりますよね?←大袈裟な例えかもですが・・・

その子からしたら「聞こえてるし理解してるよ!」って感じだったとしてもそれは相手には伝わってないんですよね。つまり「聞いてない」のと一緒になってしまうんです

ってことはですよ。

ひとつ芝居を打つだけでこの問題は解決すると思いませんか?

youtubeを見るのをやめてじっとその人の話を聞く。目を見て頷く。これだけで相手は「ちゃんと聞いてるな」ってなります。たとえ「何言ってんのこいつ」って内心思っていたとしても


部下や仲間に伝えたいことがあって言う機会が僕には多いのですが、この芝居を打つ意識が欠けている子もやはりいるんですよね。実にもったいない。返事が軽く聞こえてしまう。これで言ったことを理解してくれていて尚且つ再現してくれているのであればいいのですが実際はなかなかそうなってくれないパターンが多い。

もし理解できなかったり別の意見を持っているのであれば言ってくれたらいいのですがこういう子に限ってどちらもできないんですよね。

僕だったらとっとと「理解しました!」って相手にわかってもらって話を即効終わらせてしまいますけどね。「そうですね!」って姿勢を示したり目をじっと見たりして。その方が時短です。自分の為にもなるし相手もスッと浸透させることができた達成感を感じれるはずです。

ま、共感しているかは別として

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