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《30歳元童貞の婚活コラ厶15》コロナ禍がやってきた

二回目のプロポーズが成功した二週間後、僕と妻の関係にもコロナ禍がやってきます。

僕と妻が日本を経ってベトナムに行った次の日、コロナウイルスは発見され蔓延しました。
本当にギリギリのタイミングだったと思います。

当事、医療従事者の緊縛した現状がよくニュースされていました。
そして医療従事者の影に隠れて、妻達介護従事者たちもかなり緊張した日々を送っていました。
妻は、感染すると重症化する利用者が多い養老施設に勤めていました。
仕事を欠かすことが出来ない妻は、僕も含めて外部の人間を全てシャットアウトします。
また連絡が途絶えるほど、妻は仕事に追われる日々になってしまいました。


その一方、僕の方も仕事に追われていました。
僕が勤めてた工場は、大手製造業の下請け製品を作っていました。当時僕がいた課には、その大手製造業の人達が技術指導に来ていました。
その会社は、ブラック企業としては有名な会社です。技術指導者のトップはその会社の社風、考え方で接したり、指導したり、工場自体、僕たち自体をそちらの会社色にしようとしたり画策する人でした。
またそれに同調して、高圧的に指導する人間も何人かいました。
その圧力がかなり強まった時期でした。

その中、僕は勘違いから取り返しのつかない大きなミスをします。
当時はパワハラからくるプレッシャーで、冷静な判断が出来ませんでした。そして影で工程違反の機械設定を誰かがしていたのを、正法だと思いこんでしまってたんです。

お互い仕事の影響からか、ろくな会話ができない日々が続きました。
会うことも無かったです。
それに対してもまた僕は取り乱してしまいました。

そんな距離を置いた日々が3ヶ月半続きます。

そして、5月末の頃、
妻から連絡が1件。

「会社から、社宅でシェアハウスしていたマンションを退去するように言われた」

長引いたタイミングはその時でした。
そこから、結婚に向けて駆け足のように準備をしていきます。

まずは妻の両親から、書類を送ってもらい、それと日本の書類を持ってベトナム大使館へ。
そこから大使館で発行して貰った書類を持って、婚姻届と一緒に役所に提出します。ここで日本で結婚の証明が完了します。
そしてその証明書を持って、また大使館へ提出して初めて、両国で婚姻を証明した事になります。


妻の引っ越しも駆け足でした。
結婚したら妻は、マンションから引っ越して僕の実家で、同棲することになります。
引っ越しで会社までの距離が遠くなることで、通勤も自転車からスクーターに変わりました。
僕が一緒に付き添いながら妻は、講習と試験を一発で合格。
父からの結婚祝いでスクーターを用意してもらい、通勤の方は何とかクリアしました。

そして退去日が迫った8月15日。
妻の荷物を移して行きます。
その夜から、二人で夜を過ごすことになりました。

8月20日。
妻と二人で町役場に結婚届を提出します。
こうして、最初の日本での結婚の提出をもって僕達は夫婦になります。
その日が結婚記念日になりました。


国際結婚は準備に手間と時間がかかります。
手数料として、お金も少しかかります。
手続きを仲介人に頼る場合は、もっとお金がかかる時があります。

ゆっくり1つずつこなしていけば、
仲介人なしで自分達で手続きすることは可能です。
次回、僕達が行った手続き等をお話さします。

4年半と長くかかった婚活も、タイミングが来てからはあっという間の結婚でした。
コロナ禍で多少暗雲はたちこみましたが……

「あなた、ベトナムで私とお父さん達にしたこと分かっている?」

あの時、妻が僕の気持ちに応えた時、
妻も一つ、決心をしていました。
コロナ禍で取り乱してたのは、僕だけでした。

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