《30歳元童貞の婚活コラ厶14》妻への二度目の告白、二度目のプロポーズ
娘と二人で、電気屋さんのおもちゃ屋さんコーナーへ行ってきました。妻が娘に楽器をさせたいと言うので、まずは娘が興味がある、アンパンマンの楽器玩具から体験してみることにしました。
一歳半の娘には、早すぎました(汗)購入はもう少し大きくなって、興味を持ってからにしようと思います。
さて、前回の続きです。
妻に「さようなら」を言い、次に彼女になった人は僕を大人にさせたまま、ベトナムに帰ってしまいました。
またまた、モテない恋愛弱者に逆戻りです。30歳が近づき結婚に焦って、マッチングアプリを続けてもうまくいかない日が続きました。
仕事はと言うと、転職して5ヶ月が経ちました。ミスしやすいタイプながらも、一つまた一つと成長していくのが分かりました。
目をかけてくれる先輩や、同期の8人のベトナム人技能実習生の子達と親交を深め、工場での立ち位置が出来てきていました。
夜勤の仕事がはじまり、仕事中心の毎日が続いていました。
そんな中ふと、失敗続きの結婚相手探しに嫌気がさした僕は、つい元カノである妻に
「なんで僕はうまく行かないんだろう」
と泣きついたメールを送ってしまいます。
しかし妻から返ってきた返事は、
「あなたは今、私の事をどう思っているの」でした。
「離れた今も、あなたは僕にとって大事な人です」
「あの時は、余裕がなくあなたをみれていなかった。そしてあなたと結婚するには、あのまま前のパート仕事を続けてはいけなかった。今の仕事と余裕ができた僕だったらあなたを幸せにできたかもしれない」
帰ってきた返事は
「まだ間に合います。今度またベトナムに帰るので一緒に来てください」でした。
その後、ちゃんと僕の方から妻へのずっと消えない本当の想いを伝えました。そして、僕と妻はヨリを戻すことになりました。
妻には本当に悪いことをしました。
でも、一度冷静になる時間と、僕が妻の横に立てるように成長する時間、そして妻への重荷になるような執着は断ち切ることは、復縁するには不可欠でした。
はれてカップルに戻った僕達は、急いで一ヶ月半後のベトナムへ向かう準備をします。
どうやら妻は、友達に戻るように僕に告げた後も、僕から一度「さようなら」を言われた後も、妻の両親にはまだ僕が彼氏だと言い続けていたそうです。
ベトナムに着いた時、僕は妻の両親、妹夫婦、親戚に温かく迎えられました。
皆、妻が28年間彼氏がいないことを心配してました。そんな妻が、ベトナムの田舎(バクニン地方)に日本人の彼氏を連れてきたものだから、大騒ぎでした。
ただ、僕にはやり残した事があります。それは日本からずっと、妻にはナイショで鞄の中に隠していました。
日本へ戻る最終日のことです。
妻とお母さんが見守る中、お父さんと向き合って話をする時間が作られました。
「あなた、お父さんお母さんに言わないといけないことがあるでしょ」
妻が促します。ベトナムでは結婚にあたって、親の同意は必須条件です。
婿側、嫁側、双方の両親に結婚することが認められ、初めて結婚が可能になります。
「娘さんと結婚させて下さい」
翻訳アプリ越しの結婚の申し込みでした。お父さんお母さんは「お互いが大切に想いあっているなら」と承諾してくれました。
僕の父にも事前に結婚の話をしていました。父が結婚の承諾をしてくれた事を伝えると、妻の両親はすごく喜んでいました。
しかし、まだ1人、
結婚を許して貰ってない人がいます。
妻です。
妻には、一度プロポーズした時に婚約指輪を返却されています。
もう一度、しっかり妻には想いを伝えないといけません。
「僕と家族になって下さい」
一回目のプロポーズは、
「僕と結婚して下さい」でした。
僕は妻と、妻の両親の前で片膝をつき、あの時一度預かった婚約指輪を妻に見せました。
ずっと鞄の中に隠して持ってきたものです。
「OKなら受け取って下さい」
妻は、その翡翠とダイヤが入った婚約指輪を受け取ります。「翠」は妻の名前を和名にすると、完全一致ではないものの出てくる言葉。
僕は、それが妻の宝石だと思っていました。
両親の前で、プロポーズをするのは恥ずかしかったし、卑怯だと思いましたがこの時しか、絶妙なタイミングはないと思っていました。
妻からも、日本を経つ前に、「ちゃんとお父さんお母さんに伝えてよ」と言われていたので、しっかり気持ちと下準備はできていました。
こうして僕の、二回目のプロポーズは成功したのでした。
本当にプロポーズはタイミングが大切でした。
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